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現役工業高校生が日本の航空宇宙開発について考える(後編)

いろいろとありまして、10日ほど遅れてしまっているわけですが今回は後編ということで、航空機開発について書いていきたいと思います。

1.日本の航空機開発の歴史

日本の航空機開発は、明治時代末期から始まりました。1911年には日本初の飛行船「横田号」が開発され、その後、1916年には初の国産飛行機「藤間寺号」が製造されました。これらは軍事・民間両方の航空技術の基礎を築きました。

1920年代には陸軍航空技術廠(後の陸軍航空本廠)が設立され、軍事航空機の開発が進められました。1922年には川西航空機が設立され、その後も九州航空機や三菱重工業など、各社が航空機の開発に取り組みました。

1930年代には、九七式艦上攻撃機や九六式陸上攻撃機など、日本独自の航空技術が発展しました。1937年の日中戦争や1941年の太平洋戦争において、日本の航空技術は軍事的な戦力として重要な役割を果たしました。

戦後の航空機開発は、1945年の敗戦により一時的に停滞しましたが、1954年に航空自衛隊が発足し、日本独自の防衛航空機の開発が再開されました。1955年には三菱F-1が初飛行し、以降、技術革新が進められました。

1960年代から1970年代にかけては、民間航空機の開発も進展しました。1962年にはYS-11が初飛行し、日本初の国産旅客機として商業的に成功を収めました。その後、ボーイングとの共同開発で737の部品製造を手がけるなど、日本企業の国際的な航空機産業への参入が進みました。

1980年代以降、日本の航空機産業は技術革新と国際競争の中で成長し続けています。特にボーイングとの協力関係を深め、次世代のボーイング787の開発にも参加しました。また、小型のジェット旅客機やヘリコプター、衛星打ち上げロケットの開発も進んでいます。

現在では、日本の航空機産業は高度な技術力と革新的な設計で世界的な評価を得ています。民間航空、防衛航空、宇宙航空など、幅広い分野で活躍しています。将来的には、より環境に優しい航空機の開発や宇宙開発技術のさらなる進展が期待されています。

2.日本初の国産旅客機となったYS-11

YS-11は、日本航空機製造(現・新明和工業)によって開発されたターボプロップ旅客機です。1950年代後半から1960年代初頭にかけて設計され、日本初の量産旅客機として登場しました。その特徴的な外観は丸みを帯びた胴体と低翼配置の主翼、T字尾翼で、乗客数は約60から100名程度でした。

YS-11は、地域間の短距離や地方の路線で幅広く運用され、日本国内外の航空会社で採用されました。静粛性や燃費の良さが高く評価され、技術的な進歩を象徴する機体でもありました。その静音性は特に注目され、操縦士や乗客から好評を得ていました。

運用初期には、特に日本国内の地方空港や島嶼部への就航において重宝され、日本の地方交通の発展に寄与しました。また、一部のYS-11は日本の自衛隊や海上保安庁などで軍事用途にも使用されました。

1980年代後半以降、新たな航空機の登場や需要の変化によりYS-11の運用は次第に減少しました。1990年代初頭にはほとんどの航空会社が退役しましたが、一部の機体は貨物輸送や他の特殊な任務に再利用されました。その後、YS-11は日本の航空史において重要な一ページを刻んだ機体として、技術的な遺産としても認識されています。

YS-11の開発と運用は、日本の航空産業の成長において重要な役割を果たし、その後の航空機開発にも多大な影響を与えました。その革新的な設計と信頼性の高さから、多くの航空愛好家や技術者にとって、忘れがたい存在となっています。

3.MSJ(Mitsubishi Space Jet,旧MRJ)

Mitsubishi SpaceJet(MSJ)は、三菱航空機株式会社が開発した新世代のリージョナルジェット機であり、日本の航空産業における重要な取り組みの一つです。MSJシリーズは、主に地域間航空路線や近距離の旅客輸送に特化した設計であり、効率性と快適さを両立させることを目指して開発されました。

MSJの最初のモデルはMRJ(Mitsubishi Regional Jet)として知られ、その後に名称がMSJに変更されました。このジェット機は、2つの主要なバージョンであるMSJ70とMSJ90があります。MSJ70は70席程度を収容し、MSJ90は90席程度を収容する設計です。これにより、地域間の需要に応じた柔軟な選択肢を提供します。

MSJシリーズの設計は、先進的な航空機技術を駆使しており、エンジンから機体の軽量化、燃費効率の向上に至るまで、革新的な取り組みが盛り込まれています。特に、燃費効率の改善は、運航コストの削減や環境への負荷低減に寄与しています。

開発の過程では、エアバスやボンバルディアなどの国際的な航空機メーカーとの協力が行われ、世界的な航空安全基準に適合する高い品質と信頼性が確保されています。また、乗客の快適性や運航の信頼性を追求するために、先進的な航空機内システムやエルゴノミクスにも配慮されています。

MSJの市場投入にあたり、三菱航空機株式会社はグローバルな航空機市場での競争力を強化し、日本の航空産業の地位向上に貢献することを目指しています。地域航空交通の発展という観点からも、より効率的で持続可能な選択肢を提供することで、航空輸送の未来において重要な役割を果たすことが期待されています。

総括すると、Mitsubishi SpaceJetは日本の技術と航空産業の先進性を象徴する存在であり、地域間航空輸送のニーズに応える革新的な解決策として、国際的な航空機市場で注目される存在となっています。しかし、このプロジェクトは、日本の航空産業において国産のジェット旅客機を再び生み出す意欲的な取り組みでしたが、途中で多くの課題に直面しました。

開発初期から技術的な問題が発生し、特にエンジンの信頼性や燃費性能、航空安全基準の適合性などが課題となりました。さらに、開発コストの増大や開発期間の長期化もプロジェクトに影響を与えました。2019年には、初号機の納入が延期されたことが発表され、その後も開発の遅れが報じられました。

経営的な観点からも、三菱重工業は航空機部門の収益性向上を求められる中で、MSJの開発を継続するかどうかについて検討を迫られました。2021年になると、三菱重工業はMSJの開発からの撤退を決定しました。これにより、三菱スペースジェットの開発は事実上中止される形となりました。

この決定は、日本の航空産業における大きな挫折と見なされる一方で、技術的な経験やノウハウの蓄積、新たな挑戦への教訓ともなりました。今後の日本の航空産業の展望や、国際的な競争力の維持に向けた取り組みが模索されています。
日本初の国産ジェット旅客機となるはずだったMSJ(Mitsubishi Space Jet)は中止されましたが経済産業省は次世代の国産旅客機を2035年以降をめどに官民で開発を進める案を、3月27日の産業構造審議会で示したそうです。

次の国産旅客機の開発は無事に成功すると良いです。
想定より長くなりましたが、以上で現役工業高校生が日本の航空宇宙開発について考える(後編)を終わりたいと思います。
見てくれてありがとうございます。前編が気になる人はこちら