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贈り物、自己満足、なんかそのへん

私は、キングコングの西野亮廣さんが運営されている「西野亮廣エンタメ研究所」のサロンメンバーとして、サロン専用の鍵垢Twitterを利用して交流や発信を楽しんでいます。

西野さんが毎日投稿する記事は、最近は毎日読めずにいるのですが、先日シャンパンやお花に関する記事を読みました。

この記事に対して、「傷ついた」「ショック」という方がいらっしゃったようで、西野さん含め色んな方がコメントされていました。

これについて、自分の感じたことや思ったことをまとめておきたくなったので、久しぶりにNOTEを書くことにしました。

最初に言っておきたいのですが、ちゃんとまとまってません(笑)

私が思うことを、順序とかあまり気にせずにどんどん書いてます。。

◆◆◆

まず、お伝えしておきたいことは、私もこの記事を読んだ時に少し悲しい気持ちになったということです。ですが西野さんのこの記事を批判するつもりはありません。

私はお花屋さんでもないし、知り合いにお花屋さんがいるわけでもありません。ただ、お花は結構好きです。

私の感情にぐさっと刺さった言葉や内容をまとめると、

□「終われば処理に困る」

□「オイシイ思いをしている」お花屋さん

□「条件を満たしていればお花を贈ることに無駄がない」

□ 支援としてお花を贈るのは「勿体ない」

これらの部分だと思っています。

お花は「無駄」で、その「無駄」によってオイシイ思いをしているのは、お花を贈られた店ではなく「お花屋さん」

私がお花屋さんだったら、大好きなお花と、自分の仕事を、どちらも批判されたような感覚になるかもなぁ、と思いました。

前述した通り、私はお花屋さんではないですが、東京で不動産仲介の仕事をしていた時に、よく店舗の開店祝いに「決まって」お花を注文し、開店初日にお贈りしていました。

「お花を贈られる側のお店の人」、「お花を注文されるお花屋さん」の両方に関わっていました。

また、お花をプレゼントされたことも何度かありますし、プレゼントしたことも何度かあります。

経験談から話すと、お花をもらった時に嬉しいのは、お花を贈ってくれた相手の「気持ち」、それから自分の好みのお花を頂いた時です。正直、私はお花は好きですが、好みがあります。

好きな花の種類があれば、そんなに好きじゃない種類もあるし。

好きな色があれば、そんなに好きじゃない色がある。

でも、お花を贈ってくれた友達や恋人の気持ちは、嬉しいです。

逆に、私がお花を友達にプレゼントする時に嬉しいのは、お花を選んでいる時と、選んだお花を見て友達が喜んでくれる時です。

ただ、相手が本当にお花を欲しがっていたのか、好きな種類だったか、好きな色だったか、そこまでは正直わかりません。

もしかしたら好みじゃなかったかもしれないし、終わった後の処理が面倒だな~と思うかもしれません。

私はお花をもらったら少なくとも「気持ち」が嬉しい。でも、好みじゃない場合もあります。あと、お花って水に入れて時間がたつとにおってくるので、枯れたあとに水を捨てたりお花を捨てたりという処理は、確かに好きじゃない部分です。

◆◆◆

西野さんは別に、「お花が無駄」と言いたかったのではなく、「当たり前を疑え」「相手を思いやれ」と言いたかったんですよね。

でも、お店のお祝いとして花を贈ることは無駄で、しかも得をしているのはどこかの知らないお花屋さん。そう言われると、お花や、お花屋さんという仕事を批難されたような感覚になってしまい、ショックを受けてしまった人がいたのかなぁと思います。

お花が好きな人がいる限り、お花は決して無駄ではないですし、お花屋さんは必要で、素敵な職業です。

でも、「お花をプレゼントする」という行為について、確かに相手のことをあまり考えずに贈っている人が多いのかなぁ、とも思いました。

自分で自分に好きな花を買う、というのは問題ありませんよね。

でも、お花をプレゼントする時って、相手に頼まれて贈るケースってあまりない気がして。何かプレゼントしたい時、何か贈り物をしなきゃいけない時、「よしお花にしよう!」「お花ならきっと喜ぶだろう!」と思って贈ったりします。

