No.162【第22回紅白歌合戦(1971年)再放送!】
この年は私が同じNHKテレビ番組「ステージ101」でデビューした年。
洋楽出身の私は歌謡曲はあまり興味がなかったので紅白歌合戦をリアルタイムで見ておらずこうして再放送を見ると初めて知る曲名もある。
しかし この時代の若者歌手はまさに私と同世代か少し上、ベテラン歌手は今の歌手にはないオーラがある。
芸能界でのイジメやあらゆるハラスメントは確実に始まっていた。
(実は私の番組内でもあったし、私もあった。私の場合は ほぼからかわれた位だがいい気持ちであるわけない。でも気づかぬフリして演技してやりすごしたから喧嘩にならずにすんだ。)
イジメに会う歌手は「歌で生きる!」という情熱というか魂が並々ならぬものがあったから ほとんどの若手歌手は私と同じ考えだったかもしれない。
さてこうして再放送で見ていると やっぱり全歌手 歌が上手いのである。雪村いづみさんの歌唱は高音E(ミ)をベルト発声で出しておられた。
私は実はその半音上のファをベルト発声で出していたけどいづみさんの真似をしようとしたわけではなかった。
洋楽出身ならばアメリカのポップスを聞いていれば、それはそんなに難しい発声ではなかったのだ。
感情こめて「歌に生きれば」そのまま高音でも強い地声が自然に出てきた。
それが「ベルト発声=ベルティングボイス」なのだ。
その10数年後にまさか彼女のご自宅でお茶を飲みながら歌談義をする先輩後輩になるなんて!
そのほか、佐良直美さんも流石に歌が素晴らしい。彼女はベルト発声で歌えたかもしれない音程を裏声に変えて女性の色気を感じさせるのでボーイッシュであっても女子の雰囲気は歌で感じ取ることができた。
尾崎紀世彦さんはデキシージャズバンドの音楽に合わせて軽くステップをふんで踊っていた・・へえ踊れるんだと新たな発見。
素晴らしい歌手達がせいぞろいしてこの時代をリアルに生きた団塊人間としてはたまらない感動だった。
とにかくこの番組名はあらたなトレンドになっているようだ。
'71年紅白は東京宝塚劇場からの完全「生演奏・生歌・生中継」。
特に生演奏の迫力はやっぱり違う!
音楽背景からいうとこの時代 はブラス(トランペット、トロンボーン)系が迫力の元だったろうな。
私の知るちょっと年上のプレイヤー達もきっと活躍されていたと思う。
演奏は、紅組が原信夫とシャープス・アンド・フラッツ、
白組が小野満とスイング・ビーバーズ
エンディングの『蛍の光』の指揮を岩城宏之さんが努められた。
画質は高画質という宣伝だったけど自宅のテレビのせいかさほどよくなかった。
おもえばこの時代、私の番組「ステージ101」も録画システムが放送局にはなく生番組ではじまりしばらく生放送だった。
倉庫に眠っていた資料用ビデオテープを修復したのかもしれない。