朝ドラ『虎に翼』についてのBlueskyポストまとめ(6) 2024年9月(最終月)

(気になった、もしくは自分が何か書けそうな回のみ感想をポストしています。日付はポストした日のため、必ずしも本放送日回と一致していない場合があります。また、ポスト時の感想に一部加筆、修正しています)


○2024年9月3日
砂川闘争において、在日米軍基地にデモ隊の一部が立ち入ったことを裁く過程で、日米安全保障条約が違憲か否か、という高度に政治的な判断に司法は介入しない、と最高裁は判決を下し、原判決を破棄し、地裁に差し戻した。これがいわゆる「統治行為論」だ。
原爆裁判には、この砂川事件裁判と似たような印象をおぼえる。原爆は新兵器であり、これを禁じる条約はなかった。講和条約で、日本はアメリカへの賠償請求権を放棄した。戦時中、日本国憲法は存在しなかった。国側鑑定人の言うことは、つまりは「条約(法)の不在や不作為を盾にして、政治的な判断を回避している」と映る。アメリカに「配慮した」統治行為論と相似形だ。
 
○9月5日
のどかが朋一に言った「どうにもならないことに腹を立てるのはやめなよ。疲れるだけだから」という言葉は、どうにもならないと思われてきたことに疑問を呈し続けてきた寅子を主人公に据えた本作の大テーマに触れた。そして、よねが原告の吉田ミキに言う「声を上げた女に、この社会は容赦なく石を投げてくる」という言葉は、原爆裁判のことだけでなく、近年の「Me Too運動」を想起させる。自身の性的被害を訴えたジャーナリストの伊藤詩織氏は、心ない誹謗中傷に晒された。ハリウッドの有力プロデューサーの長年にわたる性暴力を告発する様を描いた映画『シー・セッド』では、取材を拒否する被害者が多数いたことが明かされる。
 
○9月6日
僕は介護職の経験があるのだが、認知症者が、いちばん身近なひとのことから忘れていくのはなぜか、について、仮説がある。自分が衰え、何もできなくなっていく情けなさや恥ずかしさ、そんな姿を肉親に見せたくない、との思いから、忘却によって身近なひとを「他人」にしてしまうから、というものだ。百合は亡夫のことは覚えているが、寅子や航一を忘れていくのかもしれない。
原爆裁判は結審した。原告の請求は棄却された。しかし、原爆投下は国際法違反であり、被爆者の救済策に関しては、立法府である国会と行政府である内閣の責務である、との判決を下した。これは「意義のある裁判」になった、と言えるか。
 
○9月10日
「再び世間を騒がせる尊属殺人事件」として伏線が張られていたのは、斧ヶ岳美位子が実父を殺害した事件のことだった。これは、1968年に現実に起こった「栃木実父殺害事件」がモデルであるようだ。長年にわたり性的虐待を受け、職場で知り合った男性と結婚したい旨を告げるも激高され監禁。耐えかねて、実父を絞殺した事件。よねは、自身の境遇と重なる部分を感じたかもしれない。
東大副学長を務めた社会学者の吉見俊哉氏の最終講義は「東大紛争1968-1969」と題し、安田講堂で行われ、一般視聴者に配信された。東大紛争は、その後過激化(内ゲバ化)していく学生運動のメルクマールだった。汐見と香淑の娘、薫の心境は……
 
○9月11日
60年代アングラ文化は、学生運動や性の解放を描き「左翼的・リベラル」と見なされることが多いが、仔細に見てみると、「母胎回帰」モチーフや「社会が変化しても何も変わらない」との幻滅が見てとれる。つまり「右翼・保守的」だ。司法判断の恣意性を批判する朋一、裁判官に代表される権威に楯突く学生たち。一方、女性法曹の不適格性の指摘の列挙に怒りながら、「社会は急な変化を恐れる。声を上げ続けることが大事」と語る寅子。社会の変化とバックラッシュ(揺り戻し)。この繰り返しだ。
アングラ文化は「変わりたい」と「戻りたい」に引き裂かれたメンタリティだった、と考えることができる。そうやって、社会はしかし変わる。
 
