朝ドラ『虎に翼』についてのBlueskyポストまとめ(1) 2024年4月

(気になった、もしくは自分が何か書けそうな回のみ感想をポストしています。日付はポストした日のため、必ずしも本放送日回と一致していない場合があります。また、ポスト時の感想に一部加筆、修正しています)


○2024年4月15日
劇中劇「毒饅頭殺人事件」、寅子の想像上の配役は、母のはるが尽くした男に捨てられ、男の家からもむげにされる女給役になってる。女給は悲しみと怒りで、毒を盛った饅頭をこさえ、男の一家殺害をはかる。これは、はるの深層意識を通して、寅子が自分の隠された願望を表現した、とも見える。つまり、はるも寅子も、女性を劣位におき理不尽を強いる「男社会」に、深いところで激しい「憎悪」を感じている、ということなのかも、と思った。
 
○4月17日
昭和初め頃の貧しい農村部では、「子売り」が珍しくなかったことを、よねが「ありふれた話だ」と話し出すことで知らせるわけですね。「悪徳弁護士」が、しかし、よねにとってはある種の「救い」になったという皮肉。世の中の一筋縄ではいかない感じを、寅子たちと共に、見る者にも伝える。
 
○4月19日
寅子が疑問を抱いたり、納得いかないことに対して、本田由紀先生が指摘していた通り、「感情のレベルではなく、認知のレベルで受け止める反応」として「はて?」と発するのに対し、よねはだいたい「は?」と返す。感情のレベルで受け止めていると見えるが、それには彼女の過去と、そこに由来する強い意志があるからだ。「よねさんは、そのまま、嫌な感じのままでいて。怒りを出すのも大事」という寅子の言葉で、よねはありのままを受容された。
 
○4月22日
このドラマで、かなり重要なポイントであるはずの「女子が弁護士になれる法改正」が、当然のようにあっさり描かれるのも、従前のドラマの「あるある」回避だな。「とうとう私たちも弁護士になれるのね?!」と寅子と同期たちが快哉を叫ぶ、みたいなシーンがない。制度はやがて変わるかもしれないが、社会の意識が変わるのはもっとずっと難しい、ということを示唆してる感じだな。
 
○4月23日
女性が「スンッ」とする、つまり自分を消して空気と化すのが「男性を立てるため」「男社会の和を乱さないため」であるのに対して、男性が「スンッ」とするのは「権威を前にした時」「自分より階層が上の者と出会った時」だというのは、本当にわかりやすい。男は自分が相手の男に劣後すると思ったら、嫉妬や悔しさから空気と化す。
 
○4月24日
戦後、「家制度」が廃止されるまで、戸主が家の統率権限を有していた。この家父長制下で、夫は妻のほかに妾をもつのも容認されていた、と思われる。姦通罪が適用されるのも女性だけ、とは、まさに梅子が語っていたことではなかったか。よねは「法でなめた男をぶっ叩くため」、梅子は「法で親権を得る方途を開くため」、各々切実な身の上から、法に救いを見出だそうとしている。人が何かを学ぼうとする動機の純粋な姿なんじゃないかな。
 
○4月25日
ホモソーシャル(男性集団)の中で、仲間にバカにされたり、仲間はずれにされたくないがため、女性を見下したり、または、過剰にジェントルに振る舞う。このトクシック・マスキュリニティ(有害な男性性)に、轟は薄々気づいていた。そして、寅子たちの強さと優しさに触れ、気づきが確信にいたった。だから、虚勢を張る花岡を戒めたのだ。「偽の自分ではなく、真の自分になれ」と。花岡は、反省する。
母親を亡くしている花岡には、梅子という存在は、どこか母性の象徴のように感じられるのかもしれない。だから、本当の気持ちを打ち明けられた。
 
○4月30日
長期勾留し、容疑者に保釈や親類に累が及ぶことをちらつかせて自白を促す、いわゆる「人質司法」が共亜事件の被告たちにも行われていたようだ。直言の自白をくつがえす証拠が、結婚以来はるが「主婦之手帖」につけていた日記の記述だったのは、やや皮肉を感じる。夫が「紳士之手帖」に妻の言動を記録している、などということはほぼないだろうからだ。ケアされるのが男で、ケアギバーが女、という社会構造が、こうした場面でも、やはり男を救うのだ。

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