鳴り止まぬ悪夢

大好きな祖母が認知症になってしまった。

警察から連絡があり、「鍵が開かない」と他人の家を開けようとして、自宅から離れた場所で通報され、保護されているとのことだった。

実際にどんな顔で、どんなテンションで、警察に保護されていたのかは知る由もない。
おそらく、日常生活をしている時と何も変わらない表情で、ただ居る場所と時間が誤っていて不思議だな、と思い世間話でもしていたのではないかと推測している。

その連絡を受けてから、このやり切れない気持ちに、対応の指示とお金しか出せない自分に、周りでサポートをしてくれている人から話を聴き、ありがとうと伝える裏で、イライラすることしかできない器の小ささに、苛ついてばかりだ。

やれることをする。

それでもやはり「よくならないか」という期待を持ち、「忘れられてしまうかもしれない」という悲しさに浸るのは、全く心の整理が追いついていないからだ。

TODOは消化できても、感情のマトリクスは一生描ける気がしないな。


あの人にとっての幸せとはなんだろう。

・人に迷惑を掛けない
・自分のことは自分でやる
・周りのために尽くす
そんなイメージの彼女が、本当に求めている生活や幸せがこんなに長く一緒にいるのにまだ分からない。

一人で生活をし「寂しい」とも言わず、公園のゴミ拾いのボランティアを自主的に行い、自分が働いていた分の年金のみで必死に生きてきた、彼女のプライドをどう守ってあげられるのだろう。

彼女にとっての現実と、他の人の現実が違っていても、再び同じ世界を見ることは可能なのか。
彼女が求める人生を歩むサポートを、どうすれば安全な状態で提供できるのだろうか。



LINEの返信がなくなり、電話しかできなくなった。
電源がなくなると、充電もできなくなった。
携帯電話を私が持っていったから使えないと言うようになった。

彼女の家で見つけたメモには、こんなものがあった。
「1日500円で生活する」
「13時=1時 14時=2時 15時=3時……」

私の大好きな祖母が、その形を残しながらボロボロと崩れていく。

日活で働いたあと3人の子どもを育て、その後もずっと調理師として働いていた、裁縫が上手すぎる祖母。

私が一人暮らしを始めてしばらく経ち、お正月に帰省した際に一人で楽しそうに暮らす彼女を改めてすごいと思った。
「料理も編み物も裁縫も、ここまでできるの本当にすごいよ。」と伝えると、彼女は「私の時代はそれしかやることがなかったのよ。あなたたちはもっといろんなことができる。料理や裁縫なんてできなくてもいい。好きなことをしなさい。」と言われたことを思い出す。

ここまで思いやりに溢れたかっこいい謙遜を、私は他に知らない。

昨日、状況をチェックするために、家族が一緒に食べる鍋用の野菜を家に持っていった。溜まっていた郵便物をチェックし終えて台所を見ると、買い物袋に入っていた野菜は全て、鍋用に完璧に切られていたという。

恐るべしマッスルメモリー。計算や時間はそもそも苦手だったのかもね、と家族と笑ってしまった。
自分が認知症になった時にできるのは、バレエかタイピングくらいしか残っていないかもしれないと思うとまた少し悲しくなった。

でも、彼女はまだ彼女の形をしている。
それが今の私の希望だ。

今の彼女は15分前に起こった出来事も覚えていられないが、私は鳴り止まぬ悪夢にも耐えられるし、悲しみに暮れながら文字が書ける。

いつか順番が来るんだ。
その時には、いつか順番が来ると思っていたことすら覚えていないだろうが、それでもいいのかもしれない。

彼女の口癖の一つに「はよ死ななあかんわ」があるが、私は彼女に一日でも身体や精神の痛みがない状態で、自分らしく生きていて欲しい。
わがままを言わない彼女だけど、わがままな孫を許してね。

私はわがままに生きるからね。

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