○9月12日
1956年経済白書の序文には「もはや戦後ではない」との一節があった。ここから高度経済成長が始まり、70年代初めに終焉。60年代後半から70年代初めにかけ、四大公害病裁判が起こり、学生運動が過激化(内ゲバ化)し、第二次安保闘争があり、あさま山荘事件が起こり、沖縄返還にいたる。59年の皇太子明仁と美智子のご成婚パレードをきっかけに一気に普及したテレビで、寅子は桂場の最高裁長官就任所感を見ていた。
航一の狼狽をよそに、寅子ははるに言われた「地獄を進む覚悟はある?」との言葉をかけ、頷いた優未は寄生虫研究を断念。のどかは「絵描きもどき」と結婚。少年法改正が俎上に。「大状況」も「小状況」も波乱だ。
 
○9月13日
友人が少なそうな桂場だが、ライアンと多岐川は数少ない友人の内の親友だったろう。寅子とは、穂高という師を同じくする「兄妹弟子」的な関係かもしれない。その穂高が亡くなった際、司法の独立を貫く「穂高イズム」を守る、と決意を口にしていた桂場。彼のモデルとされるのは、第5代最高裁長官の石田和外だ。石田は、リベラル派法曹の集まりである「青年法律家協会(青法協)」所属者を冷遇した「ブルーパージ」を行ったことで知られる人物。これは、司法への政治の介入を嫌った石田が先手を打った、と解釈されている。法曹界が保守的であることを望んだ石田。桂場も、やはりそのようだ。が、裁判員制度導入など、司法は開かれていく。
 
○9月16日
ハワード・ゼア『修復的司法とは何か』では、「コミュニティ司法」に関してページが割かれている。法システムの機能は紛争解決だが、その規模は国際社会から個人間にまで渡る。刑罰を科す「応報的司法」は国家大になった法システムの主な紛争解決手段となったが、被害者と加害者の関係を調整する「修復的司法」はコミュニティ(共同体)大での解決手段でもあった。
法制審議会で、少年法改正を後押しする国民の空気がある、と言う時、それはどの程度か。そもそも「犯罪少年」の顔が、どれほど見えているか。尊属殺人に問われている美位子の裁判も上告された。
面識圏を超えた人々の事情を、私たちは想像し難い。よって不必要に恐れる。
 
○9月17日
西澤哲『子どものトラウマ』を読み、虐待を受けた子どもがショックから心を守るため、その体験をフリーズするというメカニズムを知った。それが深刻化すると、体験を受けた人格を分割する「解離」に至り、和田秀樹『多重人格』では、多重人格障害の原因だと説明される。
美位子への父親からの長年に渡る身体的・心理的・性的虐待とも言える行為は人間の所業とは思えないが、よねが言う通り「ありふれた悲劇」だ。そんな社会を変えたいと航一に訴えるよね。
桂場は、寅子が口にした「穂高イズム」に対し、そんなものを掲げていてもこの場所にはいられない、と返す。多岐川の幻影は、桂場が自分を救うために無意識に呼び出したのかもしれない。
 
○9月18日
美佐江の姓は「森口」
 
寅子に声をかけたセーラー服の少女は「並木美雪」
 
迎えに来たのは「並木佐江子」
 
新潟と言えば、有名なのは米と豪雪
 
並木道は森の入り口へ
 
音羽の腕に赤い腕飾りがないか、確認する寅子……
 
やにわに緊迫してきた
 
○9月19日
評論家の浅羽通明氏は、旧司法試験に合格した後弁護士にはならず、塾の講師をしながら、オカルトに耽溺していた。それはさておき、涼子は司法試験に合格後、弁護士への道を留保。自分なりの世の中への「股間の蹴り上げ方」だと。
ずっと法律事務所に居たいと言う美位子に、お前の父親や法律や世の中がクソなだけで、おまえが可哀相なわけじゃない、と告げるよね。人と比べて安堵するな、とも。伊藤沙莉との対談で米津玄師は、「社会の構造がもたらす理不尽」をさりげなく強調していた。姉の問題解決のため、悪徳弁護士と一夜を過ごしたよね。「ブルーパージ」に遭い左遷された朋一。社会に翻弄され、もがきながら、平然を装う。美雪はどうか。
 
