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転職は日本経済を救う17 2013年 体育会(系)オーナー会社 一部上場

23年勤めた印刷会社から、相続等で学んだスキルを買われて監査法人J-SOXアドバイザリーマネージャーに転職したのもつかの間、リストラ。
東日本大震災もあり就職活動は困難を極めたが、縁あって監査法人時代の前橋のクライアントに就職。
しかし、一年もたたないうちにご縁があり、丸ビルの会社に転職。

先輩のご縁での転職、どんな会社かよくわからない中での再就職だったが、とにもかくにも東京復帰。
それもオフィスは東京駅の目の前、丸ビルだ。
売上500億円前後の小さな会社。オーナー社長が辣腕を振るう会社だ。私より若い。専務は同世代。
面接では皆さん丁寧に接していくれた。いや、その後も年長者を重んじる姿勢はずっと続いていた。
しかし、、

その会社体質は体育会系そのもの。いや、社長は「系 じゃない、体育会だ!」と自認していた。
毎週全社員を集めての朝礼(コロナ以降は規模縮小)
三カ月に一度はホテルに全社員を集めて、飲食付きの成績優秀者の表彰式。(コロナ以降は規模縮小)
これを、従業員が数百人の時代から、会社規模が拡大し、1000人、2000人になっても継続していた。
いずれの会も主役は社長。社長のメッセージを全社員に伝えようとしていた。いや、伝わった。
時に優しく、時に厳しく、(言葉を選んでます)全社員に自分の考えを浸透させていた。
結果、売上規模で、上にいるのはその業界では大手3社だけ、というところまで来てしまった。
凄い社長だ。
そもそも私が入社したときはまだ上場していなかった。

後でわかったことだが、上場を目指したのはその時に始まったことではなく、何度もチャレンジしていたということ。
私が入社する前年も上場を目指していたが、失敗。
どうやら先輩はその詰め腹を切らされたらしいことも分かってきた。
厳しい会社なのだ。
私はどうにかその職責を果たし、見事にいきなりの一部上場。
株も持株会を通じて少し買わせていただいて、退職し売却する際は4倍近くになっていた、はず。
・・・初期メンバーに至っては、億万長者も続出しているらしい。

それと、私が貢献したのは企業理念、企業懸賞。社長からヒアリングし、その意をくんで文章化。
チームを組んでの対応だったが、それなりのものができたと自負している。
今も社員が唱和している。

私の本業は内部監査。
ともすればルール無用で売り上げに走る若者に、「ここまでは守ろう」と諫めるブレーキ役。
アクセルを踏まざるを得ないのは承知のうえで、ぎりぎりのバランスをとることに腐心していた。

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