永遠に残ってしまって置き場所に困るプレゼントより、お花とか食べ物を好む人はいるかもしれません。でも、お花のプレゼントって、けっこう自己満足だったりもするのかなぁって。

◆◆◆

「お店の開店祝い、何周年祝いと言えば、お花!」という、習慣みたいな、常識みたいなものがあります。

もちろん開店したお店にお花が並ぶのは素敵だし、「開店した感」が出ます。

でも、よくよく考えると、この習慣によって、お花以外のプレゼントを考えなくて済むので、贈る側にとってこの習慣は、ある意味で自己満足なのかもしれません。

そこにあるのは「気持ち」というより、「習慣」なのかなって。

◆◆◆

開店祝いにお花を贈られるお店側について考えてみると、

お花の贈り物という「気持ち」や「行為」も嬉しいですし、お花が並ぶことによって、周りに開店したことをアピールできます。

でも確かに、終わった後のお花の処理は、おそらく想像するよりもお店側の手間になっているのかもしれません。ここについては、頂いたお花について文句を言う人はいないので、分かりませんね。

そう。お花のプレゼントって、贈られた側は「文句」を言えない存在でもあります。お花を贈られて文句言ってたら、印象悪そうじゃないですか。だからきっと、終わった後のお花の処理を黙ってしている人がいるかもしれません。そうやって、お花を贈るという習慣は続いてきたのかもしれません。

私も、東京の不動産仲介で働いていた時は、先輩から言われるがままで、「あのお店が開店するから、お祝いのお花を贈る」という経験をし、【お店が開店したらお花を贈る】ということが私の常識になり、それに疑いを持ったことがありませんでした。

お店側の人が本当に、お花を求めているのか、ということまで考えたことがなかったし、後処理の大変さなども想像したことがなかった。

自分で自分にお花を買う時はウキウキだけど、誰かにお花を贈る時、相手は「嬉しい、素敵、ありがとう」と言ってくれるけど、「お花のプレゼントって【ありがとう】って言うしかない」ってことを考えたことがなかった。

もちろん、お花は好きです!

お花屋さんに行くのも大好きです。

ただ、「プレゼント」のお花として、考える良い機会になりました。

これは、決して「お花」だけに言えることではなくって、例えば西野さんが前から言っている差し入れのお菓子とかもそう。

良かれと思って自己満足で贈っていることが多い。

そこには、なんとなく、「お菓子を贈っておけば無難」「お花を贈っておけば無難」という、思考停止があるようにも思います。

相手にとって何が良いのか、迷惑になってないか、ちゃんと相手の役に立っているか。

そういうことをちゃんと考えて、「無駄な部分」「勿体ない部分」をなくしていこうよ、ってことなんだと思います。

◆◆◆

私は最近、英語レッスンなど、オンラインで提供できるサービスを考えたりしていますが、「英語」の需要だけに頼るのはダメだなぁと思っています。

んんん、説明が難しいのですが、

「開店祝いにお花を贈る」という習慣があるから、お花屋さんはある一定の売上があるわけで、英会話講師は、「英語を話せるようになりたい」という人がいるから、一定の収入があるわけで。

英語を話せるようになりたい人に頼るっていうところを超えて、何か面白くて楽しいサービスを考えたい。そんな気持ちです。

◆◆◆

ごめんなさい、自分でも、どう言葉にしたら良いかわかりません(笑)

でも、どうしても今回、西野さんのこの記事について書きたかったので書きました。

最後まで読んでいただいた方、本当にありがとうございます。

少しでも何か伝わったなら嬉しいです。

自分が面白いと思うものを書いていきます。 あなたが私の記事を面白いと思ってくれたら最高です。 もしサポートいただけたら大きな支えになります。 読んでくれてありがとうございます(^▽^)