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McLean Chanceの「Love Cry」 アルバムレビュー vol.1

Derek Bailey『Solo Guitar vol.1』(Incus)

Personnel; Derek Bailey(g)

Recorded at London in February 1971

デレク・ベイリーの死後に和訳された評伝。

ジャズという音楽は即興演奏の素晴らしさを改めて知らしめたという側面がありますけども(西洋音楽が楽譜に書き留め、それをセントラルドグマにするように音楽の方が、実は世界的に見ると少数派なのだが)、そこをものすごく極端にまで突き詰めて、全く独自の音楽に向かっていったのが、デレク・ベイリーです。


ベイリーは無機質でユニークな音を出してますが、ギターのチューニングは一切弄ってはいなかったそうです。

彼はもともとは、ジム・ホールに影響を受けたジャズギタリストでしたが、セッション・ミュージシャンとして、シャリコマの仕事をしていました。


後のベイリーからは想像もつきませんが、カウント・ベイシーと一緒に写真に写っています。


右端がベイリー。


左でベイスを弾いているのがベイリーで、右端にいるのがカウント・ベイシー


そんな彼が、1960年に入ると、ベイシストのギャビン・ブライアースとドラムスのトニー・オクスリーとともに、メロディも和声もリズムも拒否した演奏というものを追及しはじめるんです。


このトリオは「ジョセフ・ホルブルック」と名付けられましたが、正規な録音は発表されませんでした(後に、当時の録音が発表され、かなり後になってからtzadikというレーベルからアルバムが出ました)。

後年発売された、ジョセフ・ホルブルックの演奏。コルトレインの曲を演奏しております。

後世に再結成して録音されたジョセフ・ホルブルック。


リズム、メロディ、和声を拒否して残るのが、即興演奏でした。


ジャズの即興は、むしろ、リズム、メロディ、和声に基づくもので、フリージャズはコレを意図的に壊しているんですが、拒否や否定まではさすがにしてません。


ベイリーはフリージャズがやっていたことすら飛び越えて、オチもヤマも設けずに即興演奏を行う。という、ものすごい理念というか意思表示をしたんですね。


こんな考え方に次第に共感する人々がイギリスだけでなく、ヨーロッパやアメリカ、果ては日本にまで影響を与えて、それらは即興音楽と呼ばれるようになりました。


とはいえ、そんなカッ飛んだ音楽はほとんどの人に理解されなかったので、なんと、ベイリーは、『インプロヴィゼーション』という本まで書いてしまいました。


もとはBBCラジオの番組で、ベイリーが様々ミュージシャンにインタビューした内容がもととなっているので、彼の考える音楽の理念や仕組みなどについて語っているというよりも、それぞれのジャンルのミュージシャンにとっての即興について具体的に考えながら、彼の提唱する、「ノン・イディオマティック・ミュージック」を浮き彫りにしていくというもので、彼の音楽を理解する上では重要な文献ですけども、私はどんな音楽であっても、やはり、まずは虚心坦懐に聴くことから理解していくことが何よりも大切だと思います。


1971年の作品ですから、当然のように、LPで発表されているんですが、A面、B面では、やろうとしている事が違います。


どちらもベイリー的としか言いようのない演奏である事は変わりませんけど、A面は全て「Improvisation」に4から7までの番号が振られているだけの4つの演奏があり、B面はそれぞれ、作曲された曲をベイリーの考え方で演奏した3曲が入ってます。


一方はいきなり、何もないところからの即興演奏であり、他方は作曲されたものを彼の考えに基づいて解体/再構成したもので、やはり、その違いはハッキリと聴き取れます。


4つのインプロヴィゼーションは、文字通り、その場での即興でして、起承転結も、盛り上がりも、一切拒否して作り上げた、ものすごく唯物的なギター演奏で、クールとか、そういう次元をはるかに超えた無機質感がただ事ではないです。


曲という要素はほとんど希薄で、徹底した意志に貫かれた演奏ですね。


一切の迷いや逡巡が感じられず、そこが私はとてもすぎなんです。


B面は、ものすごく解体されてはいるものの、曲を演奏しているという事から絶対に離れずに、かつ、A面のような完全即興の方法論、つまり、ノン・イディオマティックな演奏を貫徹するという、コレまた大変な事をやり遂げています。


こう言う発想がどういうところから生まれたのか、それは誰にもわからないと思いますが、とにかく、こんなユニークな音楽を生涯にわたってやり続けた(ジェーム・ブラウンと同じ日に亡くなっているのも象徴的です)デレク・ベイリーは、20世紀を代表するミュージシャンと言ってよいと思いますし、この演奏が与えた影響は、計り知れません。


しかも、その彼がジャズギタリストであり、現代音楽の演奏家のような、音楽の高等教育を受けたエリートではなかった点も興味深いですね。


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