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草迷宮の思い出

私は父の影響で攻殻機動隊が好きだ。
以前その話を美容師さんにしたら、「攻殻機動隊はシリーズが多すぎてどこから手を出したらいいか分からない。」と言われた。確かにその通りだ。私も好きだとは言ったものの、観ていないシリーズもある。
私が観たのは押井守監督の映画「攻殻機動隊 Ghost in the shell」、テレビアニメのSTAND ALONE COMPLEXシリーズ、「イノセンス」、「攻殻機動隊 Solid State Society」のみだ。

ここで私が言いたいのは、攻殻機動隊はどこから観たらいいかとか、フリークの方々がよくされている作品考察やら現代との付合のようなものではない。
私は何故この作品に惹かれたのかを考えたいのだ。

私はそもそも血が流れる作品が苦手だ。派手なアクションも好まないし、映像の作り込みなんかも知識がないからよく分からない。音楽はかっこいいと思うが、それだけでこの作品にのめり込むほどではない。

私がこの作品に惹かれたのは、小さな頃から自分の感じていた「世界との乖離や違和感」のようなものが合致していたからだと思う。

攻殻機動隊は、高度な技術の進化の果てに「電脳化」や「義体化(身体のサイボーグ化)」が進んでいる世界で、自分の感覚や世界との繋がりが電気信号化され、生身の身体ではない作り物の身体を操って生きている登場人物たちが活躍する。

その中で大きな課題として出てくるのが、「個人を特定する主体はどこにあるのか」「その人をその人たらしめる魂(作中ではゴースト)と呼ばれるものはどこにあるのか」という問題である。
脳は機械化され、記憶や感覚は電気信号として簡単に共有も操作もされてしまい、身体もまた作り物であるなら、他者と自分とを隔てるものは一体何になるのだろうか。私というものが存在していることはどうやったら証明されるのか。
私は電脳化も義体化もしていないけど、このことを考えてると空寒くなる。

STAND ALONE COMPLEX 2nd GIGに、「草迷宮」という話がある。
そこでは、電脳化、そして全身を義体化し、(身体ひとつでどんな機密機関にもハッキングを仕掛け、装甲戦車相手に戦えるほど)電脳および義体の超一流の使い手となった「少佐」と呼ばれる女性が、何故全身を義体化したのかが明かされる。

少佐は6歳の時に飛行機事故に遭い、死線をさまよった挙句に、全身を義体化しないと生きられない状態に陥った。
電気信号を操ることで身体(義体)を動かすことは自分の生身を動かすこととは大きく違うようだし、子どもから大人になっていく成長に合わせて義体も新しくしなければならない。少佐はそんな子ども時代を苦悩しながら生きてきたようだった。

そのことを象徴するようなシーンがある。

事故を経て義体化をした8歳の少佐が、ある男の子のために折り鶴を折ろうとする。
しかし、机に置かれた折り紙をめくってつまむことすら難しかった少佐は、折り紙を折るための繊細な指の動きや力加減を義体に伝えることができず、ぐしゃぐしゃになった折り紙は破れ、鶴を折ることができなかった。
男の子のために鶴を折りたい心と、それを実現することができない身体を持った8歳の少女。

私はこのシーンを観た時、「この感覚を知っている」と思い、涙が出た。

私は小さな頃、自分の身体に裏切られ続け、世界のよそよそしさに孤独を感じていた。

子どもの頃の私はとても活発で、人と関わることが大好きだった。今の自分と同一人物とは思えないほど、じっとしていられない子どもだった。

正確に言うと、心はずっと動き回っていた。だけど、それに身体がついてこなかった。
身体の弱かった私は、通院と入退院を繰り返し、小学校に上がるまでの時間のほとんどを布団の中で過ごしていた。
(言語化することはできなかったが、)子どもの頃の私は、ずっと身体と心の不一致を感じていた。

あの頃の私は団地に住んでいた。コンクリ張りの団地は音がよく反響するのか、寝室に1人で寝ていると、色んな音が聞こえた。
隣に住む女の子が準備が遅いと怒られる声や、自分の乗るはずだった幼稚園バスが走り去る音を聞くと、朝なのだなと思った。
昼下がりになると、幼稚園から帰ってきた子どもたちの走り回る足音、ヘンテコな替え歌、跳ねるような笑い声をずっと聞いていた。

私は一度風邪をひけば最低10日間は高熱が続いたし、気を抜くと簡単に肺炎になった。
だから、風邪が治ったとしてもすぐには身体が動かせなかった。ほとんど歩くことをしなかった足は、自分の体重を支えているだけですぐに疲れてしまったし、咳をし続けて腹筋が筋肉痛になり、自分だけの力では起き上がることもできなかった。

幼い私にとって横になっていることしかできない10日間余りの時間は、無限に続くもののように感じられた。
気管支がゼェゼェ鳴って息をするのも苦しいこと、咳をしすぎて腹筋が痛いこと、そんなことより何より外で起きている一切と関わることのできないことがつらかった。
日がな一日横になったままで、私は何一つ新しい経験を得ていないのに、時間は流れ世界は進んでいくことが不条理に思えた。
私だって幼稚園に行きたい、みんなと一緒にカラスを追いかけ回したりしたい、そう思いながらも動かせない身体に縛られ、聞こえてくる音から外で起きているであろうことを想像することしかできなかった。

