朝ドラ『虎に翼』についてのBlueskyポストまとめ(4) 2024年7月
(気になった、もしくは自分が何か書けそうな回のみ感想をポストしています。日付はポストした日のため、必ずしも本放送日回と一致していない場合があります。また、ポスト時の感想に一部加筆、修正しています)
○2024年7月2日
以前、桂場に、法とは「清水が湧く泉」のようなもの、とイメージを語っていた寅子。星長官の『日常生活と民法』の序文は、法律を法律家の専有物にしてはならず、広く多くの人々が理解し、協力して彫琢していくべきもの、との理念が示されていた。私たちは水を清く保っていかなければならない。この時の「清さ」とは、日常にある「豊かさ」を守ることで測られるのだろう。優三が果たしたかった、法律の本を出すという夢を、寅子が「補修者」というかたちではあれ、代わりに叶えたのだ。
○7月4日
素行不良で両親共に親権を放棄した少年の処遇。尊属殺重罰規定の合憲判決。家裁少年部と家事部はどちらも理想を貫徹しようとし、それゆえ衝突もする。
穂高と寅子の師弟関係も、双方の理想が摩擦を生む関係だったのかもしれない。雨滴岩穿はよいが、歴史に残らず消えていった無数の雨粒のためにも、容易く流されて納得してはいけない。自分が女性として、法曹界で地歩を築いてこれた恩は師に感謝する。しかし「出涸らし」と自嘲して道半ばで去ろうとする穂高を笑顔で祝えない。納得しない。寅子の涙は憤りと悔しさから。
穂高の、法律面では進歩的だが、実生活面ではパターナリスティックという二面性は寅子が乗り越えるべき社会の姿だ。
○7月9日
穂高の逝去後、桂場、ライアン、多岐川、そして寅子で「司法の独立を守り、権力の介入を許さない穂高イズム」を謳う。密着取材され、ラジオ番組で、最高裁長官にいつもの調子で「はて?」ともの申す寅子。一方、法律を学ぶ女性たちには、「私の頃と違い、あなたたちは恵まれている」と語る。権威や理不尽には意見する姿勢は変わらない。が、女性が弁護士になる道が確保されていなかった時代と比べれば、環境は改善されたとはいえ、今、学ぶ者には、今の悩みがある。
寅子も「中間管理職」になった。裁判官に昇進できるが、地方に赴任することに。そして、花江や子どもとの間には「溝」ができていた。
○7月10日
「ひとり遊びの上手な子。大きくなって、何になる」。優未は花江や直明たちに囲まれ、その意味では寂しくない。しかし、いちばんいっしょにいてほしい寅子は、肝心なとき、そばにいてくれない。正直な話もできない。次第に母の「いい子願望」を肌で感じ、母親の前で取り繕うことを覚える。
寅子の反権威的姿勢は、世間の反感を買うこともあるが、女性は彼女の「真意」を汲み、応援してくれるものとどこかで思っていたかもしれない。だが、花江や、離婚調停が不成立となった女性、法律を学ぶ女学生など、必ずしも、寅子を全面応援する、などということはない。直明に「新潟へはひとりで行くべき」と言われた寅子は、色々な軋轢に悩む。
○7月12日
優未には、父である優三の記憶はほぼないだろう。寅子は多忙で、物心ついた時には、あまり一緒に過ごせず、花江が母親代わりのような状態だっただろう。寅子は我が子の優未に、無意識のうちに「娘は優秀なはず。自分と同じ法曹の道にきっと進める」と期待をかけ、それが優未に、それとなく伝わっていたかもしれない。結果、優秀でない自分の否定の感情が湧き、寅子の前で「スンッ」の仮面をかぶるようになった。R・D・レイン『引き裂かれた自己』では、自己が分断され「にせ自己」が形成されると、自己に内包されたにせ自己が制御力を得る、と記述されている。
もちろん、優未の仮面は精神病理学の範疇ではないだろうが、やや深刻だ。
○7月16日
僕も幼少期を新潟で過ごしたことがあるので、「田舎の人たちの優しさ」には、警戒してしまうところがある。係争を、あくまで「法に則って」解決しようとする寅子と、建前はそれとして、「その土地の風土や人に寄り添って」判断してほしい、と言う杉田(兄)弁護士。寅子の法律観は、法を「清水湧く泉」の如きものと捉えるので、当然、泉を汚すものは許容し難い。一方、「魚心あれば水心」。便宜を図ってあげるから、それに応えてくれ、とのそれとなしの圧力がかかる。「親切」の代償だ。
○7月17日
対人関係において、桂場は、仕事面での洞察力には優れているが、プライベート面ではそれ程でもない。ライアンは、仕事・プライベート面とも察知力があるが、その表現の仕方がキザだ。星は、ライアンの特性を持ち合わせ、しかも誠実な態度を示せる。
泣き腫らした寅子に……
桂場「きみ、何だかいつもと違って覇気がないな。どうかしたか?」
ライアン「う~ん、サディ、浮かない顔してるね。もしかして、泣いた?」
そして、
星「(じっと寅子の顔を見て)昨日、泣きましたか?」
三者三様だ。
星の掴み所のない感じは、エリート法曹家系で培った処世術の表れなのかもしれない。
杉田兄弟連携の「恩を売りました」アピール……
○7月22日
よねが働いていた〈カフェー・燈台〉の屋号は、涼子の〈喫茶・ライトハウス〉へと受け継がれた。新憲法の「華族廃止令」により身分を失い、元お付きの玉と喫茶店を切り盛りする桜川涼子。また、玉は英語教室を開き、東京の大学を目指す学生に教えている。
ハーモニカを吹き、投げ銭をもらう傷痍軍人が、戦争の傷痕を身体に刻んだ象徴として登場していたが、玉も空襲で足に障害を負い、車椅子生活になっていた。涼子と寅子の会話に、終始複雑な表情の玉。一方、花江の実家で女中をしていた稲は、寅子を助けて優未の世話をすることになる。玉と稲がパラレルに描かれ、人に「寄り添うこと」の意味が問われる。
○7月24日
寅子も花江も「善人」だ。それは、家族の愛情に育まれ、対立することもあったが、それも愛からくる心配や思いやりのせい。ひとを基本的に信頼する心がある。寅子の姓と花江の名前から1文字ずつ持つ「美佐江」は、両者の「影」のようだ。裕福でも、愛のない家族。
戦災孤児たちの「兄貴分」だった道男は、猪爪家に迎え入れられ、新たな道を進めた。直道の生まれ変わりのような存在だ。
美佐江は「絆」をかたちとして確認するために、相手にブレスレットをつけさせる。それは「呪い」のようでもある。猪爪家の人々と道男の間、涼子と玉の間、寅子と優未の間には、そんな「かたち」は存在しない。
○7月26日
長年に渡りホームレス者の支援を行っているNPO法人抱樸の奥田知志代表は、ご子息が不登校になった際、色々な支援先を探した結果、その経験をこう語っていた。ひとつの太い支援先を得ても、それが切れると、また元に戻ってしまう。支援は、細く広く、多い方がいい、と。
寅子が言う「拠り所」は、依存のようでもあり、支援のようでもある。しかし、何にも依存せず生きている人などいないので、問題は、依存の仕方と程度だ。拠り所は、友だちでなくてもいい。趣味でもいいのだ。優未は「モン・パパ」を歌う。