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IKERU:ハーバードの先生たちへのセッションが全てのはじまりでした

学生の頃にいけばなを始めて、途中脱走の時期もいれると、20年あまり。いけばなは自分にとってはあくまでお稽古ごとであって、積極的に伝える立場にいくなんてことは、全く考えてませんでした。

それが今や10年勤めたハーバード大学経営大学院、ハーバードビジネススクール(HBS)を辞め、「華道家」として活動している。(まだほとんど「仕事」としては成立してないですが...)いくつかの要因が重なってその決断に自然にいたりましたが、振り返ると、2014年3月が最初の分岐点だったように思います。

HBSでの私の仕事は「日本をHBSにつなげる」ということ。特に、HBSの教授たちに、日本を学びの対象として興味を持ってもらい、その上で日本についてのケースと言われる教材を一緒に書くことが主要なミッションでした。とはいえなかなか日本に興味を持つ教授は少なく、メールや電話で伝えるのも限界がある。そこで一週間日本に来て、日本への理解を深めてもらおうという「日本にどっぷり浸かる」プログラムを開催したのが、2014年3月です。

18名の教授がやってきて、企業訪問をしたり経営者と話したり自分の研究テーマに沿ったインタビューをしたり。いろんなパネルのセッションをしたり日本の企業幹部向けの大規模なシンポジウムを開催したり。とにかく毎日てんこもり。ものすごい数のアポ、同時並行でいくつも走るプログラムの運営と、なかなかに大変な一週間でした。

その最終日は祝日だったこともあり、Cultural Dayとしてそれまでのビジネスや経済フォーカスから離れて文化やアートの切り口で日本を楽しんでもらおう、という一日にしました。
いけばなは日本文化でもあるし、ちょうどいいや、と思って、いけばなセッションをやることに。長年のいけばなのお稽古仲間にも手伝ってもらいながら、いけばなとは何かというプレゼンテーションと、デモンストレーション、いけばな体験という構成の2時間。

HBSは、教授も学生もそれはまあ優秀で、いろいろなことを知っていてかつ的確な言葉を使って見事な話をする人ばかり。私と同様の、主にリサーチとライティングの仕事をする他の地域担当の同僚も、元グローバルメディアの記者だったり外交官だったり。自分だからこその「日本をHBSにつなげる」貢献ができている実感はありながら、話すのも書くのも世界一流の人たちの中で働くことによる自分の英語力の限界もあり、どことなくいつも劣等感のようなものはつきまとっていました。

それが、このいけばなセッションの間は、堂々と、何の劣等感も無く、HBSの教授陣の前に立っている自分がいました。自分がやるべきことをやっている感覚。終わってからも、直後はもちろんのこと、その後ずいぶんと長い間、このセッションに参加した教授たちに会うと、この時の思い出話になりました。さらに、「セッションでもらったいけばなの資料を妻に渡したら、ぜひいけばなを習いたいと言ってるんだけど、ボストンで習えるかな」「実は自分の妻はフラワーアレンジメントの仕事をしていて。今度つなげるね」など、教授陣を超えたつながりも生まれました。前日までのプログラムのほうが、知恵熱を出したり体重が減ったりするぐらいアレンジやロジが圧倒的に大変だったのに、そんなに長く深く話題になるということはなかったんです。

数十年お稽古を続けている人がごろごろしている華道界には、私よりはるかにいけばなの経験もスキルもあり、いけばなに関する理解も深い人は、それはもうたくさんいます。でも、あの時にHBSの人たちにああう形でいけばなのことを伝えられたのは、世界で私しかいなかった。

自分しか伝えられない人たちがいる。自分だからこその伝え方がある。しかもそれをやると、自分もエネルギーを使うどころか逆に満ちる気分になる。何より、いけばなには国を超えて人の心を打つ学びがある。その気づきは心の深くに刻まれました。

その後時々自宅で気まぐれでレッスンをやってみたり、国際会議でワークショップをやってみたり(後ほど記述予定)。ちょっとずつの活動を通じて、直感が確信となり、さらに活動を広げ...今に至ります。

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