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幼少期の苦労

自分の人生を年代別で振り返ってみようと思う。
私の産まれた前後の話は数回前のブログに書いたのでそこは特に何の苦労も無く、ポンとお母さんから産まれたので母が苦労したという事なのだが、
私が生まれてからはなんだかんだ楽しく過ごしてて、色々あったが直接私が大変というかは私の周りが大変だっただけでまたそこは別の機会に語らせていただけたらと言う事で割愛したいと思う。

10代、中学卒業時に家族でスキーに行った時に、どうやら腰をいわしてしまったようで、そのままどんどん酷くなってある日突然立てなくなってしまった。

そのまま高校に入学し、通学が困難な状態だったので病院に行き、言われた結果が椎間板ヘルニアと右足坐骨神経痛だった。病名を今聞くと、癌でも無いし手足がないわけでもない、本当に大したことない病気である。

医者には内視鏡の手術を勧められ、今考えると手術すればアッサリ治って日常生活を送れたはずなんだけど、私はどうしても手術だけはしたく無くて、自力で治す事にした。
当時の医療技術だと、手術して切ったとてまた再発すると言われてて、今椎間板ヘルニアと言われても、注射打ったり、手術したら治るはずなので、そんな大した病気ではなく、しかしそれまでずっと事故や怪我も無く、全くの健康体だった自分にとっては晴天の霹靂だった。
しかもずっと痛くて、起きても立っても居られない、本当に寝たきり、24時間365日ずっと痛みに悩まされて本当に何もできない。
15歳の少女にはシンプルに辛かった。

当然学校には行きたくても行けないので、コルセットはめて毎日なんとか行ってたのだけど、ずっと痛みに耐えながらの授業で何も頭に入らない。

あとは気休め程度に毎日湿布と牽引してもらいに町の接骨院に通う毎日、その時だけ治った気になるのだが、家に帰る頃にはまた痛みが復活して耐えれない。
キツかった。

その時初めて、見た目はどう見ても健康にしか見えないのに、実は私みたいに病気を抱えている人が世の中には沢山いる事に気づいた。
みんな普通の顔して電車に乗って出勤して仕事してる人が居る…
本当に世の中凄い事だと思った。
そして世の中マイノリティには冷たく、強者に優しい世の中、それを痛感して、
こんな辛い痛みを抱えて冷や汗ひとつかかず平然としてる人が沢山居るのか、、と初めて気づいた。
私はもうそれを当たり前に生きている一般の方々に本当に心から頭が上がらない…と思った。
私はおしゃれをするのが大好きだったので、服装の大切さにも気づけた。
服はそんな辛い気持ちをカバーしてスタイリッシュにもしてくれるし、元気そうにも見せれる、無いものをカバーしたりある時は勇気つけたりできる、色んなことに気づけた。
私はこの時の体験を一生忘れない。
15歳でここに気づけたことが本当に有り難い事だと思った。

そうやって沢山の気付きを体験しながらも、痛みはいっこうに治らない。
私と両親は親戚や友人を頼って、どこか良い病院はないか、血眼になって探した。
そうこうしてるうちに、誰から聞いたか、奈良の大和郡山に良い鍼灸院があると教えてもらい、そこに行く事にした。

