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『風が吹くとき』①選書理由、現在の状況(コロナ禍)と絵本表現

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『風が吹くとき』について

今回の絵本は、レイモンド・ブリッグズの『風が吹くとき』です。
選書理由については追々お話しするとして…
まずはとりあげる版をご紹介します。

原書:RAYMOND BRIGGS  1982年
日本語訳①:小林忠夫訳 篠崎書林 1982年
日本語訳②:さくまゆみこ訳 あすなろ書房 1998年
アニメーション:現版1986年 日本語版1987年

ちなみに、3人の所有する絵本はそれぞれこちら。

マヨ:原書、さくま訳
テン:原書、小林訳、さくま訳
ナナ:小林訳、さくま訳

【あらすじ】
イギリスの田舎町に暮らす、ジムとヒルダ夫妻。3日後に戦争が始まると知ったジムは、政府の広報を頼りに準備を進めていく。ところが核爆弾が発射され、事態は急転。手作りのシェルターに逃げ込んでなんとか命拾いしたジムとヒルダは、死の灰の降る変わり果てた町で2人きり、政府の救助を待ちながら生活を続けるが…。


それぞれの訳の特徴

ナナ:小林訳は、今の時代からすると少し乱暴な言い回しがあるよね。

マヨ・テン:うんうん。

テン:まず小林訳は、フォントというか、文字が殺伐とした雰囲気を醸し出してる気がする。

マヨ:手書きのやつね。サンプル画像で見ても結構怖かったもん。淡々と書いてる感じじゃないもんね。感情が滲み出てるというか。

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ナナ:確かに。

テン:あと全体で言ったら、印刷の技術とかブックデザインの段階での指示か分からんけど、若干色調も違うよなぁ。小林訳の方が、暗いというか濃いというか。

ナナ:なんか、より鬱々とした感じというかね。

テン:そう見ると、さくま訳の方の丸文字と少し明度が上がった感じの色調は、印象が柔らかくなってるなぁって感じる。

ナナ;そう見えるよね。
みんな小林訳は何版持ってる―?
私、1987年8月10日の第14刷。

テン:1982年7月の第3刷。

ナナ:お、はやい!

テン:小林訳の初版1982年やった?

マヨ:82年なはず〜!

テン:じゃあ、その年のうちに重版してるんやなぁ。

マヨ:『サンタのなつやすみ』(さくまゆみこ訳 あすなろ書房 1998年)とかも、最初の出版は篠崎書林じゃない?
元々は全部そっちから出てて…。

テン:あ~、全部ガラっとあすなろ書房に変わってる?

マヨ:うん。あすなろ書房の方の初版、どれも1998年の発行になってるから、全部同じ年やし、全部一緒にまとめて再出版した感じがするけどなあ。
でも、『さむがりやのサンタ』(すがはらひろくに訳 1974年)だけは福音館書店やな。

ナナ:アニメーションは1986年公開で、翌87年に日本で公開されてるね。


今月の選書の理由〜現在の状況(コロナ禍)と絵本表現 

テン:今回は細かい比較検討よりも、この作品を取り上げた経緯として、今の社会の状況(コロナ禍)と人々の暮らしが、この絵本の内容と色々リンクするところがあるんじゃないかっていう話をしてたから、その視点で眺めていけたらなと。

マヨ;ふむ、どうでした?

ナナ:根本的な質問なんだけど、、、政府のパンフレットと州のパンフレットに書いてあることが違うって、これはなんなの?

テン:それこそ、ここ今とすごく状況似てるなと思った場面やけど、例えば国のレベルで出す宣言とか支援策と、小さい自治体が独自で出すものとの間に、ズレが出てるってことなんじゃないかな。上の支持と、現場の状況が噛み合ってないみたいな。

ナナ;あぁ~、地方が独自に非常事態宣言出したりしてるの、ニュースでやってるもんね。

テン:こういう上の人たちの出す指示が、本当に国民を守るためのものなのか、保身や、個人的な損得勘定で忖度して発言してるのかとか…。
「エリートを痛烈に風刺しています」って小林訳のあとがきにも書いてあったよね。でも、絵本の中で、素直なこの2人(ジムとヒルダ)は何の疑問も持たずに、その上の人たちの言ってることを「こう言ってる、言うとおりにやれば大丈夫」ってずっと過ごしてる。

マヨ:うんうん。

テン:戦争を後になって「歴史」として学ぶから、「竹やり訓練」が「えっ本気でそれで戦うつもり?」って思うのと同じで、放射能の脅威を学んでるうちらから見たら、「ドアを外して立てかけた核シェルター」の違和感に気が付けるわけよね。
後になって客観的に見たら、「これで何か変わりますか?」っていうようなことも、渦中にいるときにはそれが絶対だと思って、淡々とやる。
気が付かないうちに日常がほんのちょっとずつ変化していった結果、最初の頃と求められることが大きくずれてる。

