新年早々

部屋の外からコンクリートの塊が落ちた音がした。
急いで確認しようとドアを開けようとしたが開かない。
ドアの前に何かが有ったのだ。
直後に母親からの「内階段を下りてから回って来て!」と言う声が。
急いで内階段を下りて、下の階の部屋に行き外階段を上った。
母親が血まみれの頭の父親の頭を抱えて、タオルを要求する。
タオルを持って行き、父親の後頭部の出血部を抑えると、母親が救急車をスマホから要請した。
私は父親に声をかけながら、冷たくなり始めた左腕をさすった。
状況としては、頭がクラクラして鳥が頭の周りを回ってる状態で意識は有っても何も出来ない状態の様だ。

実は月に1回ほど、3階から伸びる4階へ続く階段から転げ落ちている様だった。
この際、壁にわざとぶつかり、3階のドアノブの背中をぶつける事で頭を守っていると父親は、シップを貼って貰いながら言っていた。
最近の歩き方だと手すりをつかんでも、握力が追い付かず支えられない様だった。


この建物は4階建てのビル。かつては、1階が独立した模型店、2階と3回は内階段で繋がる雀荘、4階は住居の建物。祖父が生前に営んでいた不動産業を祖母が受け継ぎ、国鉄の新路線での区画整理で引っ越しをする代わりに用意されたビルだった。なので、当時若い両親も詳しい事は分からない。が、祖母が信頼しきって居る、かつて祖父の片腕だったと言う男に言うがままだったのを以前から知って居た父親が乗っ取りを阻止すべく、運送会社を辞めてまで1階を模型店にしたのだ。

当時はガンプラブームが始まったばかり。皆が、こぞって買い求めて来た。
各分野のスケールモデラーもそれぞれの解釈で作って自慢しあっていた。
お陰で大繁盛。その後はZやZZと続く安定期が来る。
そして、ミニ四駆ブームが幾度も無く起こり、売り上げも安定していった。
コロナで売り上げは下がるが、今までに無い客層が支えてくれる事となる。

祖母が亡くなった後、祖父の片腕と名乗る男が祖父が亡くなる直前に残した言葉を盾に問題を起こすのだが歳には勝てず撤退と思われる言葉を言い出したが、撤退する前に亡くなった。
その奥さんは引き継いで雀荘をやっていたのだが歳には勝てず廃業を決めたが、その1か月後に孫娘が引き継ぐと言い出した。
だが、接客業を全く知らない彼女は、良案を出すが実行力が無いため失敗し、自己破産で去って行った。

元々は、祖母の財産を奪われないために始めた商売。やはり、元運転手の父親は店舗に居るのは性に合わないのか母親に任せ、知り合いの内装業を手伝う事になった。だが、技術は有るが運転がしたいと言う事で辞めて、4トンダンプで産業廃棄物の運送を始めた。
何事もなかった訳では無いが20世紀が終わるまでは順調だった。
21世紀に入ってから、身体に異変が起こっていた。が医師も原因が分からなかった。
ただ、分かった事は網膜の損傷が起こって居た事と糖尿病の予備軍だと言う事。
仕事の帰り、気の抜けた時に起こる体の変調。若い時は気力で安全な場所まで行き、そして休むと言う事で事故を回避して居たが、還暦まじかになると安全策を取る間もなく、事故を起こす様になる。とは言え、事故は暮れが近づく11月が殆ど。
暮れ間近に事故で故障し、修理に1か月かかるので大変だった。
そして、コロナ渦でも仕事は減らないので、「コロナで仕事が減る業種なんかしてる奴が悪い!」とコロナで仕事が出来なかった私に行った事も有った。事故で仕事が有っても修理中なので動けないと言う自分の責任で仕事が出来ない時期が有ったのを棚に上げて言うなと思う。
とは言っても、その1年後大きな事故を起こし、中古で買い劣化を修理で補っていたダンプで事故を起こし、交換パーツが入手不能のパーツを壊してしまう。
大幅改造か乗り換えるかでどちらも同じだけかかる費用なら、乗り換えればパーツが豊富なので乗り換える事にするが、今までのタイプの型は無く乗り難いダンプに乗り換えた。
だが、1年たたずに軽いが事故を起こしてしまい、とうとう引退する事になった。この事故も謎の症状のせいだった。

しかしだ、稼ぐすべを失った。ダンプは支払い終了までは所属会社名義なので、支払った分から会社が買い取りした場合に相当する額は頂けたのだが。
そして、コロナの初期は家で出来る事の上位の事としてプラモが売れていたが、流石にもともと暇つぶしで購入してた人達は飽きた様で、模型店も限界に。
祖母が退院した後に住み易くするために立て直した家のローンは、祖母が亡くなった後でも残っていたために家族全員が持っている現金を集めて支払いし、残りは売る事で完済。
その結果、誰も居なくなっていた雑居ビルは住まいになった。
私は家を出ていたので、しばらくは一緒には住んでいなかったのだが、出勤に便利な場所に移った時の部屋が欠陥賃貸だったため、更新せずに良い条件の部屋を探していたが、間に合わず倉庫代わりに使ってた部屋に間借りしつつ物件を探していた。


コンクリートの塊が落下した様な音がしてから救急隊が来るまで長い時間が経って居たと感じていたが、ルールの5分以内には駆けつけていてくれていた。
私は血で染まったタオルと共に救急隊に父親を委ねた。
救急隊の処置に全く反応しないまま時間は過ぎる。そして、後から駆け付けた救急車に乗せられて救急搬送されて行った。
付き添いは妻で有る、私の母親。
私は父親がしようとしていた、父親の部屋の窓を閉めに、父親が登り切れなかった階段を上り、窓とカーテンを全部閉めた。
そして、無事を祈りつつ平静を取り戻すために、某配信アプリを立ち上げた。
こんな状況なのは誰も知らない。
当然ながら。全く関係無いのだから。