○9月20日
穂高も桂場も司法の独立を守る、という意志は同じだ。だが、変わるべき時は変わらねば、という穂高は進歩的。「時期尚早」を口にし、慎重な桂場は保守的。珍しく語気を荒げ、人権蹂躙を放置したまま、何が司法の独立か、と問うた航一。変化の中の一貫性を尊ぶのが、保守ではないのか。
美佐江は死にました、と母の佐江子は寅子に告げた。亡くなりました、ではない。残されたメッセージは、自殺を示唆する。東京に出て来て、自分は特別ではなく、ただの女だと感じるようになったと。しかし「自分は特別だ」と思ったことのないひとなどいるだろうか。ひとは皆本源的には「特別な存在」として生まれ落ちる。そして特別でないことを受け入れる。
美佐江は「特別な私」を諦めることができなかった。幼児期から思春期にかけて肥大した「全能感」を手なずけられなかった。あまた存在する「中二病者」の代表だ。その意味で、まったく「ありふれた存在」だとも言える。
 
○9月24日
●憲法裁判所不在の日本
日本には法律が憲法に適合しているか、違憲審査を専門に扱う機関「憲法裁判所」が存在しない。よって、ある法律が合憲か違憲かを判断する場合、具体的な事件の審判を通じて最高裁でなされることになる。本作では、美位子の父親殺害事件において、刑法第200条の「尊属殺重罰規定」が違憲か否かを争うことになった。尊属殺に重罰を科すのは「人類普遍の道徳原理」だとする昭和25年の合憲判決理由に抗して、山田よねは、娘に暴力を振るい続け、性的に凌辱した父親の行いこそ道徳蹂躙で畜生道に堕ちており、それを容認するなら、社会や我々も畜生以下のクソだ、と弁論を展開する。感情的に見えて実は論理明快だ。
 
●寅子への/からの「感染」
よねが最高裁で弁論した際、寅子の口癖「はて?」が重要なアクセントになっていた。作中で寅子以外に「はて?」を口にしたことがあるのは、娘の優未とライアン、そして小橋だった。が、小橋は「昔のお前なら、『はて? はて?』と言ってただろうな」と寅子をからかう文脈だったので、実質2人。そして、よねが3人目だ。よねは一貫して怒り含みの感情的な「は?」が口癖だったが、認知的レベルで対処する「はて?」が弁論のトーンを落ち着かせている。他者にミメーシス(感染的模倣)をもたらす寅子は、しかし、自身も他者から感染している。それは穂高であり、優三だ。美雪との対話に、それは表れていた。
 
●『虎に翼』における「美佐江/美雪」の意味
美雪の不敵とも見える態度に、音羽が制止しようとしたが、寅子は「続けて」と促した。また、美雪が、母・美佐江がそんな乱暴な答えに納得するか、と問うた時、今、あなたの質問に答えている、母親の話はしていないと返している。穂高が寅子の素朴な疑問を受け止めた時、そして、穂高が目の前の寅子を素通りした言葉を発した時と関連している。後者は、穂高を反面教師とし、目の前の美雪と向き合っている。母親の言葉に捕らわれず、どんなあなたでもいい、どんなありふれた話でも聞くと告げるが、これは優三の「どんなトラちゃんでもいい、好きなことに一生懸命なら」の感染。寅子イズムだ。
桂場が美位子の事件を受理する決断を下すのに、大きな影響を与えたと思われる航一の問題提起に「法は法、道徳は道徳」との言葉があった。世間的な興味・関心の基準=道徳はそれとし、法はより普遍的な判断基準を持たねばならないとの意味か。一般道徳的には尊属殺は重罰がふさわしいとしても、憲法は「法の下の個人の平等」を規定しているのだから、この場合、道徳は退けられるべきだと。「美佐江/美雪」の問うたことの本質は、法ではダメと言うが、道徳ではOKなことが現実にある、その矛盾はどうなのか、だった。これに二重の意味で本作は答えた。「道徳はどうあれ、法が社会を守る」「法はどうあれ、道徳が社会を守る」双方真なりと。
 
○9月25日
美位子の事件のモデルとなった「栃木実父殺害事件」に対する判決とほぼ同様、刑法第200条の尊属殺重罰規定は、同199条の普通殺と比較して差別的であり、憲法第14条違反だとの違憲判決が出た。昭和25年の合憲判決において、反対意見を述べていたひとりが穂高だった。23年を経て、教え子の桂場がその意志を継承したと言えるだろう。殺人に拭い難い罪悪感のあった美位子に「生きて、できる限りの幸せを感じ続けて」と声をかける寅子。
甘いものを断っていた桂場は、チョコを食べる。
傍聴券を逃した遠藤は、自分たちの関係が認められる歴史的瞬間を、生きている間に見れるといいな、と轟に言う。同性婚は未だ認められていない。
 
