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監視員しおりは座らない #05 イタリアの婚姻契約
先週、私は高校時代に片思いをしていた颯太君から『ルーブル美術館展に一緒に行かないか』と誘われた。だがしかし! 高校時代、一緒に美術館に行った時は……
ー回想・史緒里の学生時代ー
史:(早口)ムンクの叫びって叫んでいるのはあの真ん中の人じゃなくて周りを取り囲んでいる自然だって言われているんだよね。それに感情が共鳴している様子を描いているんだって興味深いよねぇ。颯太君はどう思う?
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と、一方的に熱く語りすぎてしまった。思い返すたび恥ずかしくて、穴があったら入りたくなる。なぜ颯太君は私を誘ったのだろう? 今は美大に通っているって言ってた。なら、私なんか誘わなくたって一緒に行く人もいるはず……
もしかしたら、何かしらの詐欺とか? 運気の上がるツボとか、恋人が出来るネックレスとか売りつけられるのかな? あ、いや……颯太君がそんな事をするとは思えない!
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じゃあなに? 何で私を美術館に誘うの? もう全然わからない。あーだめだめだ、そろそろ仕事が始まるのに……集中しよう。
今日はルーブル美術館展の5周目。持ち場にはいつものように椅子が置いてある。
けれど 私は座らない。
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監視員として、お客様がいる限り。
今日もまた、私の座らない一日が始まる。
今日私が担当しているエリアにあるのは【イタリアの婚姻契約】だ。作者は19世紀フランスの画家ギヨーム・ボディニエ。ローマ近郊に住む裕福な農民一家で行われた婚姻契約の様子を描いている。様々な愛が見え隠れする陽気で微笑ましい作品だ。
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ー国立新美術館・展示室ー
女:むぅ……
史:(心の声)あのお客様、同じ絵をじーっと見ているなぁ。そんなに気に入ったのかな?
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女:どういうことなんだろう?
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史:(心の声)でも、気に入ってるにしては険しい顔だな。あ、お客様が近づいてきた。
女:すいません。一つ質問していいですか?
史:はい、もちろんです。
女:この作品って様々な愛が見え隠れするって聞いたんですけど、様々な愛って何ですか?
史:こちらはですね、まず娘と
女:あーやっぱり待ってください! 自分で考えます。なのでヒント、ヒントくれませんか?
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史:ヒント……ですか。そうしましたらお客様、描かれている人物の視線に注目してみてはいかがでしょう?
女:視線、ですか。ん……そうですね、男性はまっすぐ結婚相手を見つめてますね。女性を気に入ってる感じがします。女性は恥ずかしげに目を伏せています。緊張してるんですかね?
史:そうですね。
女:でも、もしかしたら女性も男性の靴を見て、その暮らしぶりをチェックしているのかも。この靴高そうだしいい男じゃん? とか思ってそう。
史:(心の声)このお客様すごい! 既にこの絵の視線の面白さを感じられている。彼女の話もっと聞いてみたい!
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史:視線から別の意味を読み解かれてますね。他に気づいた視線はありますか?
女:他に? う~ん、他の視線……あ、神父のお母さん。娘の手を優しく握ってるけど視線は花婿に向いていて、彼を見定めてる様にも見えますね。確かにこの花婿はかっこいいからお母さんからしたら逆に心配なのかも。
史:(心の声)その解釈、面白いです!
女:ん? よく見ると新郎のお母さんも新婦のことをじっと見てますよね。どこか信じてない感じというか……親というのはみんなこうやって子供の結婚相手を疑って見てしまうものなのかなぁ?
史:もしかしたら、そういうものなのかもしれませんね。
女:あとは……あれ? 後ろにいる男性って花嫁の父親ですよね?
史:おっしゃる通りです。
女:この人、何か変なところ見てませんか?
