見出し画像

初めて韓国に行った話

遡る事、10年くらい前。
初めて、海外に行く事を決意した。全ては兵役と言う大きな弊害があったから。
それがなければ、私は延々日本から出たことが無いバンギャ兼ジャニヲタ追っかけだったろう。
海外に行く魅力が今一つわからなかったし、言語が通じない恐怖もあった。
しかしながら、好きになって2年足らずで、追いかけてきた推しが兵役に行ってしまう。
日本でもコンサートはあった。当時のお兄さん達はMAMAでアルバム賞を受賞、飛ぶ鳥を落とす勢いの付き抜けた人気があり、東京ドームすら落選が出た。
そしてイェソンさんは当時、日本人気が1番だった。
付随して、KRYのコンサートも激戦で自力は全部外れた。
そんな中、私は長年のヲタク経験で、培った知恵でチケットを譲ってもらう事が出来たのは事実。
(上下関係ありき、縦社会バンギャと言う経験値は非常に役に立っている)
自分が望む場数は踏む事が出来た。土日休みじゃなかった時代に、行けた事が奇跡。
モットーは「行かないと後悔する。推しは推せるときに推せ」
2年間逢えないと言う絶望に押しつぶされる未来が待っていると思ったら居ても立っても居られない。
だけど、どうしたら良いのだろうかそればかりで毎日頭を悩ませていた。

当時、入手困難な公演初日同行させてくれた同ペンのAちゃん(名前すら忘れてしまった)と
LINEをしてソウルコンへ行く事を決意したのは2月の初めだったろうか。
チケットの取り方は、プレイボーイを熟読した中坊くらいの知識だけはあった。
私自身、人に聞く事がとても恥ずかしいと思ってしまう性格で(変な所のプライドが高い)
ほぼ毎日Google先生やTwitterとmixi(懐)にらめっこしながら、代行を片っ端から調べたのは
覚えている。なので、結果から言えば、チケットが余ってしまった(笑)格安で売る羽目になったのだが。

Aちゃんは、海外渡航歴も多くもちろん韓国にも何度も行った事があるので、そちらを全般的に委ねた。
今になれば知識もついたおかげで、自分で航空券やホテルを別々に買う事は当たり前。
あの頃はツアーだったなぁ。

海外未経験だったので、渡航歴がある人と行く事がどれだけ心強いかと言う事。
日本から脱出した事ないと言う方は、是非渡航歴がある人と行く事が第一歩。本当に感謝している。
※Aちゃん数年後に結婚してヲタクを卒業した。新潟で元気に過ごしているかな。
元気かな(名前も忘れているのに/笑)

さて…チケットの取り方だが。
今でこそSMEはACEと言うFCが出来て海外会員でも自力でチケッティングが出来る。
当時は、国内のファンクラブに入っていないとまずチケッティングが無理だったので頼るべきは代行。
代行選びは慎重にいかないと騙されると言うのは今も変わりない。
大手で名をはせた所で高値にはなるが、セレクトしておくのが間違いないと思う。
私も大手2社を頼んで、3階席の前方を2枚連番取る事が出来た。
1社は健在で、先日のイェソンさんヨントンでお世話になった。
(2016年ソロコンでも前方のチケットを取って下さりその節はお世話になりました…)

2階席はやっぱり本国ペンが搔っ攫っていくので、あの蚕室体育館で3階席を取ってくれた事に感謝である。ソウルコンに行くとまず驚くが、ELFは国籍が尋常じゃなく幅広い。
ワールドツアーを初めて実施したのはSJゆえにモスクワ、インドネシア、カナダ、中国、アメリカetc…
兎に角沢山。なので、見渡すと本国の人があまり居ないなあと思う3階席だったな。

コンサートチケットもソウル行きの手配も全て完了し、あとのミッションは会社への報告である。
そう私…とある通信業界の店長(ex)
3月って通信業界でクソ忙しい時期なので、休むなんて言語道断。
挙句まだブラック企業色が強かった頃の話なので、有休なんて1日もつかった事がない。全て公休。
3月目標数字は月末前にして全て達成させて満足行く状態にした。
何より上司が元ヤンキーなので、タイミングを見計らって報告しないと自爆する。

上司と帰り道が一緒だったので、3月の月初会議後の飲み会を狙った。
なんせほろ酔いでご機嫌な状態が言いやすい。記憶も飛ばない状態のほろ酔い。
電車降りざまに捨て台詞のように言って去った。

