31歳で癌患者になった話
■noteを書こうと思った話
31才男性、健康診断A判定。「甲状腺乳頭癌」だと診断されました。
良好な予後が期待できる。癌の中では比較的軽いもの。命にかかわるようなものである可能性は低い。そう言われても不安なものは不安で、色々調べました。それがよくないことだと分かっていても、情報が欲しかった。
どれくらいで日常生活に復帰できて、どれくらいのダメージがあって、ベースを弾けるようになるにはどれくらいかかるのか。そもそも復帰できるのか。どんな闘病生活を送ることになるのか。お金がどれくらいかかるのか。
症状は人それぞれ、そんなことは分かっているけれど、どこかの誰かの一例になればいいなと、この病気との日々を纏めておこうと思った次第です。
あと正直、人と話をすることで救われた部分も少なからずあって。30代で癌なんて想像もしてなかったから、滅茶苦茶凹んだし、とても不安定だった。でも簡単に話せるような内容でもなくて。もし自分の周りに同じようなことになる人が出てきてしまったら、その時は是非気軽に愚痴ってくださいな。
これは本当に奇跡のような、起こらなくてよかった偶然だと思うんだけど、知人で1人ほぼ同時期に同じ病気で手術している人がいて、話をして。それに私の気持ちは随分救われたんだ。
■概要
病名:甲状腺乳頭癌
検査:細胞診検査、PET CT、造影CT、血液検査、その他。
左甲状腺摘出手術(7時間半・全身麻酔)
入院期間:10日間。デスクワーク復帰は術後3週間。演奏復帰3か月。
⇒右甲状腺に転移検出。
甲状腺全摘出手術(2時間半・全身麻酔)
入院期間:10日間。デスクワーク復帰は術後3週間。演奏復帰3か月。
⇒ヨード放射性物質治療
入院期間:3日間。入院前1か月食事制限。退院後若干の制限有(後述)。
医療費総額(2021/6-2023/11):¥313,500(各所補助適用後)。
■傷跡変遷
■身体の異常に気付いた話
2021年6月頃、左鎖骨の上部あたりに1cm程度の腫れが出てきました。
痛みはなく、動きに支障はない。ただ横になって左を向こうとすると首に触れてしまうので寝返りも打ちづらく、気になってしかたがない。
「リンパ腫だったらやだな」と軽く思いつつ、地元の耳鼻咽喉科を受診。悪いものではなく水が溜まっているのではないか、と水抜きをして経過観察へ。
しかし2週間ほどするとまた腫れが出てきて、再度水抜き。それでもまた同じことに。一向に改善が見られず、7月に「念のために細胞診検査をしましょう」と。結果は擬陽性。その病院では細胞診検査以上のことができないため、大学病院への紹介状をいただきました。
※細胞診検査……注射器でリンパ節内の細胞をとって検査
※擬陽性……陽性とも陰性ともとれない結果。要再検査
■検査結果が「癌」だった話
大学病院では悪性腫瘍の疑いがあるということで腫瘍を切除することに。悪性腫瘍かどうかを判断するには切除する必要があるそうです。この手術は最初に大学病院を受診してから10日ほどでのスピード手術でした。局所麻酔で1時間ほど。入院もなく、日帰りで行うことができました。
10日ほどで検査結果が出て、甲状腺に悪性腫瘍=癌があり、それが鎖骨リンパ節に転移している状態だということでした。ここでようやく「甲状腺乳頭癌」という病名が付きます。癌患者の仲間入りです。
甲状腺癌は癌の中でも命にかかわることは少なく、また外科手術での摘出が可能で、良好な予後が期待できるとのこと。具体的には癌細胞のある甲状腺を切除することになる、と。
ここで選択肢が2つ。明確に癌細胞のある左半分のみを摘出するか、リスクを完全排除するため甲状腺を全て摘出するか。自分は左半分の甲状腺を摘出することにしました。全摘になると、甲状腺で生成するホルモンを一生涯に渡り薬で補うことになってしまい、それを避けたかった。
甲状腺癌は進行も遅いので、おそらく小さい子供の頃から体内にあったのではないかということ、数か月手術が遅れたからと言ってどうこうなるようなものではないことを伺い、手術は決まっているライブを終えてから受けることに。腫瘍の切除をした傷に痛みはあるものの、術後10日程度でリハに参加して、3週間後にはセッションライブに出てました。
■甲状腺摘出手術を受けた話
11月中旬、手術を受け甲状腺の左半分を摘出しました。
