中の人など居ない

結果重視論者との邂逅
「試験でも勝負でも勝利しなければ意味が無い」という知人と討論をしてみました。
あくまでも口ケンカでなく討論です。論理性ゲームと言っても良いでしょう。
書物でもある程度の勉強はできますがやはり実戦が1番おもしろいです。
相手「努力の過程でどれだけやろうと結果が全てだ。まあほとんどかな。」
当然私は「過程も結構大事だよ。」という論旨で返すのが本来でしたが、ちょっと捻りました。
私「そもそも結果の定義ってなんだろうか?」
相手「試験の合格、不合格や勝敗のように過程の先にある一定の結論かな。」
私「なるほど。今思いついたんだけどさ、どこまでを結果と見るかで単位を細かくするとどうかな?」
相手「?それはどういうこと?」
私「つまり、努力の過程でなく、努力の結果得られるものがあるというか。」
相手「試験や勝負の結果ってことじゃなくてか?」
私「例えば勉強してる時点で知識は増えるじゃん。合格不合格に関係なくさ。それが
そもそも結果というか成果みたいなもんでしょ?」
相手「本来過程のはずだが、それも結果としてみるわけかい?」
私「そうそう、以前ダイエット目標の細分化を語ったことがあったでしょ?あれに近いかな。」
相手「それがあれば仮に不合格でも努力して無駄だったという無力感の影響を抑えられるわけか。」
わざと間違いや失敗をしたり、手を抜くのは論外ですが、それを恐れず、謝罪して突き進まないと
時間が勿体無い。萎縮して行動しないのはヒトが老化してる以上、緩やかな敗北です。
自分がやりたいことがあるのに遠慮しててはダメだとは番長が教えてくれています。
だからといって高校生の時、本来30分のところで道で迷い12時間かけたり、父親に
「お前は方位磁針をもて!」と怒られたりするのは流石に正当化されませんかねぇ。(笑)
元に戻りまして。一定の結論として「効率の悪い努力はあれど努力し始めてる時点で
既に戦う権利はある!無駄な努力など無い!」ということでしょうか。
「無駄な努力など無い!」のイントネーションは「中のヒトなどいない!」と同じイメージでお願いします。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。