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今日この瞬間思うこと。私が生まれる前の話

皆様
こんにちは
Mayumikillerです。

昨日は節分。

私は今年は豆まきをすっかり忘れてしまって

後から思い出したのですが

店で東北東を向いて

無言で太巻きを丸齧りしました

いいことあるといいな〜♪

みなさんは丸齧りしましたか?

実際のところ

このようなことをして

どんないわゆるご利益だとか、効果なんかが

あるのかは全くわかりませんが

そんなことは本当のところはどうでもよくて

今年も丸齧りできるような自分が存在しているということが

一番ありがたいことだと気づくことが出来れは

人生いい感じなんだと思います。

すでにその人自身に多大なるご加護とご利益があるんだと思います。

そんなことをふと思いながら暇な2月の幕開けとなってしまいました。

さて、今年はどんな年にしていきたいのか、

どんな年になるんだろうとか

いろんなことを年明けに差し掛かると思ったり

さもかし到達できないような崇高な願掛けや希望を(野望?)

抱いてしまいがちですが

それぞれの人生の中で何が自分の中で大事なのか

改めて思い返すと

自ずと見えてくると思います。

自分は悪いことが起こった時

結局は自分自身の内面から招いたことであると

思います。

外から攻撃されること

そんなこともたまにはありますが

大体自分がそのようなことに遭遇するときは

相手の要望に答えなかったときや

相手の思うようにならなかった時に

逆ギレされたり嫌がらせされることに最近気づき

その人の目を通して

客観的にものを見るようにするようにしてます。

そうすると何か大事なその人の弱さや

伝えたいことや

その人の置かれている状況が見えてきます。

もちろん他人から見た自分、どんなふうに見えているのか

他人の目を介して自分を知ることができる

大変貴重な機会です

見えることというのはとても大事なことであって

人の気持ちがわかるということにつながるので

最終的に人が何を求めているのかがわかるということにもなります

そこを理解しながら

自分にしてあげれることは何かを見出すことが

とても大事なんだと思います。

そこで相手が自分にしてあげれる以上のことを

求めてくるのであれば

それはとても残念なことで

その人はとても不幸な人だと思います

愛が枯渇している原因を

自分で気づくことが出来れば

きっと他人も幸せにしてあげれるんだと思います




話は変わりますが

このブログを始めたきっかけの大切な一つとして

自分は死んだら自分の存在や自分が経験してきたことを

誰かに伝えれる相手が居ないので

こうしてひっそりとブログに記載して記録していくことで

後世に誰かの心の中に残すことが出来れば

という気持ちがとても大きいです。

とても沢山あるので

何から書いていいか全く不明なのですが


まずは自分が生まれる前の話をしたいと思います。


これは8年前に初めて自分の親から聞いた話なのですが

自分の親は駆け落ちで結婚しており

愛媛のど田舎の農家から出てきた自分の父と

奈良のとあるお城のお侍さんと高野山の坊さん尼さん家系の

なんとも由緒ある家系から生まれたうちの母

母の家が大反対したらしく

大阪で資産家の家にでも嫁がせるために

おばあちゃんがたいそう大事に当時では珍しい

私立の一流のお嬢様が行く名門の女学園に通わして

玉の輿を狙っていたところに

大学で大阪に来て何処の馬の骨かも分からない

田舎者の父に掻っ攫われそうになったところを

猛反対され

挙句の果てには母は消息不明で家出して

愛媛の愛南町の漁港の父方の親戚の家に

匿われていただところを

父はひとさらいだの

おばあちゃんに罵られながら

なんとか無理やり結婚式を挙げたことろ

母方の親戚は全員来ず

式場には半分空いたテーブルが並ぶ中

滞りなく式が終わったそうです。

なんとも恐ろしい話をされ

自分は空いた口が塞がりませんでした。

しかし自分の両親はめちゃくちゃ仲が悪いので

なんでこの二人結婚したんだろうといつも思ってたので

駆け落ちせずにそのまま別れた方がよかったんじゃないの?

って感じなのでこの話は流石にびっくりしました。


そうして絶縁状態のまま

私が生まれたらしいのですが

私が生まれた後は

孫が可愛さの余り

手のひらを返したようにおばあちゃんの

機嫌が良くなり

家にまでくるようになったとか

人間どこで気持ちがころっと変わるか

わかりません

はてさて

自分に人の気持ちを変えるパワーがあったのか

赤ちゃんは偉大だ

ということなのか全くわかりませんが

とにかくすごいことであります笑


今日は私が何を言いたかったのかと言いますと

人は環境や巡り合わせ次第で

いい人にも悪人にもなり得るということであって

一つだけ表面化している側面だけで

その人を評価するのはとても間違いで

人生なんてとても流動的であり

人の考えることもとても流れる水や吹く風のように

その人の感じ方やその時の天気で

どうとでも取れるということをお話ししたかったのかもしれません。

あと私の人生このような形で始まった様子で

親が生きてるうちに面白い話はまだまだ出てくる訳で

面白い話はこうやって自己満足のために

忘れる前に残しとこう。と思います。

どうも本日も完読ありがとうございました。

Photo by mayumikiller



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