朝ドラ『虎に翼』についてのBlueskyポストまとめ(5) 2024年8月
(気になった、もしくは自分が何か書けそうな回のみ感想をポストしています。日付はポストした日のため、必ずしも本放送日回と一致していない場合があります。また、ポスト時の感想に一部加筆、修正しています)
○2024年8月2日
敗戦後、軍幹部は判で押したように言ったそうだ。「空気には抗えなかった」と。山本七平は『「空気」の研究』で、「空気」とは物事の臨在感的把握による絶対化で、その対象に支配されることだ、と指摘した。「何か」が生々しくまさにそこにあると思うことによる拘束。山本はこう続ける。空気の支配は日本だけにあるわけではなく、どこの国でもある。重要なのは、空気に抗うことができるかだ、と。それは「水をさす」ことだ。
総力戦研究所の面々は敗色濃厚な戦争を止めようと提言したが、黙殺された。航一はその責任を重く背負っている。
寅子は航一に、あなたが背負っているものは私たちにも関係がある、と言う。罪はなくても責任はある。
○8月5日
総力戦研究所にいたことを航一が告白した際、原爆投下が「予想外」だったことが判明したが、それを差し引いても、机上演習で日本の敗戦は予測されていた。無謀な戦争を阻止できなかった、との慚愧の念が、亡き妻への思いにも重なるだろう。
花岡の妻の絵画は、家裁に飾られている。チョコレートを分け合う手。航一の妻は「満足な治療も受けられず」亡くなった。優未が写真を見せたのに応じて、家族写真を見せる航一。寅子に思慕する男たちの妻と、寅子との関係も様々だ。
「小うるさいクソばばあ」vs.「差別主義者のクソ小僧」。入倉も寅子も、互いに「色眼鏡」をかけていた。金顕洙の放火容疑事件をへて、私たちの色眼鏡も問われる。
○8月7日
97年の神戸連続児童殺傷事件後、ニュース番組の討論で高校生が「人を殺してはいけない理由がわからない。罰が怖いから殺さないが、殺してはいけない理由に納得しているのとは違う」といった発言をし、識者を凍りつかせた。社会学者の宮台真司は『「脱社会化」と少年犯罪』で、人を殺してはいけない、というルールを持った社会はひとつも存在しないと語る。あるのは「仲間を殺すな」「仲間のために人を殺せ」というルールだ、と。そしてこう言う。子どもに人を殺してはいけない理由を説明し、納得してもらわないと人を殺すような社会は既に終わっている、と。
美佐江は賢い。自分をスッキリさせるような答えがないことに薄々気づいているのかもしれない。
○8月8日
小学生のとき、ランドセルに親がつけてくれた交通安全のお守りを開けてみたことがあった。中には、何も書かれていない白い厚紙が入っていた。
「虎は千里を行って、千里を帰る」。寅子の願かけのお守り。優三は戻って来なかった。しかし、出征前に、優三が寅子に言った「トラちゃんの好きなようにして」という言葉は、戦後、日本国憲法というかたちになった。基本的人権の尊重。そして、胸が高鳴る人が現れた今、寅子の背中を押す言葉になって、再び現れた。
小野と高瀬の「友情結婚」を応援する、と告げた寅子。「優しさ」の玉突きで人が動くのだ。
○8月13日
筆記試験は合格していたが、口頭試問で「男装」を難詰され、反論したことが原因で不合格となったよね。戦争が終わり、日本国憲法が施行。よねはそのままで、自分を曲げず、弁護士になった。額装された(?)憲法第14条の前で、弁護士事務所の名前をどちらが先にするかで、ジャンケンするよねと轟。いい場面だ。
以前、桂場に、法とは「清水が湧く泉のようなもの」との法律観を語っていた寅子。時を経て、清水が湧く泉は法ではなく、「人権や人の尊厳」なのではないか、と認識が深化した。天賦人権説に近づいた、とも見える。
○8月19日
リチャード・レスター監督『スーパーマンⅢ 電子の要塞』で、スーパーマンが「悪のスーパーマン」と「善のクラーク・ケント」に分裂し、死闘を繰り広げるシーンがある。ケントが邪悪なスーパーマンを倒し、元通りの正義のヒーロー、スーパーマンとなる。