そこは家から電車に乗って約1時間ちょっと、駅からバスに乗って更に15分、めちゃくちゃ遠い。そんな遠いところにある病院にすがるしかない私はもう早くこの痛みから解放されたい…直したい一心だった。
そこは目が見えない人が沢山働いてて、主にマッサージと鍼灸がセットで保険が効かないそんな鍼灸院で、そんなところ今まで行った事が無く、驚きの連続だった。
ほとんどパンツ一丁の裸状態で、見えないようにタオルをかけられて(施術時になんか着てたような記憶もありますが、)、15歳の少女からしたら生き恥である。しかしそんなことも言ってられないくらい痛い。
全身にゆっくり一本一本もう一生分の針を見たのでは…と思う程の量を一回で打たれる。前後で200本くらい打たれてるような感触(実際には100本弱だろうけど)丁寧に針を打たれ、そのままうつ伏せ状態で数十分放置。
そして仰向けになって同じ作業。
私は今地震が起きたら、どうやって逃げたら良いんだろ…来ませんようにと祈りながらただただ力を抜いてじっとしている…直したい一心である。
先生は優しそうであまり多くを語らない静かな人で、目はほとんど見えてない。
先生も探りながら針を打つ。
感覚が全てである。
そして全ての針を抜き、緊張を緩和する為にマッサージしてもらう。
マッサージしてくれる別の先生はもっと目が見えて無い。完全に座頭市ばりの盲目である。
二人ともなんにも変えがたいただただあったかい人柄が伝わってくる。
底が無い優しさを感じる。
不思議な体験だった。
結果的にそこに5年ほど通うことになるのだが、私はそこに行きだしてから、東洋医学というものに初めて出逢った。
率直に言うと、その時東洋医学に出会ってなかったら私はもう本当に状態抜きで手術したところで元々頭痛持ちで病弱だったのでシャレ抜きで一生寝たきりだったと思う。
実際にそのあとあなたはこのままだと一生寝たきりになりますって言われた事もある。
同時に西洋医学から見たヘルニアについても色んな本を読んで勉強した。
当時は今みたいにインターネットが無いので、携帯もないし、本を読むか、人から教えてもらうしかない。
ヘルニアは切っても治らない。また軟骨がぴョッとはみ出て背骨の神経に当たる、当たると痛い。
治るという構造ではないので
背中に爆弾を抱えて一生付き合っていくしかないのが正解である。
その為に、東洋医学、気功、そういったものが必要なのは理にかなってる事に自然に自分の頭の中に入ってきた。

スピリチュアルとか宗教ではない。

考え方を変えて、流れに任せて生きる事、食生活を根本から変えて姿勢を正し、歩き方から変えていき思考や生き方を変える、日々の蓄積された習慣により引き起こされた痛み、東洋医学的に言うと長年水面化で育て上げられた悪の根源は
その蓄積された年月に比例して、そんな簡単に治らない。
そのことに気付いた私は
今までの自分の生き方について根底から覆されて
一つの大きなターニングポイントを与えられたのだと言うことに気付けた
自分史のビックバンである。
そして、この文章を書いている今の自分も、過去を振り返ることで
自分が今何故このような考え方になっているのか見つめ直す一つのきっかけ
を与えられたような気がする。
人生常に気付きの連続である。

今思い出すと、スキーで腰痛が発覚したかのような物言いだが、
実はその数年前から私は頭痛持ちで、何かあるたびに
バファリンばかり摂取しまくっていたので、
とりあえずバファリンを飲んでおけば頭痛は治るし
半ば今でいう精神安定剤がわりに飲んでたような節もあるので
東洋医学的には私はその度重なる悪習慣で肝臓や腎臓を痛めてしまってたのかもしれないと思う。腰痛は時に肝臓や腎臓が痛い時背中に痛みを覚える。
それとは別に、頭痛の原因も私のそれまでの食習慣といえば
キンキンに冷えたコーラーやサイダー、アイスクリーム、白砂糖で作られたベトベトに甘い食べ物、
脂っこい唐揚げを筆頭に、アメリカ人のジャンクフードの王道みたいなものしか食べてなかったし、服装といえば、真冬でもカッコつけて薄着でマフラーなんか巻いたことないし持ってもない、真冬に裸足で家の中をうろうろ、寝る前でも平気でジャンクフード食べて心身ともに冷え切ったそんな生活で、そらヘルニアにもなるわなと言った感じである。

とにかく手術したくない一心で、
その鍼灸院に通い出してから、自分の生き方を変えないとマジでいずれなんかの病気で早死にするのは時間の問題だということに気づいた私は、
東洋医学を自己流で本を読み漁って勉強して
良いと言われることはありとあらゆることを試した。
やれ絶食がいいと言われたら絶食もしたし、
漢方薬も勉強して木の皮や根っこをブレンドしてもらった。
側から見たらただの枯れ葉の塊みたいなものを鍋に入れてぐつぐつ煮込み、
その悍ましい色に煮込まれた液体を飲み苦味を我慢しては飲み、これも面白いことに酸性化した体が飲むと信じられないくらい苦いのだが、飲むことでだんだんその苦味が美味しい苦味に代わっていくのが不思議なもので、だんだん面白くなっていった。
油物、白砂糖、冷たい飲み物、添加物、肉、コーヒー、紅茶などのカフェイン、を全て辞め、真夏でも汗だくになりながら熱々のお茶を飲み干し、分厚い靴下を履き、片側で鞄を持たない、軽い靴を履く、怒りをコントロールする etc…
そういう事をしてミリ単位だが年月かけて少しずつ良くなり、それでもよくなったと言っても本当に少しずつだが、決してあきらめずに続けた5年くらい経ったある日、私は3人の人に出会う。