【親友の結婚式が韓国であるから、休む】

今思うと、なんて苦しい…理由。でも…冠婚葬祭の場合は仕方ないと言う認識。
実際親友が在日韓国人と結婚したのは間違っていないので、前々からそれを言いふらして居た分もあり
若干、表情が曇ったが背中を押して旅立てた。あの頃はまだケーポヲタを名乗っていなかったので
色々どう伝えるか悩みながら過ごした記憶がある。無事ミッションクリア出来て良かった。

ソウルに旅立つ便は、ツアーだけあって早朝便だった為、前乗りをして羽田近くの東横インに泊った。
嬉しくて寝れるはずもなく、ほぼ寝不足で旅立った。
初めての入国手続きもよく分かっていなかったので、Aちゃんが親切に書き方を教えてくれた。
海外に行くのに何故ボールペンが居るのか?と言う疑問が解消されたのはそれだった。
今じゃ、すっかり慣れたものだが。ドキドキするよね、あれ。
(数年前、帰国後の成田でスーツケース全部開けられてヲタク丸出しになり辱めにあった)
羽田➩金浦が理想的だが、ツアーは俄然、羽田➩仁川。快適な3時間の旅だった。多分寝てない。
初めて降り立った仁川空港の大きさと沢山のハングル文字に心躍った。
見渡す限り、ELFも多かった。今考えれば、当日入りと言うチャレンジな事をしていたが
欠航とか最悪なパターンもあるから気を付けないといけない(台風/雪/濃霧など)

空港からお迎えのバスが来て、それに揺られて免税店に行く。ロッテ免税店に連れて行かれた記憶。
貧乏人、ブランドにも興味が無いからロッテアベニューでテンション上がっただけ。
トイレだけ行った。排水が最悪な韓国のトイレ事情を初めて経験。ほんと日本のトイレって素晴らしい。

免税店を後にしホテルに到着。初めての韓国で泊ったのが【東大入口】のグランアンバサダーホテル。
五ツ星ホテルだったのが余計に良かった。すごくきれいでアクセスも最高。
あれ以来、東大入口には行っていないけど、降りたら当時の記憶がよみがえるだろうななぁ。

荷物を置いて、ボロボロのメイクを直し。いざ、蚕室へ。
ソウルコン自体が初めての私達にとって、目に入ってくる情報が全て新鮮過ぎてワクワクした。

エスカレーターを上がっていくと目の前に開ける体育館までの道。あれは、日本ではない景色。
露店が連なり、正規品ではないペンライトとキンパや水を売るおばちゃんでごった返している。
昼も食べずに出てきたのもあって、興味本位からAちゃんとキンパを買って食べた。
俗に言うマニョキンパ。小ぶりなのに、ごま油が利いてとても美味しかった記憶。
コンビニで買った水の容器が化粧水みたいで、興味本位で買った(これが後々目の前から消える)
今はもう見ない有名なマスターさんのスローガンを貰ったり、非公式のトレカや写真を配布する
マスターの列に並んで開演までの有意義な時間を過ごせた。

座るや否や、シンドンリョウク側だったので端の区域だったけど、よく見えた。
アンコールあたりではメンバーが近くにトロッコだったかリフトだったかで来た。シウォンだったかな。SS5と言う名目だったので、映像にはイェソンさんが居なくても成り立つ内容になっていた。
数カ月後、東京ドーム行って同じ映像見た時に、バッサリカットされていたけど、違和感なかった。

まだ兵役いつ行くか名言していなかった時だったけど、やっぱりどことなく寂しそうな姿がそこにいて。
最後はクンジョルして去っていた。周りはみんな泣いてたっけ。
悲しくて余計泣けなかった。あっけなくて。自国開催なのもあり、言語も分からないから置いて行かれた感じ。夢の中にいる感覚があったので、泣けなかった。
大泣きしたのは東京ドームでKRがイェソンさんの映像映しがら먹지歌った時だなぁ…。
周りに支えられながら、声上げて泣いてましたね。

あとだな…(笑)
シウォンが近くに来た時に、席異動上等!!!と言う大陸(20人弱)ペンに足元に置いていた
化粧水容器に似ている物珍しいミネラルウォーターをラグビーのキックオフばりに蹴られて
吹っ飛ばれた。五郎丸だったのか、稲垣だったのか(古)
あれはすごかった(数年後、SMTOWNソウルでは本国ペンに荷物を大量に踏まれる悪夢を見る)
悲しい気持ちが一気に笑いに変わり、Aちゃんと目を見合わせながら下まで水を取りに行った。

大陸は区域毎で同じメンバーのペン同士で座るシステムがあったので
私の目の前の席は、ほぼ同じメンバーを推している大陸ペンで占めていた。
写真撮影はするは、席移動はするわ、叫ぶわ。

