見出し画像

今までDJしてて記憶に残ってる話その1

今まで沢山の場所でdjした記憶に残る中で、私の中でひとつ、恐らく一生忘れないだろうな…という素敵な思い出をここに残したいと思います。
それは今まで沢山の良い思い出、その中のひとつですが凄く大切な思い出。

なぜ今これを書くかというと、さっきかいたブログの内容がなかなかドープだったので、緩和するためにこんないい思い出のいい話をしたいと思います。笑

それは私が海外でDJし出した頃の2006年
ドイツのドレスデンでの出来事です。

その前の年も私はヨーロッパにDJと自分のブランドの服の作品を
各地でDJして美術館で展示もして、、といった感じで
それまで毎年仕事でアメリカにいってた自分が
初めてアーティストとして海外に呼ばれてDJや自分の作品を
見てもらう事、そしてそれが少なからず正式にアーティストとして
自分のやった事に対して正当な対価として報酬をもらえるというところで
改めてヨーロッパのミュージックビジネスシーンのシステムに
驚かされたり、2005年当時の日本に対しての海外からのリアクションが
自分にとって価値観を根底から変えてくれる一つのキッカケとなる
そんなたくさんの出来事があって驚きの連続でした。
(勿論今と違って、当時は海外から日本にアーティストがライブしにくるなんて
今程全くポピュラーではなかったので色んな意味でも貴重な体験を我々はする事になるのだが)
その辺の話はまた後日詳しく語るとして一旦置いときます。
1995年、初めてNYに行ってから私はアメリカの虜になり
今まで100回くらいもうアメリカ、海外に行ってるのだが、
その度に自分の中にある既存の価値観をぶち壊され壊されの連続で
今のこんなに丸い柔軟な考え方に落ち着ける事になったのは
本当に様々な文化に直接触れることが出来たお陰であり、
その中に私のDJの活動の原点とも言えるような
この2年に亘り行ったヨーロッパのツアー体験は自分の人生の中で
とても語らずには始まらないようなことである。

私はNYから始まり、東海岸〜UK〜ドイツ〜マイアミ〜最終的に西海岸、
現在の自分の形があるのだが、この30年近く海外の渡航の旅の度、自分を成長させてもらった出来事がたくさんあります。
旅は基本自分から行く訳であるので、攻めてると思いきや
意外に受け身だということをまず感じざるを得ないのは
見知らぬ国に行くということであって
見知らぬ国に行くということは
まずそこの文化を肌身で受け入れることで
自分がそこに滞在できるかどうかというところが決まるのである。
何故そういう事になるかというと、
右も左も分からない国で流れに乗らないと
受け入れてもらえないという事である。
例えば電車は時間どうりに勿論来ない。空港のカウンターでは自分の国みたいに
誰もが優しくてお客さまファーストでは無い。
自分が自国から持ち込んできた価値観はその国では一切通じないことをまず頭の中に入れないといけない。
そこからである。
それをわからずに自分の都合で動くから
巻き込まれなくてもいいトラブルに巻き込まれたり
乗れるはずの電車に乗れなくなったりするのである。

まずは自分が誰よりも柔軟に柔らかくならないといけないということを
沢山の旅のトラブルややりとりで身をもって自分は教えてもらった。
本当にありがたい話である。
自分は人から融通が効かないと思われているみたいだけど
全くそんなことはない。
融通が効かないという事実も、その川の流れにただ流されていくだけだと
ダメだと言う事で、柔軟に考えた結果であることは
おそらく後から理解されると思うので
これはまた後日お話しさせていただこうかと思う。

それは本当にさておき、
2006年にドイツのドレスデンという旧東ドイツの都市で私がDJした時の話と少しだけしようと思う。

それはツアーに出た自分達が主な拠点にしていた街で、
それまでにも
自分は実は音楽と全く関係のない案件で何度かドイツに訪れており、
その話もいずれしたいとは思ってるのだが、
自分にとってドイツという国は
何か縁でもあるのかと思うくらい深く関わった国の一つであり
実はドイツ語も今では全く思い出せないけど勉強してて
本気で住むことも少しは考えていた時期もありました。

そして私は今回東ドイツというエリアに初めて滞在したのである。

当時の東ドイツは、私の主観で非常に申し訳ないのだが
ベルリンやハンブルグと違い
ベルリンの壁はすでに崩壊しているにも関わらず
経済的にもまだまだ発展途上で
まず自分はその事実に非常に驚き、街も古き良き...と言うと聞こえがいいのだが、
要するに東西の落差がとても激しいままドイツという国は存在している、少し東側は取り残されたまま形成されている、そんな印象でした。
あくまでも私の印象だが、服装も心なしか東の人は質素でくらい色を好むような印象で、ベルリンはハンブルグのようにドイツの中でも屈強だが陽気で明るい印象は全く無く、まだこのエリアは共産党なのか、、と見まごう程の状況であった。

そんなドレスデンに呼んで頂き、自分は滞在中とても彼らに良くしてもらって
素朴ながらもまっすぐ生きている彼らにとても感銘を受けました。

そんな中、自分のDJが始まり、フロアでみんな思い思いに踊って揺れてくれていることがとても嬉しく、楽しくDJしてたところで
私はとても驚きました。

なんと私の目の前でカップルがディープキスをしだしたのだった…。

本当にびっくりして思わず手が止まってしまいました。
でも今でもその光景は私の目に焼き付いてて、これ以上無いくらい美しい瞬間、
今までDJやってて同じ光景は2度と無いんじゃ無いかと思うくらいの素晴らしい景色でした。
今でも覚えている、彼らは二人とも若くて美しい、金髪のドイツ人。
ディープキスと書きましたが、そんな言葉が当てはまらないような感じで、
その時何故か彼らにスポットが当たってるように見えたような、キラキラと輝いてました。
今でも覚えている、その時にかけた曲は
当時私が最も大好きなPrefuse73の曲で、
彼らはおそらくそれが誰の曲か知らないと思うのだけど、
目の前で全ての条件が揃って、
リアルな奇跡でも見せてもらってるような何か有難い、そんな気持ちになりました。
これを見るためにドイツに来たのかと思いました。
私はただ、言葉少なめにドイツにDJした時に、目の前で綺麗な二人がとても綺麗なキスしてたんだよね〜嬉しかった。
で終わらせてもよかったのですが、
ドレスデンの時代背景と、当時成長途中の未熟者だった自分に
このような素晴らしい貴重な体験を通して沢山の大切な思い出を感じてもらいたかったという事で話が長くなりました。

私は、DJをするとき、必ずこの時の記憶を思い出します。
それは、目の前にいてる人を感動させること、表現する事が
いかに大事かという事を忘れないため、そして誰もが自分の中の、目の前にいてる誰かの何か心の鍵が外れて解き放たれて自由になれる瞬間を
作りたいから。

でも今回みたいに、その逆で、
目の前にいてる彼らのような音楽を愛する人達から
教えられることがとても多いということを忘れてはならないということも

忘れたらダメだと思います。

ありがとうございました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?