毎日を記録する

毎日は色鮮やかで、心にくさびを打つような日々なのに、それを見過ごして生きている。

まだ私が中学生だったころ、現国の先生から聞いた言葉がある。
「1年日記を書いた人は何かになりたい人。5年日記を書いた人は何かになる人。10年日記を書いた人は何かになった人。」

もともと文章を書くことが嫌いでなかった10代の私は、日ごろから気まぐれに日記を書いていたし、それを聞いてではこれからも日記を書いてみようかと思ったものだ。

その時を起点としたら、今、30年以上の日々を重ねた。
私にとっては先生が言ったように毎日続けられるものにはならなかったが、なんだかんだ様々な形で記録をつけ続けた。

19歳から25歳くらいまでは、祖母の影響を受けて5年日記を記していた。また、素敵なハードカバーのノートを買ったことをきっかけに詩というか短文の日記をつけていたこともある。
子供を産んでからは自分の日記と併せて子供の日記を子供が筆記としての言語を習得する小学校入学までは二人分書いていた。入学を経た後はまた自分ひとりの日記に戻り、現在は短い英文で日記を書いている。
翻訳機をバリバリ使うので、英文とは言えなんの労力も要せず、私の語学に何の進歩も見られないが、ここ2年はそのスタイルに落ちついている。

実は日記を読み返したことは1度もない。
終わったことに興味が無く、「今」を知る為のアウトプットなのだと思う。

ただ、この記録には嬉しいことがある。
今は成人したり大きくなった子供たちが自分の小さかったころの日記を今も楽しく読んでいることだ。毎日が身を削るような子育ての日々の中で、それを記録しつづけた10年間は、時間を経て子供たちが自分の存在を確かめる貴重な記録となった。私にとってもそれを記した時間はもう2度と訪れない宝物となっている。

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