ステージを静かに見守り、曲を楽しむ文化の日本人である以上、他国のコンサート事情を知る度に驚く事
が多い。日本人は恥ずかしがりやだけど、静かに見てくれる。その姿が愛しいと言ってくれる演者側も
居るので悪くない。
その反面、韓国シーティングシステムは好き。立たなくていいから(笑)よく見えるし。
どんなに近くに行けるってなってもスタンディングは選ばない。シーティングを選ぶ。今後も。
バンギャで相当鍛えられて、スタンディングは慣れているけど、箱慣れしている人達の集まりだから
安心していられる空間。
しかしながら、アイドルを推す人達はスタンディングマナーが分かっていないので、怪我をする。
たとえ箱開催だとしても、私自身暗転した時点で後ろに下がるようにしている(快適だよ)
演者も近くより遠くの人達の方が見える。これはライティングの問題であるだろうが。

ピンヒールで踏まれた日には骨折れるからね。あと、手は上にあげるものである。前じゃない。
団扇はいらない。肩にカメラは置くものじゃない。
(以前、私と友人共々170㎝高身長の肩がジェミンマスターのカメラ置きになった事を記載しておく。)
Tシャツパンツスニーカー。そして、小さなポシェットくらいでタオルを肩にかけるのがマストである。

コンサートが終わり、満員の電車に揺られながら明洞に戻り、ポッサムを食べたような思い出がある。
物凄く落ち込んだ状態だったが。夜な夜な思い出を語りながら就寝した。

翌日は明洞で沢山買い物をした。母から始めての海外だから好きにお金使っておいでと言われ
10万円渡されたが秒で無くなったのは、洋服の安さに驚く事が多かった。
初めて降り立った明洞は観光客にグサっと来るものが多い。化粧品の呼び込みの姉さんたちの強引さも
この時は新鮮に感じた(今では両替くらいしか明洞に行かなくなったが)
日本語も上手な店員さんが多い。洋服は仕事で着て行く服が1万ウォンで買えてしまうのだがから。
斬新なデザインも多いし。未だに、明洞で買ったアメコミ楓のプリントが書かれたデニムシャツは
しっかりしていて愛用している。明洞終わりに、建大入口のマビに行ったがカオスだった。
学んだ。公演前後絶対行くものではない。ELFしか居ないwwwwwwwww
足の踏み場が無い。地下のオンドルに行ったけど、ほぼ立ち飲み居酒屋だった。
兵役前もあったから、よくレジに立つイェソンさんも居たし。レジに立たなくともよく足を運ぶと言うで
連日連夜ごった返していたのはあった。
オモニがレジに立って、某マスターさんが作ったポスカを手渡しで何枚か配っていた。
すさまじい数のELFの手が伸びていく。オモニは出来るだけ、自分の息子のペンにって思って
いたのだろう。私の携帯に沢山のイェソンさんのキーホルダーをつけていたせいか、
オモニは気づいてくれて私に渡して下さった時に、涙が出た。

私はガラガラのマビが好きなので、最近はSJスケジュールがある日を狙っていくようにした。
おかげで居るのは、オモニかアボジ。

オモニはマビに入る数m前からELFに気づくのが早い。日本語も上手。
顔を見るなり「オソオセヨー」とか「アンニョハセヨー」と先に声をかけてくれるから本当に
優しくて好き。
一緒に居たぎゅぺんの友人は全く誰か分かっていなかった事があった(ギュオンマはすぐわかる/笑)
そんなもんだよねww

3日目は帰国する日だったが、九龍デジタル団地で降りて、今はもうないヒョクママがやってた
「トレジュール」に行った。ここも人だらけ。そしてマビより小さいから、外にまで人が。
カオス過ぎて、着いた瞬間やっちまったと思った(笑)
駅から遠いのに、ELFはご当地巡りをするわけだから、そんなもんだよね。

九龍デジタル団地は、オフィス街だから降り立つこともあまりない場所だが、華やかなサラリーマンや
OLがコーヒー片手に楽しそうに話している風景をよく見かけた。
比較的私の目には、ここで働いてみたいなぁと言う華やかな世界に見えたのだが
実際、ちょっと足を延ばすと韓国の貧困層が住む場所と混在しているので、貧富の差を目のあたり出来る場所でもある(Youtubeにスラム街【九龍村へ行ってみた】と言う動画もあるよ)

ツアーの集合時間も近づき、ホテルに戻り免税店に寄ってキムチを買って
羽田に帰ってきたあっと言う間の初めての韓国だったが。行って良かったの一言だった。

Aちゃんありがとう。その数年後1人でも行けるようになったのも推しのおかげなんだと振り返る。
すっかり今では、1人でソウルコン行けるようになりました(拍手)
そろそろ行きたいね

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?