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挫折はお宝

わたしは、この数年、精神病院のデイケアルームで、1時間の絵画の時間を担当している。そこでは、それぞれが思い思いの絵を描いていて、私は描きたい絵を描けるように、お手伝いをしている。
今日は、そのデイケアの日で、絵画ルームに通ってくれている作家さん数名に、ルーム終了後にお礼の言葉をいただいた。
「先生には何気ない1時間かもしれないけれど、僕たちには自由を感じれる癒しの1時間です。いつもありがとうございます。」と。
なんだか、ハッとして泣きそうになってしまった。なぜなら、嬉しかったのはもちろんなんだけど気づいてしまったのだ。

わたしは、人のためにはやってない。
教えてあげようとも思っていない。
楽しく描けるように、、、それだけなんだな。
挫折した経験を役にたててきたのだな と。

すとんと腑に落ちた。

思えば、美大を目指した16、7の時から、何度挫折したんだっけ、、、下手すぎて途方にくれた時もあったし、本気で作家を目指した時もあったし、私生活で失意のどん底にいた時なんかは

「芸術なんかなんの足しにもなんねーな!やってられるか!」

とも思って、何度も筆を折ったりもしていた。
芸術の神様は、いつもそんなアフォーな私を見守ってくださるかのように、美術からはなれることなく今に至っている。だから、わたしが教室で教えている事は上手くなる技術でも、人より抜きん出る個性の出し方でもなく、
若い時の挫折した経験をもとに、いかに楽しく描けるかを、教室ではお伝えしているのだなと改めて実感した。
失敗を恐れながら良い作品を作るのではなく、人生を謳歌するような作品をつくるお手伝い。
評価されるための作品ではなく、自分を愛でるための作品。だから、とにかく上手になりたいだけの方には合わないかもしれない。

今日は、伊達に挫折しまくった甲斐があったなと思いつつ、これからも、決して 人のために 教える事はすまい!と誓った。

だって、挫折 失敗ほど尊い宝はないんだもの。
我が子にもなるべく沢山、失敗と挫折をしてもらおうと改めておもった立春の日。
春は目の前だ。


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