○9月29日
●どんな生き方も否定しない「虎に翼」
大学院で寄生虫研究をしているという設定に、そんな伏線がどこかにあっただろうか、と少々面食らったが、しかし、優未は研究の道を断念。平成11年、男女共同参画社会基本法が施行された時には、着付け・茶道教室を開き、寄生虫研究雑誌を編集。本作のもうひとりの主人公・花江は、家族たちを見守りながら、猪爪家の「重鎮」に。寅子のように、ある分野で傑物にならなくても、「戦う女」でいなくても、どんな生き方も否定しない本作の視座がよく表れた最終回だった。
 
●寅子の「バディ」よね、そして桂場
英文学者の小川公代氏とのトークイベントで、脚本の吉田恵里香氏は、「寅子は家父長制を内面化していますよね」との小川氏の言葉に、頷いていた。そう、寅子は「良家の箱入り娘」。「結婚した女性は無能力者」との民法の規定に疑問は感じても、家父長制自体を批判する視点はない。一方、よねは貧農の生まれ。女でいることを拒否し、家を飛び出した。直感的に家父長制の弊害がわかっている。「自分を曲げざるを得ないひと」と「自分を曲げないひと」。寅子とよねは、育った環境も信念も異なっているが、それゆえ、共に相手を必要とするバディだ。そして、寅子が折に触れ、法律観を語ってきたバディが桂場だ。
 
●現実の石田和外を、虚構の桂場で塗り替える浪漫主義
桂場等一郎のモデルとされる、第5代最高裁長官の石田和外は、退官後、元号法制化実現国民会議を結成。組織は改称後、97年に日本を守る会と統一し、「日本最大の保守団体」日本会議となる。
桜には、軍国主義や戦死を美化する「散華」のイメージがつきまとう。「ご婦人が法律を学ぶことも、職にすることも反対」との桂場に、自身の新たな法律観を語り、「君のような女性が特別だった時代は終わったのだな」には「私のような女性はいつだって五万といる。ただ、時代が許さず特別にしただけ」と返す寅子。
血が流れていても、そんな地獄を喜ぶ者は、少数でもここにいる、と声を上げるよね。明律大女子部の面々や玉、轟や航一が桂場を見ている。発言を撤回した桂場の額にへばりついた桜の花びらを取る寅子。SNSで多くの人たちが指摘している通り、この行為で、フィクションの桂場が「ヘタレ右翼」の道を進む可能性を摘み取った、ということだろう。彼は「まっとうな保守」のまま、生涯を終えるのかもしれない。それが、寅子のバディたる桂場にふさわしい。現実に挫折し、あえて理想にコミットする振る舞いを「浪漫主義的」だとするなら、現実の石田を、理想の桂場で塗り替える浪漫主義を見た思いだ。
 
●寅子の法律観の変遷
不当解雇に遭ったらしい女性に、労働基準法のことを教え、弁護士事務所を紹介する優未。その相手は、美雪だった。おそらく、その事務所とは〈山田轟法律事務所〉だろう。「特別な何者か」の幻影を追っていた美雪も、ひとりの労働者になっていた。「どんなありふれた話でも聞く」と寅子が投げかけた言葉は、優未を通して、未来の美雪に少しだけ届いたのかもしれない。
航一に「私の中にお母さんを感じた。法律ってお母さんなんだよな」としみじみと話す優未。「清水が湧く泉」、「人権や尊厳から生まれるもの」そして「多様なひとたちが乗る船」へと変化してきた寅子の法律観。
皆さんにとって、法とは?
雨垂れは花びらへ。
 
●『虎に翼』が描かなかったこと
「結婚を祝うべき晴れの場とし、葬儀を暗く悲しむべき場としない」。「当事者がいない所で、勝手にそのひとのことを話さない」。「理不尽を感じたら怒るのも大事だが、『はて?』と疑問をぶつけてみてもいい」。本作は、あたかも自然のように描かれてきた様々な事柄から一歩引き、それでいいのか? と私たちに問うドラマだった。また、共亜事件裁判、戦時中の言論弾圧関連裁判、総力戦研究所の存在、原爆裁判、尊属殺違憲裁判などを通して、権力に虐げられるひとびとや、戦争の被害者、社会構造がもたらす理不尽に苦悩するひとびと、総じて「マイノリティ」に寄り添う作品であった。それが「虎に翼」だ。


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