【初京都】福井藩なスポットを巡る京都旅


皆さんこんにちは、まゆさなぎです。大学の春休みを利用して京都に行ってきました。修学旅行でも奇跡的に京都に行ったことがなかったので、観光ももちろん楽しみ。でもオタクとしてはやはり聖地巡礼したい……!というわけで、推し(幕末福井藩・橋本左内)の聖地巡礼もしました!観光や有名どころの史跡に関しては世のガイドブックの方が充実していると思われるので、この記事では福井藩関連のスポットのレポが中心になります。

瑞泉寺(岩瀬忠震寓居跡・橋本左内訪問の地)

まずは三条大橋からすぐ近くのお寺「瑞泉寺」。ここは元々豊臣秀次とその一族の供養をしているお寺ということで有名なところだと思うのですが、幕末には幕臣の岩瀬忠震(いわせ・ただなり)がここに滞在していました。岩瀬忠震は幕末初期の外交において大活躍した幕臣で、日米修好通商条約を結んだ時の日本側全権の1人でもあります。そんな彼が条約締結の勅許を得るために京に上った時の寄宿地に、橋本左内が訪問していたというのです。

当時2人が話したとされる部屋はあるらしいのですが、入ることが出来ません。外からも見れません。まぁそういうことはよくあるので気にせず、2人がここにいた……というだけでも素晴らしすぎて感動してました。
瑞泉寺の休憩所には豊臣秀次関連の資料や新聞記事が貼ってあります。特に、姫君や妻、乳母といった女性たちの辞世の句の掛け軸は結構衝撃的でした。掛け軸の後ろの布は遺品の小袖で作られてて、結構ゾッとします。着物の柄から、「この年齢で亡くなってしまったんだ……」というのをまざまざと感じます。

堺町御門

京都御所の南に面する堺町御門。ここは禁門の変の際に福井藩がメインで戦った地点になります。

禁門の変における福井藩の奮闘は、村田氏寿が『続再夢紀事』に書き残しています。それによると、福井藩は久坂玄瑞や入江九一が最期を迎えた鷹司邸にも攻撃をしていたそうです。
御所の敷地内は公園になっていて、梅の花を撮ってる人やお散歩中の保育園児などが来ていました。A4の紙と鉛筆があればできるスクラッチラリーもあるらしいので、このふたつを持っていくべきだった!!!と後悔しました。次行く時はリベンジします……。

上善寺(贈正四位入江九一外七名首塚碑)

市営地下鉄鞍馬口駅で降りて、東の方に向かうとあるお寺、上善寺。ここには入江九一らを祀った首塚があります。

この首塚を建てたのは越前藩士なんです。禁門の変の後、長州兵の遺体を埋葬することは禁じられていたようなのですが、これを気の毒に思った彼は松平春嶽にお伺いを建てた上でこの慰霊塔を建てたそうです。慰霊塔そのものはは見ることが出来ませんが、門前にはきちんと石碑が立っています。

横井小楠殉節地

先程の堺町御門のすぐ近くにあるのが横井小楠殉節地の石碑。

横井小楠は熊本出身の学者で、松平春嶽に招かれて福井藩の政治に深く関与しました。この招聘のために熊本まで出向いたのが前述した村田氏寿で、彼が熊本まで向かった時の旅行記も残っています。また、横井小楠は橋本左内との面識もある、福井藩には縁が深い人物です。横井小楠は明治になって新政府から招聘されますが、明治六年に暗殺されてしまいます。その暗殺された地がここ。移動中の暗殺だったため、歩道沿いに石碑が立っています。どのような気持ちで政治に身を投じていたのか、暗殺された時何を考えていたのかを考えてしまいます。

福井藩邸跡&橋本左内寓居跡

最後は同じ敷地で数十メートルしか離れてないため一気に紹介、福井藩邸跡&橋本左内寓居跡。

二条城の目の前にあった福井藩邸の敷地は現在ではホテルになっています。橋本左内は藩邸を拠点に、桃井伊織の変名を使って京都で一橋慶喜擁立のために活動していました。ちなみに先述した岩瀬忠震が暮らしていた瑞泉寺からは徒歩30分くらいで着くらしいです。私は観光&寄り道しながら歩いてきたので3時間かかりました。

京都市各地に広がる福井藩の遺跡は面白いところばかりでした!今回は嵐山や洛外の方まで行く元気と金銭的余裕はなかったので、次行く時はその辺まで調べあげて行ってみたいです。

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