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木爾チレン「みんな蛍を殺したかった」読後感

辻村深月先生がよく描く"進学校"系のお話とは真逆の、いわゆる"底辺高校"に通う女子高生たちの物語。

18歳の姪っ子から本作を勧められ、驚いた。
その著者が、2代目バチェラーに出演されていた倉田茉美さんのお姉さんということはSNS等で以前から知っており、「倉田さんのお姉さん」ではなく、作品で名前の売れている方なのだということを知った。


作中に度々出てきた『生きるために、生きている』というワード。

私個人としてよく考えることだった。
リモートワークが日常となり、仕事中も最低限のコミュニーケーションしか発生せず、そのまま終業を迎えて一人ぽつんとご飯を食べ、ただ一人好きなことをして寝る生活。
だからと言って、誰かに会ったり連絡を取りたいという気持ちにもなれず。SNSを見れば、子どもとの日常を綴る投稿が溢れている。特にそれを嫉ましいと思うことはないのだが、ふと、「いったい自分は何のために生きてるんだろう」と思うことがよくある。死にたいと思うこともないが、「この独りよがりな生活はいつまで続くのだろう、続く必要があるのか」と。
自分の今のその感情を言い表しているような一言。


また、「容姿と性格に相関性なんてない、オタクなんて滅びろ」と思っていた蛍が、最終的に「醜い自分は、綺麗だった頃の自分よりも不幸で、結局自分があれほど憎んでいたオタクになってる」というシーン。
ミイラ取りがミイラになる、延いては、「今の自分では理解できないと思うような相手であっても、環境や条件が変われば立場も変わる」というメッセージなのかなと理解した。


これは蛇足だが、
「キリ番」「スライドケータイ」「ルーズソックス」「花鳥風月(プリ機)」
2005年から2010年にかけて中高時代を過ごした私は、今でいうガラケーが世に浸透し始めたタイミングで、文中に出てくる女子高生同士のメールを見て、何とも言えない"エモい"気持ちを思い出した。
当時の中高生にとってのメールは、ただの連絡手段ではなく、一つ一つの文章を大事に、文章を「打ち込む」ことを目的にしていた気がする(少なくとも私は笑)
今のようなLINEやDMで、用件や話し言葉を短文で送り合うようなものではなく、"メール"のための文章構成だったなぁと。

一人で読書に耽っていると、選書に偏りが出てきてしまって視野が広がりにくいので、姪っ子から薦めてもらえてよかった。1日で読んでしまいました。

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