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史:はい、見ているかもしれません。
女:視線の先にいるのは結婚式の準備をしている女性。そっか、娘の結婚式の最中に別の女性を見てるのか。この父親、娘も妻もいるのになんて人だろう! これも愛の形ってこと?
史:そう見えなくもないですよね。
女:あぁ……すごい。視線だけで多くの愛を描ききってる。
史:はい、素晴らしい観察眼です。
女:そっか。視線か……
(何かに気づいた様子の女性)
史:あの、どうかされましたか?
女:実は私、俳優をしてるんですけど。
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史:え、そうだったんですね!
女:それで今度、愛にまつわるドラマに出ることになって……
史:凄いじゃないですか!
女:でも、あまりうまく演じられないからここで愛を学ぼうと思って来たんです。
史:そうだったんですか。
女:愛って視線だけで表現できるんですね。でも……私なんかにこんな視線 できるかなぁ? あ、どうです? 私の視線。
史:……どういうことですか?
女:いま私がどんな気持ちで監視員さんを見てるかわかりますか?
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史:憎しみの視線ですかね?
女:違います。愛情の視線です。じゃあこの視線は?
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史:愛情の視線ですかね?
女:いや、嫌悪の視線です。じゃあこれは?
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史:これは簡単です! 今度は幸せの視線ですね。
女:いや、呪うっていう視線です。
史:すみません……
女:あ、いえいえ。私の視線が悪かっただけで監視員さんは悪くありません。あ、そうだ! 監視員さん、私の師匠になってくれませんか?
史:はい?
女:お願いします。私に視線の技法を教えてください!
史:(心の声)どういう展開!?
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史:待ってください。私はそんな技法を持っていませんし
女:監視員さんは監視するプロ。つまり誰かを見る技術も素晴らしいはず、よろしくお願いします。ビシバシ指導してください!
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史:(心の声)見た目は可愛らしい子だったけど変わり者だったぁ……これはちょっと話を変えよう。
史:お客様は、なぜ俳優を目指されたんですか?
女:私、憧れの女優さんがいるんです。実は高校生の時に受験で失敗して、とても落ち込んだことがあったんです。もう人生終わったって……けどその時に彼女のドラマを見て、その姿や笑顔にすごく元気をもらったんです。それから私もそういう役者さんになりたいなって思って……まぁ私にはまだまだ難しいんですけど。
史:でもお客様の視線も素晴らしかったですよ?
女:え?
史:お客様が絵をじっくり見る視線。何かを貪欲に学ぼうという気持ちが溢れていました。
女:いや、私はいつも脇役ばかりで、そんな大した役者じゃありません。今回も主人公の友達役でセリフも少しだけだし。だから、本当は私なんかが愛を学んだところであまり意味はないんですよね。
史:そうですかね?
女:どういうことですか?
史:この絵も、花嫁花婿以外の脇役がいるから成立している。そういう風にも捉えられませんか?
女:確かに。
史:絵も芝居も、きっと一人じゃできないんだと思います。
女:そうですね。脇役だからって落ち込んでる場合じゃない。ちょっと元気が出てきました、ありがとうございます!
史:少しはお役に立てて良かったです。
史:(心の声)あーよかった! 師匠にならずに済んだ。 危なかったぁ~セーフ!
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史:これからのご活躍、応援してますね。
女:はい。また悩んだら師匠の元に来ます!
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史:(心の声)アウトだったー! やっぱりわたし師匠なのねー!
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女:それでは師匠、また!
史:え、え? ちょっとお待ちくださいお客様、お客様ー?
史:あぁ……行ってしまった。それにしても、愛は愛でも仕事愛というのも あるんだなぁ。私は仕事愛に関しては自信があるかも、すっごくわかる!世の中の愛も仕事愛みたいにもっと分かり易ければいいのに。
徐々にではあるが、愛のことについてわかってきた気がする。とはいえ、颯太君と美術館に行く自信は全くない。また失敗をしてしまうかもしれないし……
あぁ、一体どう返事をすればいいの?
ーつづくー
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