そもそも、この絵本を選書した理由は、今年3月ごろに、「戦争が始まるときってこんな感じなのかな」と話していて怖くなったことでした。今でこそ非日常が続きすぎて、この制限ある暮らしに順応し、日常として受け入れつつありますが、その入り口、まさに先の見えない不安や生活の見通しが立たずストレスがピークであった頃に、マヨが『風が吹くとき』みたい…と言い出したのがきっかけでした。
当初は違う絵本を予定していましたが、3人ともすぐに意見が合い、この絵本で語ることに。
社会と絵本は、連動していると感じた瞬間でした。

ナナ:ラストシーンで、紙袋に入って死んでいくじゃん。

(※)政府の手引書に、「核爆弾が落ちる前に紙袋の中に入れ」という指示があり、熱を遮るためだと考えたジムは、ジャガイモの袋を用意して、ラストシーンで実際に中に入ります。

この指示、実は、その後の死体処理が楽だからっていう…。そのためにジャガイモの袋に入っておけっていうのがあるって聞いたことがあって。

マヨ・テン:…なるほど。

ナナ:その話を聞いて、この「窓に白ペンキを塗れ」だとか、「窓の薄い布を外せ」なのか「白い布をかけろ」なのか、政府と州のどっちが正しいかわからないような指示だとかもさ。同じようになんか裏があるのかも…とか考えちゃうよね。

(※)こちらも、ジムが政府の手引書の通りにペンキで窓を白く塗るシーンや、政府と州の指示が食い違っていて、窓に布をかけるかかけないかで迷うシーンがあります。

ナナ:本気のアドバイスではなくて、国民みんな死んでしまうことが前提で書いてあるのかなって。
私には科学の知識がないから、この広報に違和感はあっても、どう間違ってるのかはわからないけど。それよりも、こっちとしては袋に入って身を守ってるつもりでも、政府とか国は国民の安否まで考慮してなくて、ただそのあとの死体処理の事しか考えてないみたいな…、白い布やジャガイモの袋から私はそんな意図を感じてた。単純に、国も科学的に正しい指示が出せるレベルになくて、そんな低レベルなのに核戦争しようとしてるって皮肉かもしれないけどね。
どちらにせよ、上を信じて左右されて死んでっちゃうみたいな…おんなじことなんだけどね。

テン:ちょうどさっき、この読書会の直前に読んでたニュースで、似たようなのがあったよ。
3月末、コロナで亡くなった志村けんさんが、火葬されるまで家族も会えなかったとかあったやん。
死者のウイルス感染が今どういう状況かわからないけど、素材が段ボールで、患者が亡くなったらそのまま棺桶になるベッドが開発されたっていうニュースだった。

ナナ:えーっ、それこそジャガイモの袋やん!

テン:だから、うちはジャガイモの袋の既出の分析は知らんかったけど、その話聞いて、やっぱり大袈裟じゃないんやと思って。渦中におるときは、そこに能力や資金を投資して開発するっていう。

ナナ:そうだねぇ、生々しい…。

マヨ:ほんまかわらんな。袋も段ボールも。

テン:変わらん。

マヨ:これちゃう?コロンビアの。(以下↓)

新型コロナウイルスの感染が世界中に拡大する中、急増する感染者にベッドや棺桶の数が足りなくなっている。これまでにおよそ1万7000人の感染者が報告された南米のコロンビアも、そんな状況に陥る国のひとつ。この状況を解決するため、コロンビアの企業が安価でエコロジーなベッドを開発したと、話題を集めている。
コロンビアの広告会社「ABCディスプレイズ」は、ダンボール製のベッドを開発。このベッドは、感染者が亡くなった場合、そのまま棺桶として利用することができる。『AP』によると、体重150kgまでの患者に対応しており、価格は85ドル(約9200円)。民間の病院と協力し開発したが、ベッドが不足する可能性が高い救急病院での利用を望んでいるという。
また、『RUPTLY』によると、このベッドは生分解性の機能があり、微生物によって分解されるので、環境にも配慮しているという。
 引用 FINDERS| ベッドから棺桶に早変わり!ダンボール製のベッドがコロンビアで開発。生分解性で環境に配慮

テン:どうやって感染を防ぐかの対策内容は、国の状況とか衛生環境とか、経済力とかによって、ほんまに色々なんよな、きっと。

マヨ:うんうん、そうね。

「核」と「コロナウイルス」で内容は違えど、非日常に置かれた人間が、それぞれの立場や状況と結び付けてどういった言動に至るのか、という視点で読むと、この絵本は今の社会に共通する点が多く感じられるという意見で一致した3人。
この後は、色々な視点からこの絵本を観察し、現在の社会状況と絡めて時事的に読み解いていきたいと思います!

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