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「ここで生まれました」


 写真中央やや右寄りに「西郷・大久保誕生地」を示す案内板が建っています。 

 鹿児島市加治屋町。

 鹿児島中央高校正門前から南へ100メートル余り。高麗橋のやや手前です。

 この矢印の先50メートルほどのところに、西郷隆盛生誕地、大久保利通生い立ちの地(生誕地は高麗町)、維新ふるさと館などがあります。


 そして、この案内板の立っている場所。実は、ここがわたくし「めどう」の生誕地なのです。

 駐車場に車が1台停めてある喫茶店。ここにかつて材木屋さんがあって、その2階がアパートになっていました。

 ここが自分の生誕地だと知ったのは、47歳で故郷にUターンして以降のこと。それまで「鹿児島市加治屋町で生まれた」ということだけは知っていましたが、それ以上に詳しいことは全く知らなかったのです。
 生後4ヶ月で鷹師町に引っ越したため、何の記憶も残っておらず、しかも28年という長い間鹿児島を離れていたので、確かめる機会もなかったというわけです。

 ― その場所を正確に知りたい。

 両親から得た情報によると、材木屋の2階の一部屋だったということ、中央高校の正門から南に下った場所にあったという情報を得て、その場所を訪ねてみたのは15年前の事でした。

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 ◎案内板左のバイク屋さんとの会話

 「あの、つかぬことをお伺いしますが…」

 「はい」

 「昔、ここは材木屋さんだったのではありませんか?」

 「いえ、隣です。こちらが材木屋さんでした。『浜平材木店』という」

 「そうでしたか! 私はそこで生まれたんです。2階を間借りしてたらしいてす」

 「ほう!」

 両親の口述の内容とバイク屋さんの証言が一致した瞬間は、胸が高鳴りました。期せずして「浜平材木店」という具体名までを知ることになり、若き日の両親に巡り合ったような、不思議な感慨がありました。

 両親亡き今、こうして生誕地の確認をやっておいて、本当に良かったと思います。


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