これは余談だが、呼吸器系が弱い人間が頭の中の世界をさまよい続けると、想像力が強化されすぎて、自分の想像と現実の境界線が曖昧になるらしい。
酸素が十分に行き渡っていない脳で想像をするのは、重りをつけて筋トレをするのと同じ原理で、負荷をかけながら脳を動かすことになるから、その力が鍛えられてしまうのだという。
かなり昔に脳科学者の誰かがそう語っている記事を読んだだけだから、真偽のほどは定かではない。だが、あの頃の私の感覚を思い出すと、あながち間違ってはいないと思う。
音から拾える情報や、手の届くところにあった絵本の世界を頭の中で想像し続けていた私は、それが現実なのか私が想像したものなのかよく分からなくなっていた。

寧ろ、やっと外に出られた時に見える現実世界の方を疑ってかかっていた。
幼稚園バスはこんなに小さくないはずだ、上の階に住む男の子はもっと足が速いはずだ、夕方という時間はもっと劇的に美しいはずだ、と。

現実世界と共有された記憶が少なかったせいで、世界はいつも私によそよそしかった。
知らないことを楽しむことより、自分のものではないように見える世界、自分の知っているものと異なる世界が広がっていることが怖かった。
そしてその違和感の根源を確かめようとする頃には、私はまた1人の寝室に戻ってしまっていた。

この世界との乖離は、大きくなればなるほど、現実的な問題として私を苦しめた。

例えば、通っていた英会話スクールのイングリッシュキャンプの時。
参加している子どもたちは大体4〜6歳くらいだったので、それぞれの親も一緒に来ており、私も母と2人で参加していた。
その夜、引率の先生が「先生の部屋でみんなで泊まろう!」と子どもたちを自分の部屋へ招いた。
子どもたちはきゃあきゃあはしゃいで、母親たちは母親たちで子どもの手が離れる夜をどう過ごすかを浮き足立って話していた。
私たち親子だけはその喧騒の外側に居た。その時、母が私に言った言葉を今でも私は覚えている。
「ホテルの売店でアイスを買ってあげるから、あなたはお母さんと一緒に自分の部屋に帰ろうね」
私は黙って頷くことしかできなかった。

この時の話を母は、「あなたは食いしん坊だったからアイスに釣られたのよ」と笑い話としてよく話すが、私はその時の気持ちを今でも覚えている。
私は先生の部屋に泊まることを許されなかった。私は今日も蚊帳の外だ。
母の選択は正しかった。家ではない場所で泊まるだけでもはしゃいでいた私が、先生や友達だけの空間に行けば絶対に眠れない。そしてその睡眠不足が原因となり翌日には体調を崩し、その次の日には高熱を出すに違いなかった。私は身体が弱いのだから。
その後のカリキュラムに参加させるためには絶対に自分の部屋で寝かしつけなければならない。

ここまで論理立ててではないにしろ、私は身体が弱いからみんなとは泊まれないし、そこに反抗の余地はないことを理解していた。
自分たちの部屋で風呂に入り、母がドライヤーで髪を乾かしている後ろ姿を眺めながら食べたバニラアイスは何の味もしなかった。
みんなは今頃どうしているのだろうと想像すると、聞こえるはずのないみんなの楽しそうな声すら聞こえてきそうだった。
みんなの楽しい夜を私は知らないまま過ごし、次の日の朝にはみんなに共有された記憶を私だけが持っていない。
私の感覚の問題ではなく、本当にその夜、私は世界から疎外されていた。
自分の身体が憎かった。寂しくて寂しくて堪らなかった。

そんな経験が書き尽くせないほどある。
運動会の打ち上げに参加させてもらえなかった、クラスの仲良しグループのお泊まり会に行かせてもらえなかった、みんなでお祭りに出掛けても日があるうちに私一人だけ帰らなきゃ行けなかった…
身体が弱かったのだから仕方ない。そして母の選択はいつだって正しかった。
だけど、思い出が共有されていないことは、どんなに仲良しの友達でもそこにひびをいれたし、小学生や中学生にとって致命的なほどの孤独を生む。

そして、1番つらかったのは高校受験だ。
元々あまり学問に励まず、成績もふるわなかった私が、中学2年生の時に出会った塾の先生のお陰で一生懸命勉強するようになった。そして、志望校を見つけた。
地元では有名な由緒正しい女子高であるその高校は、偏差値も高く、その時の私では到底行くことのできない高校だった。
しかし、珍しくその高校にこだわりを見せた私は、1年間めちゃくちゃ勉強した。(何故だかは思い出せないけれど)どうしてもその高校に行きたくて仕方がなかった。
そして偏差値をぐんぐん上げて、合格圏まで到達した。自分の力で自分の進む道を選べるところまで這い上がれたことが本当に嬉しかった。

しかし、その高校へは出願することもできなかった。
「遠いから、体力のないあなたには3年間通い続けるのは無理よ。違う高校にしなさい。」
たったこれだけの言葉で、私の1年間の努力は裏切られた。
悔しくて悔しくて泣いたけれど、反抗はできなかった。母の選択はいつだって正しかったのだから。
私はこの時心底自分の身体を呪った。私が努力した結果を得ることを、努力してもどうにもならないこの身体が阻害するのだ。

自分のものであるはずの身体が、心を痛めつけてくる。未来を潰してくる。
身体と心の不一致に深く絶望した。私の主体は私の身体によって打ち消される、この世界は私の意思ではどうすることもできない。
私が私として生きていくことは叶わないのだ、と。

世界を知りたい、経験したいと渇望する心を簡単に裏切る身体。
自分が生きているはずの世界からの孤立。

「身体と心の不一致」、「世界との乖離」が私の中に原体験として残っているから、同じような主題を持った攻殻機動隊という作品に惹かれ、最強の存在として活躍しながらも草迷宮の中をさまよっていた少佐が脳裏に焼き付いて離れないのだろう。

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