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『<わたし>と国家のあいだ』 鷲田清一

ひとは時代を拒否し、時代から遁走しようとすればするだけ、より緻密に時代に絡みとられてゆく。自分がそこからでたい、下りたいと願っていた時代に、いよいよじかに包囲されることになる。法律や制度、習俗や縁、そういった生の背景がもはや背景ではすまなくなるからだ。が、そういう拒否や遁走にまでつきまとう、おそらくは記憶にすら留められていない背景というものがある。わたしたちの個々の存在を編んでいる意味の糸、個々の存在が憑かれている象徴の網、それらはある係数をもって思考をたわませ、欲望のかたちを象り、感情の決めを作りだし、記憶を曲させ、他者との縁というものを紡ぎ出す‥‥‥。言ってみれば、思考や感情や欲望の土台もしくは空間に刻み込まれた「観念」とでも言うべきものであって、それがじつは、わたしたちの存在を貫通するあらゆるシステムのみならず、そうしたシステムの貫通や包囲をかわそうというその抵抗のスタイルをも規定していることは、誰もが苦々しい想いをもって認めざるをえない。その意味で、時代を拒否するとは、ほとんどじぶんの存在を脱臼させるにひとしい。(『<わたし>と国家のあいだ』鷲田清一)

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