搬送の際に渡された血で染まったタオルを熱湯で洗い流しつつ、いつもの配信者の話を聞く。
飼っている猫の話。学校の話。今度の連休に行うライブの話。
何とか落ち着きを保ちつつ、耳を傾け時には画面に映る配信者やペットを見つつタオルを干し、干しかけだったであろう洗濯済みの濡れた洗濯物も干した。
そして、連絡の電話。
救急車は、現場の東京から埼玉に行ったと言う。そして集中治療室に入ったと。
集中治療室に入ったなら大丈夫と思い、安心しきって今後の事を考えていた。
そして、夕方に弟が仕事を終わらせて飛び込んできた。
状況を聞いたか尋ねたら、
「死んだよ…。とにかく急ごう。」
そう、やはり駄目だったのだ。
あっけなく人生が自分の意思と関係無く突然終わった。と感じた。
そして、埼玉の国立病院に向かい、連絡内容を聞きつつ、状況を説明した。

到着すると不織布マスクが必要と言う事で、車を止めに行った弟に来る時に持って来て貰おうとスマホから電話したのだが、ネットワークエラーのメッセージが。
「大丈夫、サブ端末も持って来てる。」とサブ端末を使ったがネットワークエラー。
そして、弟がロビーに来たが頼むと、あきれ顔で取りに行ってくれた。
受付で4階だと言う事を確認し、向かうと母親が居た。
1回目の電話を最後に全く繋がらなかったそうだ。
何故なのか?1台だけなら分かるが、2台ともに…。
色々と考えたが、真相は分からないので、たまたまそうなってたと言う事にした。

地元の埼玉県警の方が2人居た。
これから、警視庁(本当は地元の警察署の名前を言っていたのだが)から、来るとの説明。
埼玉県警のルールが警視庁と違うので、県警からの質疑応答の後に駆け付けた警視庁の警官2人からの質疑応答。
途中に県警から警視庁への引き渡しも有ったので、かなり時間がかかったが、特に困ることは無かった。
そして、冷たくなって動かなくなった父親にやっと会えたが、以外にも冷静な自分が居た。

暫くして、警視庁の警官が事故の場合で24時間以内の場合は、検察官の死亡確認と現場検証が必要との事で、この後は事故現場に行くと言う事で、父親の遺体は警視庁の管轄の警察署、説明してくれた警察官は現場に。
家に到着後、すぐに先ほどの警察官が現場検証を始めた。
落ちたと思われる前に居たであろう階段の段数や角度。1段づつの高さ幅に奥行も念入りに調べた。
そして、尋問も行われた。生乾きの血溜まりを中心に第一発見者が見つけた時の状態や状況。父親の状態も聞かれた。
当然なのだが、階段での出来事なので全階段と全部屋も写真も複数撮って行った。

現場検証が終わり、警察官も帰った後、何も食べてない事に気づいたのだが、食べられるはずも無く。
コーヒーだけ飲んで寝る事に。
しかし、寝られるはずも無く、布団をかぶって居たが、思い出した。
今日の配信をしてなかった。「だが、リスナーには関係無いのだよ。」と思い、いつも通りの配信を。
流石に、いつもより遅い時間は迷惑かと思い非通知で始めた。
「問題無く出来るもんだな。」と思った。

配信の時間は日付が変わってるけども、更新時間は日本時間に合わせて無いので連続配信は継続。
そして、取り合えず時間まで寝ようと思ったが、いつも通りに起きてしまう。
早朝の配信だけをしているいつもの配信者の配信を見ようと思った。
この配信者、以前は早朝と他の時間の最低2回はしてたのだけども、この2~3年はコロナで出勤時間が変わりそのまま現在に至って居るので早朝だけなのだが、私の配信にも来てくれるリスナーでも有る。
説明はしないといけないと思い、事の顛末を全部言ったら、「無理して見なくても良いよ。でも必ず帰って来てね。みんなと違って叱咤してくれる唯一の人だし、最初から見てくれて今も見てくれてる唯一の人だから。」と。

見た後は起きて、今日の予定の確認。
母親は警察署に行く。当然、旦那で有る私の父親の遺体の引き取りと霊安所への移動手続き。
以前の住まいなら、帰って来て貰うのも可能なのだけど、今の住まいだと無理。階段が急過ぎて登れない。
後、銀行も行かなくてはならない。凍結前に支払うためのお金を確保しないといけないから。
で、200万円に達さない預金は全ておろした。
メインは全額出すには、警察の立ち合いが必要な場合も有る額なので、以前祖母の時に何とかしてくれた銀行員に相談したが、実際に何とかしてくれた副支店長が別の支店の支店長になっていて無理と言う事態になったと同時に相談した事で凍結されたが、仮相続を使えば何とかなるが相続税は発生すると教えに来てくれた。
後は、食材を頼んでいる都合上、受け取りしないといけないので、私が待機して受け取りや聞きつけて来た訪問者の対応をする事に。
結局、父親に会えたのは、母親と警察署まで送った弟だけ。霊安所まで搬送と共について行って場所の確認。
一番近くに住んで居る母親の姉が長男と共に手伝いに来てくれた。

今までは、仕事が早朝から深夜まででテレビなんて全く見られなかったけど、引退してからは毎日色々と見ていて、事故が無かったら見ようと思って印をつけてたテレビ雑誌が、まだ4日のページを開いたままです。
3日の時点で10日まで印が付いてました。
後、買物に行くつもりだったのでしょう。商品名の書いて有るメモも出てきました。

この後は、全く予定が分からないので、書ける時になったら、また書きます。