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No.138 シンガーとして生きる事とは!     <追記あり>

見出し画像の赤い音符 hi Gは
ソプラノの音域です。
これを地声で出すのがBeltingVoiceです。
私は30代から50代の終わりごろまで 
このhiGまではきれいな伸びのある地声で出せていました。

自身の20代の頃 このBeltingVoiceを会得できたのは
世界中に 上手いソロシンガーがたくさんいたからです。
彼らが直接的な私の師でありました。
私は日本の曲にも歌手にも目もくれず
カンツォーネが流行っていたのでこの音hiGが出せるキーをわざわざ選んで歌っていました。

また1970年代はTom Jonesライザミネリが一世風靡し 彼らは私の目標とするシンガーでした。
目標ではないけど素晴らしいと感動したのは
アダム・ランバートかな。

最近は日本人の若いコ達はR&Bの曲を選んで歌いますからかなり高音まで
Belt発声しています。
Youtubeで見かけますが歌う日本人の女子達は生まれながらにR&Bの声質を持ちジェニファー・ハドソンばりの歌を歌います。
だけどただそれだけ?・・・。
真似だけのような気がします。
もちろん真似ができただけでも凄い事ですが‥。

観客の大拍手があってもどんなにうまくても
私は何も感じない・・・。冷めた眼で見ています。
過去にあまりに素晴らしいソロ歌手たちはShow Upしていましたから。
トムや、ライザ、アダムは最初から違ったのです。
1曲の歌の中で自分の世界を訴えているからです。
ジェニファーは表情を全身で作り歌の内容を伝えます。
それは「その曲の中の人生を行きている」事だと思います。

歌手はメディアで歌えば終わりではないのです。
それで一生食べていくという気概をその1曲で見せつけなくては!
「時代の流れだよアンタ!
スキズキでしょーが!」と言われればそれまで。
そう 私はそのスキというのが20代の頃から一貫して変わらないのです。
あらゆるショーの現場で舞台の数を踏んできた私だから
いつしか私の音楽の世界が出来上がってしまっていたから。

いまでこそ見出し画像にあるhiDがギリギリbelt発声の私ですが
hiDや、hiEなんて地声で気持ちよく出していた時代がありました。
私の歌声を聴いたある人は「日本人ばなれした歌い方するね。日本で
収まる歌手じゃない、アメリカで自分を試しなさい」とアドバイスをくれましたが当時どうしても日本をはなれたくない理由がありました。(ヒミツ)

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20代当時 日本国内では
「アドロ」という曲をスサーナが歌って流行っていましたが
私は当時から彼女の歌い方も曲も好きではありませんでした。
わざわざ日本語で歌う歌詞もボソボソと、ハスキーで歌うその歌声は
音域のないアマチュア受けするものでした。
(この曲はアルマンドマンサネーロの作詞作曲です)
私は40代過ぎてから この「アドロ」を かつてラテンナンバーを歌うために学んだスペイン語で歌い上げていました。
50代からはじめたライブでは定番として歌っていました。

話は飛びますが・・・
「イエスタディ」という曲はビートルズよりTom Jonesの激しく心から
振り絞るような歌い方が好きで自分もコピーして歌っていました。
それをたまたまスサーナをマネジメントしているOさんの前で歌うと
馬鹿にされたような目つきで相手にしてもらえませんでした。
このOさんは歌つながりの私の友人が紹介し、多分良かれと思って機会を作ってくれたのだと思います。
Oさんは張り上げて歌う歌い方がキライなようでした。
そのことを当時の私の歌の師匠(他界)に話すと
「なんで、そいつの前で歌った!?
あんたは俺が大事に育てている歌手なんだ。二度と勝手な真似するな」と
半端じゃない叱られ方をしました。

そういう経緯の後、32才で独立し
フルバンド譜面を作成して全国を回りました。
17名のバンドプレーヤーは洋楽中心のわたしのセットリストに
喜んでくれていました。
連日演歌と歌謡曲だったところ「スワニー」「虹の彼方に」「ビギン・ザ・ビギン」「サンバブラジル」「山の人気者」等などはメチャノリでした。

やがて・・・・
フルバンドはだんだん9ピースの時代を迎えます。
そして・・・・

ついに世の中はバンドを必要とせずカラオケの時代に入ります。


このあたりから
私は歌で「hi G」を出す曲がなくなりました。
当時、(今のように)カラオケを自分サイドで作成することなんて考えたこともなかった私は
市販のカラオケをしかたなく買い集め、じぶんなりのセトリを作り地方では
演歌や、デュエットソングまで歌いました。

バンドプレーヤー達は楽器を触りながらも手探りで
コンピュータ―音源の作成に着手しはじめました。

そんな中、地方巡業に出発する直前になって親友Sから「レ・ミゼラブル」初演オーディションがあると知らされ、急遽 応募しました。
オーディションの結果は第一次の時、新潟にて受け取りました。
第2次の結果は石川県で。

1987年
レ・ミゼの本邦初公開、初演の幕が開きました!
レミゼの公演で個人的に歌唱指導に不満を抱えていました。
hiDが地声で気持ちよく出せるのにボーカル指導者から「あなたの地声は目立つので抑えてくれ」と言われました。
曲は「One day more」盛り上がる曲です。
♪いま~その日が来た~~~の「た」の音です。
これくらい地声で出せないの?
そこで裏声を出す?地声で張れる人が他にいないので目立つわけです。

しかし
本番では気持ちの高揚が指導者の言いつけを守ることが出来ませんでした。
地声で歌ってしまいました。(笑)
音響さん慌てたかも。
この作品から舞台では出演者全員が額に一つのマイクを付けています。
今までと違い画期的なマイクです。

私が劇団四季の35周年記念オーディションで合格したのが38才の時
「レ・ミゼラブル」初演出演中!でした。

地声というとクラッシック系の人はたいてい「汚い」「キツい」「喉声」とかいろいろおっしゃいます。
Belingvoiceの実体を知らないからです。
私はクラッシック系の歌唱は好きじゃないといいながらも
佐藤しのぶさんやキリテカナワさんの声はめちゃめちゃ好きなのです。
やはり上手い人の歌唱は私の耳から皮膚のミクロの穴から入ってくるのですね。
三大テノールも好きですね。

あらら
「hi G」「hi D」の話題からいろいろ 飛びました。
自分でも書きながら
あら~書きたいことがいっぱいあるのに
なんで佐藤しのぶさんや、キリテカナワさんの名前まで出てくる?
と思いつつ
少し書いてしまいました。
長い文章になりました。
とりとめなく・・・なりましたが
日本のボーカルのあり方について書きたかったのです。
まだ次に書きます。
読んで頂きありがとうございました。


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