裁判官(ジャッジ)の寅子と、悩む寅子との分裂。旧民法に定められた婚姻制度への疑問が法律を学び始める契機だった寅子は、航一の家に嫁ぐことや、妻の姓が変わる前提に、やはり納得がいかない。そしてこれは、轟が遠藤と付き合っている、という事実をネガにしている。同性婚という考え方が影も形もなかった時代の二重の理不尽。『恋せぬふたり』でも「普通」が問題になっていた。
○8月20日
元宝塚歌劇団員で、LGBT活動家である東小雪さんの講演に行ったことがあり、そこで支援者を「アライ」と呼ぶことを知った。自分が見えていなかった世界のことをもっとおしえてほしい、と轟に寄り添う寅子はLGBTアライになれるか。そもそも、優三と結婚し、航一との再婚に悩む寅子はアロマンティック/アセクシュアルではない、と言えるか。アロマ/アセクはLGBTQ+の「+」に分類される性的マイノリティだとされる。
轟が過剰に男らしさ(マスキュリニティ)にこだわったのは、精神分析で言う「反動形成」かもしれない。作中では使われていない言葉だが、「ゲイ」であることを抑圧する感情が、大袈裟に男らしく振る舞わせたのかも、だ。
○8月21日
大学で「異文化理解の心理学」という講義を受けたことがあった。社会のマイノリティの世界を「異文化」と捉え、留学生、障害者、LGBT等の人たちについて考える、というもの。メディアのLGBT表象に関して、学生から「どうしていつもイライラしていたり、すぐ怒るのか?」という質問が出て、講師は「自分のことを常に人にわかってもらわなきゃいけない、というプレッシャーに晒されているから」といった返答をしていた。マイノリティは、マジョリティから、いつも説明を求められる。マイノリティは「自分が何者であるか」を語らせられる。「いつから異性を好きになったか?」とは訊かれない社会。それが伏見憲明氏が言う「ヘテロシステム」だ。
○8月24日
新民法では、夫婦はどちらかの氏を名乗る、とされたが、夫の氏を名乗ることが社会通念上当然、という意識のままなら、結局は妻が姓を変えることになる。しかし「折れたほうも、折れさせたほうも傷つく」。寅子と航一は、「永遠の愛を誓わない」ので遺言書で取り決めを行い、明律大同窓生の「判決」による支援で、内縁関係、つまり事実婚を選んだ。
選択的夫婦別姓も同性婚も、それを望む人たちを排除しない、という誰にも不利益にならない制度なのに、保守が反対するのはなぜか。それは個人を「尊重しすぎる」ことで社会規範が毀損される、とのおそれからかもしれない。しかし、変化の中で変わらないものこそを尊ぶのが保守の本分なのではないか。
○8月27日
のどかが朋一に言う「どうにもならないことに腹を立てるのはやめなよ。疲れるだけだから」という言葉は、このドラマの大テーマに触れた。寅子は、どうにもならないと思われてきたことに「はて?」と疑問を持ち、質問し、考え、議論し続けてきた存在だからだ。「女性の社会進出」は難しいと諦めたら、無駄に疲れはしなくなるかもしれない。しかし「スンッ」を強いられる社会で生きていくことになる。たとえ徒労でも、違和感をやり過ごさず、口に出して可視化する。それが本ドラマが主張してきた大事なことだ。
が、物心ついた頃から日本国憲法があった直明の生徒は、これまでの戦いの歴史を知らない。よって、女性の意見を「わがまま」と見なす。
○8月30日
まずは星家の問題を解決するために、家族のようなものを「解散!」の寅子の一言は「これにて閉廷!」の響きを感じる。
のどか、朋一、そして優未も、充分に「子どもの時間」を持てなかった。寅子は女性法曹の道を切り拓くため、航一は総力戦研究所での机上演習で日本が負けることを予測していたのに、戦争を止められなかった責任を感じ、我が子を子どもとして「甘やかす」ことができなかった。仲は悪くないが、ドライな家族。その星家の空気が、寅子と優未によって変えられてしまった。朋一とのどかが感じた嫉妬や疎外感の原因だ。
寅子は新潟での生活をへて、優未との関係を作り直した。優未が麻雀勝負を持ちかけたのを契機に、佐田家と星家は家族になっていく。
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