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BVEの運転オフ会に思うこと

▫️オフ会と私

そもそものきっかけは、本当にただの思いつきです。

18歳と19歳の時に大阪オフに参加、その後忘年会などちょくちょくBVEのオフ会に参加していました。

いつもプレイしていたデータの作者さんに直接お会いしてこだわりポイント等を聞ける機会は、作者プレイヤー関係なく貴重で刺激に溢れるものです。

オフ会をきっかけに、年齢や居住地に関係なく友達が出来ました。
BVEやオフ会がなければ絶対に出会うことのなかった人達と出会い、自分だけでは見ることも知ることもなかった世界を知りました。


"オタク"というものは守備範囲が狭いことが往々にしてありますが、たくさんのオタクが集まると色んな知識が融合してとてつもない化学反応が起きるのです。

そうしていつの間にか、人生が思いもしない方向に進んでいたりするのです。
私はこの趣味のおかげで、今の自分があります。
今度は自分が、人にしてあげる番なのかなと多少なり思っていました。

BVEのオフ会はかねてから大阪、東京がメインでした。
15歳で初めてBVEに出会い、17歳の時に飯田保線区さんの119系運転台の動画を見てオフ会に行きたくて行きたくて仕方がありませんでした。

しかし当時まだ高校生。
私の親はそんなに簡単に外泊や遠出を許してくれません。
運転会レポートを読みながら歯ぎしりをしていたことを覚えています。

大学進学を機に横浜で一人暮らしをはじめ、晴れて自由の身となった私はようやく運転会に参加することが出来ました。

その時に東京と大阪の距離感と比較しても、九州福岡は少し大袈裟かもしれませんが果の果て、気軽に行く場所ではない感覚があるということを痛感しました。

▫️オフ会に参加したことで

運転会で運良く顔と名前を覚えてもらった私は、その後も忘年会に参加し、その忘年会きっかけでオウチ運転会に参加するようになります。

それまで私は、列車を運転することにしか興味がありませんでしたが、たくさんのオタク友達との関わりの中で
列車の動力やブレーキ方式の仕組み、各社の実施基準や作業標準の違いなどかなり突っ込んだ内容にも興味を持つようになっていました。

もちろん、自宅に運転台を作る夢も持っていましたからいつの間にか自宅に部品が鎮座するようになりました。

▫️いつの間にか自宅に運転台が。そしてオウチ乗務区へ

鉄道部品を使って運転台を作るにも、PCへの入力プラグインの知識が必要になります。
このプラグインも種類があり何がどう違うのか全くわからない状況から、色んな人を質問攻めにして自分が出来そうな方式を決定していきました。


しかし近年の鉄道部品市場の高騰、また重量物を個人で組み上げる労力と技術を考えると困難です。

そんななか2016年、オウチ運転会の主催だった すずはるさんが3Dプリンターを駆使してT字ワンハンドルマスコンを製作しました。

それはまさに革命でした。

既製品からは信じられないほどしっかりした作り、ノッチのガタガタ感。こんな物が個人で、しかも短期間でデータさえ作ればいくらでも作れるということに衝撃を覚えました。

当時は自分が作ることになるとは微塵も思っていませんでした。。。
マスコンについてはまた後日書こうかなと思います。

▫️オフ会参加を迷っている方へ

長くはなりましたが、私はオフ会に参加するまでこんなことになるとは思ってもいませんでした。
オフ会のおかげで、人生の充実度も大きく上がりました。
私と同じ経験を、多くの人にしてもらいたい。
九州にもBVEをもっともっと根付かせたい。
そういう思いで企画しています。

BVEは1人でプレイするものではありますが、たくさんの人とコミュニケーションを取りながらBVEをすることもとてもいいものです。

思わぬ偶然と奇跡が、あなたを待っています。

是非オフ会にご参加ください!

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