『OMORI』。(僕的には)楽しさではなく、苦しさによって成り立つゲーム。

Attention!
タイトルがすごく不穏だが、この記事は僕の感想によって構成されたぼやきのようなnoteだ。大半に人にとって『OMORI』は普通に神ゲーであり楽しみながらプレイできるので、気になってるって人は今すぐブラウザバックしてプレイしに行け!



『OMORI』。

僕はこのゲームをプレイするのを渋っていた。理由はよくある単純なもので、自分に合わないと分かっていたからだ。兄がプレイしているのを見ていて神ゲーなのは分かっていたのだが、ほぼ間違いなく自分に合わなさそうだな〜と思い、まあプレイすることはないだろうと思っていた。

そんな僕に転機が訪れた。風邪を引いたのだ。
普段風邪を引かない僕にとってこれは少し緊急事態であり、特に今回の風邪はゲームをするのを渋るレベルのしんどさのものであった。
暇だ。ただ、頭が働かないのでゲームをする気にもなれない。そんなときに僕は思いついた。


「『OMORI』、やるか。」


正直言って、このときの僕は頭がおかしい。頭が働かないからゲームをしていなかったのに、よりにもよって鬱ゲーと評価される『OMORI』をやることにしたのである。少し前にやることはないだろうと思っていたレベルのモチベーションのゲームを、である。
そんなこんなでプレイすることにしたのだが…


正直いって、この後の記憶がない


記憶がない、というのは言い過ぎたかもしれない。厳密には、キャラクター,ストーリー,BGMといった記憶はしっかりある。スイートハート戦の神すぎるBGM、個人的に一番大好きなキャラクターのハンフリー、サニーくんとバジルくんの掛け合いが良き、などなど…。


ただ、それらを触れたときのプレイ中の感想がない。さっきの"神すぎる"、"一番大好き"、"良き"といった感想は、プレイ後の風邪が治ったときに思い出して感じたものであり、プレイ中の感想ではない。プレイ中に何を感じたか、どういった気持ちでストーリーを観ていたか、といった感想はまったく覚えていない。

唯一覚えているのは、プレイ中に感じた"漠然とした不安"と、そこからくるプレイしなければという"強迫観念"だけだ。なぜそんな感情しかなかったのかは覚えていないのだが…。

プレイ中の記憶はこんな負の感情しかないせいで、僕の『OMORI』に対するモチベーションは現在(2024.7/5)、地の底である。だって、あんな負の感情を負いながらプレイしないといけないんだぜ!?「オモリルート」という別エンディングがあるらしいが、正直言ってもうやりたくねえよ!


じゃあ、なぜあのときプレイできたのか?
おそらく、それは風邪を引いていたせいで頭が働いておらず、漠然とした不安のもと強迫観念に追われていたお陰だ。


あのときの僕は本当におかしかった。"何か"に追われているかのような気持ちで、時間があれば『OMORI』をしていた。楽しさからではなく、プレイしなければという義務感に近い。正直言って、プレイするのは苦しかった記憶がある。


ただ、今思えばこういった感情の状態でプレイして良かったと思っている。
僕が感じた"漠然とした不安"や"強迫観念"といったものは、サニーくんも感じていたはずだろうから。
風邪を引いたお陰で、僕は人生で初めて本当の意味で感情移入できたのである。サニーくんの側に立って、このゲームをプレイすることができた。


このゲームで僕は、"ゲームは楽しさが全てではない"ということを学べた。僕にとって『OMORI』は苦しさがモチベーションとなるゲームであり、自分の中でかなり異質なゲームである。
だから、もうこのゲームはプレイしたくない。もう苦しみたくないから。
だが、もう一度このゲームをプレイし、苦しみを乗り越え別エンディングを観なければ、僕は成長できないだろう。

サニーくんが苦しみを克服し、友達との関係を取り戻し、現実を見れるように成長したように。


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