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サムサーラはいつ終わるのですか?

インドの先生のクラスをzoom で受けている。時代だな。ありがたい。どこにいても繋がれる。南インドの微かな風を感じる。

クラスで聞いた聖典のお話をもとに少し考えていたことがある。それはサムサーラのことだ。
14のローカを旅できる聖者がある日、神様に会いに行くことになった。
Aという村人とBという村人は、自分たちがいつこのサムサーラ(永遠と続く輪廻のようなこと。生まれ変わっても生まれ変わってもまた同じことを繰り返している)を終えるのか神様(イーシュワラ)に聞いて欲しいと頼んだ。
Bはたくさん葉っぱのついた木の下で瞑想していた。

聖者は、頼まれたので早速天国で聞いてあげることにした。
「この二人はあとどのくらいでサムサーラの輪から抜けられますか?」

するとイーシュワラはこう答えた。
「Aはあと6回生まれ変わったらサムサーラを終えられるよ。Bは、あの葉っぱの数だけ生まれ変わったらサムサーラを終えることができる」
なるほど。

聖者ナーラダはこの世であるブーローカに戻り二人にそれぞれいつサムサーラを終えられるか伝えた。
Aは
「わかりました。あと、6回も生まれ変わらないといけないんですね。」
すこし残念そうだった。6回で終わるとはなかなかのセン、だとは思わないだろうか?

しかし、聖者はBに伝えるのを悩んだ。あの葉っぱの数だけ生まれ変わるなどとは、と思ったがつたえに行った。
Bは
「わあ!そうなんですね!まさかイーシュワラがわたしを知っていてくれたとは!それだけで嬉しい!」といい、木の下でくるくるとダンスを始めました。

すると、急に風が吹いてBは一瞬にしてサムサーラからの輪を抜けたのだった。

この話を聞いて、結局、時間も空間も存在しないし、始まりも終わりもないという宇宙を学んだことを思い出した。コツコツすること、努力をすることも大切だし、期待をするのも悪くはない。だけど、結局は、気づくかどうかなのだ。くるくるとまるでハムスターのように回るこの世界で、対象物が変わっても同じことをしているとき、苦しい時、スペースが持てない時にすることはもっと頑張ることではないのかもしれないと気づき始めたのは最近だ。

全てに始まりも終わりもないのだ。

これは努力をしないということではない。
諦めることでもない。
わたしたちはサムサーラの中に巻き込まれているのではない。内側にサムサーラがあるのかもしれない。

昔、内側が外側だと言われた。好きな人がいて苦しんでいたとき、相手が問題ではない、と言われたりもした。当時はわかったようなわからないようなことを感じたし、結局ありとあらゆることを繰り返していて、ほとほと嫌になっだことを思い出す。

しかしどうだろう?もちろん苦しいと感じる痛みやくせ、手放せるなら気づいていけば良いけれど、そこに美しさをみることはできないか。
なかなか人間は愛おしいものだと気づくことはできないか。イーシュワラは罰する人ではないという。そう考えるとすこしだけだけど、自分という存在に安心できるのではないだろうか。
サムサーラを苦しむことなく、変化していることに気づくかもしれない。

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