International Woman’s Dayについて思うこと

難しい問題だし誰にもoffensiveにならないで表現するのは不可能かもしれないけどやはり今の時点で自分がどう思っているかをここに残そうと思う。

10代の頃その存在を知った時からなんだかなぁという気持ちをモヤっと抱いていた。私はおバカで呑気だから”男とか女とかじゃなくてみんな一生懸命生きてるだけで素晴らしいよ毎日セレブレーションしよう”って思ってるというのが表向きの理由だったけどどうやら今はそれだけではないらしい。

2020年から2021年にかけて、ロンドンの演劇学校に通った。ミュージカルを専攻していたから、周りにゲイやレズビアンの友達が多かった。男の子に関しては、ストレートの子を探す方が大変なのが業界の特徴で、彼らは私のアウトフィットを見て毎日”Look at your dress bitch i fucking hate you”と廊下で叫びながらハグしてきた。中には、ステキなメイクをする男の子や、その辺の男の子よりもカッコいい女の子もいる。私は、たとえ世間的に見ればマイノリティでも自分自身を曝け出す事を恐れない彼ら彼女たちが大好きだ。

かれこれ1年半ほど付き合っている彼の周りの友人も、なぜかゲイの人が多い。というよりほとんどゲイだ。彼らもまた、十人十色である。一見ストレートに見える人、思いっきりフェミニンな人、イギリス人なのにカリフォルニアのギャルみたいな話し方をする人。彼のプラスワンで食事やナイトアウトに参加しても、みんな快く私を受け入れて仲良くしてくれる。彼の親友に関しては彼抜きで私をブランチにも連れて行ってくれた。みんな私にとっても大切な友人だ。

このように多様性に溢れる人々に囲まれ恵まれた境遇の中で気がついたことがある。それは性別という括りにとらわれる事が私には向いていないんだという事だ。もちろん恋愛対象は男とか、自分の性別は女とかそういう基本的なことは構わないのだが、男だから○○、女だから△△みたいなのに、ほとんど無意識的にアレルギー反応を示す。これは誰でもある事だと思う。昭和的な男尊女卑は多くの人が苦手な考えだろう。でも例えば、”女の子に生まれたからファッションを楽しまなきゃ”みたいなニュアンスのチープなキャッチコピーなら、フワッとした表現でポジティブに聞こえるように加工されているから、特に何も思わない人が多い気がする。これと同じ原理でInternational woman’s dayの”女に生まれたことを誇りに思おう。周りの女の人に敬意を払おう”みたいなコマーシャライズされたメッセージが苦手だ。私が自分自身を誇りに思うのは私が女だからではないし、周りの素晴らしい人々には何もこの3月のたった1日に限らず常に敬意を払っていきたいし、それは女だろうが男だろうが、トランスジェンダーだろうが変わらない。というかミモザになんて一年でこの1日しか注目しない人たちが、この日だけミモザ💛みたいになるのもあまり好きじゃない。ミモザはいつ見ても綺麗だから。

こんな風に考えるのって、世の中で生きづらいなと思うこともあるけれど、こんな風に考える事ができるようになったのも、色々なアイデンティティの人々に囲まれて生きてきたおかげだなとも思う。だから、私がピンクが好きなのは私が女だからではなく、私が私だからだし、私がワンピースやハイヒールばっかり履くのは私が女だからではなく、それが自分が1番ステキに見えるスタイルだと自覚しているからだとここで誰に対してでもなく主張しておきたい。

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