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マーガレットサッチャーへのノスタルジーと現代フェミニズムへの疑問

4年間国際関係学を学んできたけれど、政治は嫌いだ。見ているだけでうんざりする頭の悪い駆け引きと人間の醜い部分だけをハイライトしたような泥沼化した状況は、まさに地獄絵図と言っていいだろう。歴史的観点から見たフランス革命やロシア革命などには興味があっても、今日の政治には正直なにも期待していない。

そんな私にも尊敬する政治家がいる。イギリスの第71代首相、マーガレットサッチャーだ。とは言っても彼女に対する尊敬は政治家としてではないのかもしれない。彼女は保守派であり私は個人的にリベラル主義なので政策の面では賛成できない点も多数ある。それでも彼女から学ぶことが溢れている理由は、彼女の政治キャリアへの向き合い方だろう。

マーガレットはイギリス初の女性首相であり、常に見渡す限りのジェントルマン達に囲まれて国を率いていた。しかし彼女は”女だから”と妥協されたり批判を受ける隙を与えない程強かった。フォークランド戦争も率いたし、増税をして非難もされたし、11年に及んだその任期の中で数々の選択を強いられた。それでも常に前に進み続けた勇姿はまさに鉄の女(the Iron Lady)の名に相応しいものであったと思う。女だから首相になるべきではなく、彼女だから国を率いるべきであったのだ。彼女がイギリス女性初の首相だったからではなく、彼女が女性である事を美徳としなかったから、私はミセスサッチャーに対して尊敬の念を抱けるのだと思う。

私はフェミニストではない。世界各地で起こっているプロテストを見るたびに、女として勝手にひとまとめにされているようで不愉快な気分になる。現代フェミニズムの問題点は、そもそも男女間にまるでベルリンの壁のような頑丈で高い壁を建て、その上で他グループは全て敵とみなすような、その不可解な不合理性にあると思う。女性政治家が少ない、女性がキャリアを極めるのは困難である、というような言い分は大いに理解できる。しかしそれは果たして男性のせいなのであろうか?そんな訳はない。では、どうして男女をあえて区別する事で自分たちの権利を勝ち取ろうとするのか。甚だ疑問である。

高校生の頃、クラスに理系の女子は私を含め3人しかいなかった。理系女学生の少なさが顕著に現れていたクラスだったと思う。しかしそれは、理系を選ばなかった女子のせいでも、理系の男子のせいでも、はたまた先生達のせいでもないだろう。女だから数学や理科を学んではいけないなんて誰も言っていない。だから私は理系を選んだし、特になんの不自由もなかった。男社会を作っているのは男ではなく、男がマジョリティを占める集合体に対して自分達は入れないと勝手な先入観を持つ女なのではないだろうか。その類の女性達が必要以上に過剰な反応を示す事態が、多かれ少なかれフェミニズム運動の中に見られるのが、この個人的不愉快さの元凶だと思う。何かを成し遂げたいのなら、自分がマイノリティでもなんでもやればいい。

与えられた状況を言い訳に自分の弱さを正当化して、権力や同情を得ようとするのはもうやめようと心の底から叫びたいが、そんな事をしたところで”あなたは強いから分からない”とトンチンカンな言い分が飛んでくるオチは見えているので彼女達を相手にするつもりはない。ただ、自分の弱さを人のせいにするのは誰も得をしない行為である事を少しでも多くの人が理解すれば、もう少し世の中生きやすくなるとは思う。あなたが弱いのは、あなたが欲しいものが手に入らないのは、誰のせいでもなくあなたの責任なのだから。もっとも、私がこのような思想を持てるのも、幼い頃から”出来ないならできるまで練習しなさい”とメンタルを強く育ててくれたバレエとピアノのおかげなのだが。

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