一人はその鍼灸院で働く先生。

もう一人は占い師のおばちゃん、そこから紹介してもらった中国人の接骨院の先生である。
私はこの人たちに出会わなかったら、本当に今の自分は無い。

一人目のその鍼灸院で働く先生は、なんだかその鍼灸院に相反するような
所謂イケイケなお兄ちゃんの鍼灸師で
おそらく柔道かなんかやってたのか
底抜けに明るくてスポーツ鍼灸師もやってた人で、私の担当になってから、
急に私の体調が良くなった。そこに通い出して3〜4年目の話である。
それまで鍼灸院に行っても良くなるのはほんの1週間くらいで
1週間を超え出すとまた具合が悪くなり、通わないと耐えれない痛みが襲ってくる
そんなん日々を過ごしてて、多分きっと何かが足りないんだと思ってた。
そんな時に出会ったその先生は、私の中で一筋の光だった。
病気ですっかり暗くなった私の心を見抜いて、施術中も楽しくおしゃべりしながら
してくれるので、心も明るくなって、本当に良かったと思う。
私が日常生活でも色々気をつけてることも恥ずかしくて誰にもいえなかったことも
気兼ねなく言えるので、気持ちが軽くなったんだと思う。

それでかなり良くなったのだが、やっぱり何かが足りないのは変わらなくて
そんな頃、たまたまコンビニで立ち読みしたana○という女性誌で占い特集がやっていた。そこに載ってた記事は、星占いやいろんな占いの特集で、自分はそんなに興味がなかったので、何となくぼんやり立ち読みしてたくらいで、
ふと目に止まったのが、その鍼灸院の近くで個人で人相占いをしているおばちゃんの本当に小さな記事だった。
何を思ったのか、私はそこに行った。
今を思えばよくそんな行動力、、今だったら絶対行ってない。
でも行ったのだ。

そこで自分は衝撃的な事を言われてしまう。
私の人相を見るなり、その人は
とんでもない形相で

あなたはこのままだと一生寝たきりになるので、
いい医者を紹介するから、そこに行きなさい。

と言われた。
本当にびっくりして、電話番号を渡されて、私はそのままそこに行ったのだ。

今思えばよくそんなどんな人かもわからない人に言われた一言で
そこまで行動できたな、、といった話なのだが、
調べたらそんなにいかがわしい接骨院ではなさそうだったし、
自分の体を治したい一心で今までいろんなところを回ってたので、
大阪の堺筋本町にあったその病院は東北や北海道にありますと言われてるわけではなかったので、結構すんなりそこに行った。

そこは超凄腕の中国人の整体師の人が一人、
沢山のお弟子さんが居る、会社の社長や有力者などが通うとんでもなく
すごい整体院だったのである。

私を見るなり、その先生は
これは辛かったよね、相当歪んでるね〜
直しましょう。と言って、
3〜4人がかりで私を取り押さえ、
エイッと一捻り、ふたひねり、
ズレた背骨をはめ直すという事をしてくれた。
私も今でもいろんなところに通ったけど、後にも先にも
あの人には誰も敵わない。
天才だと思う。
すごい人がいたとしか言いようがない。
私は足りなかった最後のピースがはまって、そこから更に数年かけて時間が掛かったけど、最終的には治ったと言っても過言ではないくらいまで
治ったのだ。
今でも信じられない。

