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優しさのクオリア(2023.7.17)

どうして、ウォヌだったのだろうと思う。
SEVENTEENにおける『推し』の話だ。
どうして、ウォヌを推しにしようと思ったのか。いまだにふとした瞬間、そんなことを考えては、明確なきっかけを覚えていないことに苦笑し、首を傾げてしまう。
気づいたら好きになっていた。
そんな陳腐でありふれた表現を、今さら身を以て経験することになるなんて思わなかった。アイドルのファンを名乗るようになってから実に15年が経つ。その短くない年月の中で、推してきたグループも担当もそれなりにいるけれど、ウォヌみたいに気づいたら隣にいた、みたいな人は初めてだ。

クオリア、という言葉がある。簡単に言うと、物事の概念ということだ。たとえば空の青には空の青のクオリアがある。それは説明できない。目の見えない人に空の青さを説明できないように、クオリアは言語化できない。わたしたちは、その色を青と呼ぶという共通認識のもと青と呼んでいるが、果たしてわたしの見ている空の青と、他者が見ている空の青が全く同じであるという証明はできない。それぞれの人の中に、それぞれの人なりの青のクオリアがある。
優しさ、というものは形として存在しない。けれどもしも、優しさのクオリアを可視化できるとしたら、それはウォヌなんじゃないか、と思う。推し故の盲目さで、そう思う。少なくともわたしはウォヌを通して、この世界にはまだこんなにも優しさという救いが存在しているのだと知る。その優しさが、万人を魅了するのだ、ということも。
ウォヌの柔らかな眼差しに、胸に手を当てて歌う仕草に、前へ進んでいく広い背中に、甘くほろ苦く響く歌声に、優しさのクオリアを見る。


初めてウォヌをウォヌと認識して観たのは、たぶん、バラエティー番組「出張十五夜2」でのことだ。

「Fear」のゴリゴリなBGMの中、微笑を湛えて静々と入場してくる姿に「少なくともバラエティー班ではなさそうだ」と思った。
(ちなみにこの入場の時にドギョムから、MAMAの時のやつやってと言われており、左下に小さく参考画像が出てくるのだが、あとで公式の映像見てギャップに白目剥くとこまでがセットだと思う。良すぎて気狂うかと思った。コンセプトにはきっちり従うプロだな…と感心した)
その後も、二人組のチームとなったディノと互いの欠点を言い合うという場面で、ウォヌはディノから「もっと喋って」「無口すぎる」と言われており、やっぱり大人しそうな印象通りだ、と思ったことを覚えている。
そんな、ただの無口な人というウォヌの印象が、私の中ではっきりと変わった時のことはよく覚えている。
それは「In the SOOP1」Ep1で、全員の寝床をどこにするか決める時の一幕だった。一人部屋の数が限られており、全員がベッドを使えない中、誰がどこで寝るか、という話し合いをみんなでしている時、誰かが言った。
「じゃあジョンハンが一号棟の大きなベッドでメンバー一人抱っこして寝て」
「そして、ミョンホはこの部屋で寝て」
ぽんぽんと進んでいく会話に気を取られて、そうやって仕切っているのが誰か、最初観た時はうっかり見過ごしていたのだが、いつの間にかスムーズに話がまとまったな?いったい誰が仕切ってたんだっけ?となって、もう一度確認すると、それがウォヌだったのだ。
その後のインタビューでも、ジョンハンもミョンホも音や光に敏感でよく眠れないから一人部屋を使わせてあげたかった、と言っていたウォヌ。
この一件で、私の中でウォヌの印象ががらりと変わった。思慮深く、周りをよく見ている人なのだと感じた。そこから、だんだんウォヌのことを意識して見るようになった。

ウォヌは、メンバーと一緒の時、よく笑うしよく喋る。言わなきゃいけないことは言うし、メンバーからの振りには全力で応える(@ペンミのぶっきらぼうでごめん)
WeverseLIVEでゲーム配信をしていた時も、二週間ぶりの休みだというウォヌに「時間が空いたら休まないと」いうCARATに対して、
「これって仕事という感じがしないし僕は遊びに来てる感覚だから、休むついでに遊びに来ました」
と決して義務感でやってるわけじゃない、心配しなくていいんだよと暗に伝えてくれるところに、彼の優しさが滲んでいた。
無口ではなく、寡黙な人なのだと思う。気遣いを気遣いと感じさせずに、周囲に施すことのできる人。困っている人がいたら当たり前のように寄り添い、手を貸すことのできる人。言葉遣いの端々にまで、その優しさは巡らされている。


知れば知るほど好きになった。どうしよう、と思った。こんなに好きになってどうしよう、と。
ゲームをやっている時のウォヌは、ずっと前から知っている仲の良い男友達のような距離感でいてくれるのに、ステージの上のウォヌは、その視界に入ることすら烏滸がましいと思ってしまうほどの、圧倒的なオーラを纏ってそこにいる。
それなのに、一秒後には、貴方のその眼差しの先にどんな景色があるのか、貴方が見ているものは何なのか、そこに私を刹那でいい、映してくれないかと願わずにはいられない。
どうしよう。こんなに貴方を好きになって。
明日もし、私が心変わりするとして、それならいっそ今日殺してくれとすら思う。
恋じゃない、と思いたいのに、いつか遠い未来で、貴方のことがたしかに好きだったと、あれはたぶん恋だったと、懐かしく振り返る日がきっと来るだろう。



ウォヌへ。
わたしの知らないところで、悲しいことや苦しいことが、貴方の身に起こりませんように。
わたしが知らないところにいても、いつも健康で、ただ幸せだと笑っていてください。
貴方がどこにいても、何をしていても、誰を想っていても、いつでもわたしは、貴方の幸せを願っています。
27歳のお誕生日、おめでとう。

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