その後も定期的に通って、少しずつそこにいく機会が減って、
そのかたはもういないのだけど、私はあの時あの人に出会ってなかったら、
自分もここにいないかもしれない。
そして、今でも背中に爆弾を抱えていることには変わりがないし、
すっかり東洋医療が浸透した自分の体は
主に白砂糖でできた甘いものが一切食べれなくなってしまって、お陰様で油物も今ではすっかり食べれるようになったけど、本当にここ数年のことであって、肉もやめてから10年近く食べてなかった。全然食べれない時期の方が本当に長い。アイスクリームも食べれない。サイダーも飲めないし、コーラーなんで尚更飲めない、しんどくなるし美味しくない。付き合いでたまに食べることもあるのだが、食べたら胃が込み上げてくるような気持ち悪さを感じで体が受け付けない。
甘いものも炭酸もアイスクリームも今でも嫌いではない。体が受け付けない。
紅茶と緑茶は飲むけど、極力薄めで暖かい状態で飲んでる。人から見たら飛んだ贅沢病にしか見えないはずだがそういう事ではない。
粗食の方が体調が良い。考え方がクリアになる。
どんなに猛暑でも、冷たいものが喉を欲しくなる気持ちにならない。
冷たいものを飲んだ後のあの恐ろしい頭痛や吐き気、胃痛を考えるととてもそんな気になれない。
白砂糖や白米を食べて急に血糖値が上がることで起こるヒステリーもすっかり無くなった。(最近は白ごはんも量次第で美味しく食べれる)
酒も20年くらいやめてたので、最近付き合いで飲むようにしているけど、
飲む前に酒について勉強してて、どの酒が体に良いのか、この菌がどうとか、キチンと把握してるので、何となく飲んでるように見られがちだが、ちゃんと自分の体を守るために店も出された酒も選んで飲んでるので、今のところ楽しく飲めるところまで回復した。
もちろんタバコも興味が無いので一切吸わない。

自分はお金を出して甘いものや上記のものは一切買わないのだけれど、
その場の雰囲気を壊したくない時は、これは普段一切摂取しない神様からのたまには息抜けよなっていうメッセージだと思って少しだけ食べるようにしている。

水も東洋医学に出会ってから、今日まで水道水を飲まずに天然水を飲んでるのを貫いてるので、
おかげで水の味がわかる。

自分は決して美味しく無いから食べないだとかいうわがままや、平民なのでセレブでもないがセレブぶってマクロビ〜とか言ってるわけではない。

好きな食べ物は干し芋と麦味噌汁、天日干しの梅干し、宇和島のジャコ天だ。
自分はそれさえあれば特に他に食べたいものは基本的にない。
粗食が大好き。干し芋はそのままでも美味しいし、焼いたら甘みが増して美味い、最高である。
自分は干し芋が好きすぎて食べすぎて喉に干し芋が刺さって出血して車で病院に運ばれたらい回しになったことがある。それでもやめれない。。。
厳選された高級チョコレートより、干し芋一箱、とかの方がもらって心から嬉しい。
おばあちゃんが作った、、とかもう大好き。
インスタ映えする凝った食べ物とか一切興味ない。
すみません、って感じ。

喉元過ぎれば何とやらだが、私は初めこの自分の状況、本当に辛かった。
自分と同い年のみんなは肌を出して薄着しておしゃれして外で元気に遊んで高校生活をエンジョイしてるのに、私といえばまるでこの世の終わりのように
痛みに耐え、苦しみから抜け出せない生活、本当に笑えなかった。

でも今となっては、あの時自分で勉強して暗闇の中もがき
諦めずに頑張り続けたおかげで今の健康体が維持できている。
今でもついてないな〜って思うことは沢山あるけど、
今の所健康で、とても幸せだ。
とは言いつつ、私にもある日突然どんな病魔が襲ってくるか
誰にもわからない。
そして親にめちゃくちゃ迷惑をかけた。
手術すればあっさり治ったかもしれないのに
私の気持ちを尊重してくれて
黙ってそっと寄り添ってくれた。
本当に申し訳ない。
でもあの時に身に付けた自分との付き合い方が
今の自分の人生の根っこになってることは間違いない。

そして自分の人生、やっぱり誰か人生において出会うべくして出会えた人たち、
そういう自分のことを救ってくれる人が必ずいる。
諦めなければ必ず。本当に感謝したい。
その人たちにしてもらった沢山のことを無駄にしないために、
私はこれからも教えてもらったたくさんの事を忘れずに続けて頑張っていこうと思う。そして過去の私みたいに苦しんでる人がきっとどこかにいる。
見た目にはわからないけど、必ずいるので、そういう事実を忘れずに人に優しくいたい。

すごく回り道した。
今なら100%内視鏡の施術して治したい笑

ありがとうございました。


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