手術時間は約7時間半。この病気の手術としては長く、輸血量も多かったそうです。全身麻酔の時間が長くなったためか身体への影響も大きく、熱は2日ほど出たのと、目覚めたあと強烈な吐き気と喉の痛みに襲われました。どうやら麻酔の影響が出やすい体質だったらしい。
病巣が思った以上に広範囲に渡っていたらしく、しかし神経のほとんどを残してくれたそうです。大耳介神経のみ切除せざるを得なかったけれど、これは切除しても身体に影響がない神経だそうで。
広範囲に癒着していた癌細胞を剥離したため神経にダメージが出て、左腕がほとんど動かなくなりました。お茶碗持つのがギリギリ、洗髪や洗濯物を干すのに難儀なこと……。神経は残っているのでリハビリと時間経過で回復するらしいですが、なかなかしんどかったです。首のひきつれも大きく、まっすぐ前を向くのが難しい状態が1か月ほど続きました。日常生活に復帰できたのが術後3週間ほど、座ってベースを弾けるようになったのは年明けでした。
■術後の話Part1
12月。術後検診で「甲状腺を全摘した方がよいかもしれない」という話をされました。
摘出した左半分の甲状腺を検査したところ、検体内のリンパ節41箇所中17箇所にがんの転移が確認されたこと。断端が陽性ではないが陰性とも言えない結果だったこと。合わせて、体内に見えない癌細胞があるリスクが高いといえる状態であるため、放射線治療を勧めたいこと。
放射線治療は、放射性ヨードの入ったカプセルを飲むことで体内の癌細胞を破壊する治療法。ヨードが甲状腺に集積する性質があるため、治療のためには残した右半分の甲状腺も切除する必要があること。しかし現在目に見える癌細胞が検知できているわけではないので、検査を行いながら普通に生活を送り、もし再び癌細胞が出てきた段階で対応する、という選択肢もあるということ。
一旦すぐに再手術という選択肢を選ぶのではなく、まずは様子を見ることにしました。そして5月、術後半年経って再度検査を行ったところ、数値が許容範囲内になってきたので再手術を行う必要もないだろうという見解になりました。が、これはこの時点の話。
動かなかった左腕も少しづつリハビリを重ね、なんとか3月にはライブに復帰することが出来ました。
--ここから2023年5月更新
■再手術の話
術後10か月が経過した2022年の9月、経過観察のための診察で転移が見つかりました。
5月の検査で癌腫瘍マーカーの値が基準値よりやや高くて、とはいえ術前よりはかなり減っていたからこのまま減っていくだろうという見立てではあったんですが、減ることがなく、まだ癌細胞が残っていて活動をしていると。ある程度覚悟はしていたけれどさすがに凹んだ。
「右のリンパ節に甲状腺癌の転移が見られるため、やはりヨード放射線をした方がいい。そのために甲状腺の全摘が必要」「今回の数値は、服薬を天秤にかけても見過ごしていいようなものではないと思う」という医師の判断でした。観念して、甲状腺を全摘しました。
なお入院する2日前までライブをしていてビビる余裕すらなかった模様。なんかあっという間に手術日を迎えました。入院前日サトシが世界チャンピオンになったんだ……
今回の手術は2時間少々、前回ほどの吐き気もなく、神経にダメージを負うこともなく、前回に比べれば随分軽いダメージで済みました。傷口も前回と同じところを開いてくれたのでほぼ広がらず、とはいえしばらくは声が出しづらく身体も思うように動かない日々。2度切った傷口はやはり1回目以上に違和感があり、また少し時間がかかりそうです。2月からベースを弾き始めたものの、痛み止めなしで弾けるようになったのは5月に入ってからの話でした。
■ヨード放射線治療の話
さて手術から4か月、傷口が落ち着いたところでヨード放射線治療の話。
これを行うことで今度は癌細胞が残っていたとしても破壊できるという話。そのために3週間体内にヨウ素を取り込まないようにする必要があるということで、結構な食事制限を強いられました。
基本的には海藻類と着色料、増粘剤がNG。
昆布だしもNGなので、調味料がかなり難しい。日本に住んでいて出汁を回避するというのは非常に難しく、無添加味噌とか限られた調味料で工夫を凝らす3週間でした。卵が1個/日、乳製品が200ml/日ということで甘味もほぼNG、増粘剤がダメなのでお菓子類もほぼNG、いやマジで肉が食えて魚がNG
の精進料理みたいな生活してたな。
海洋深層水配合のシャンプーまでダメとかいうレベルなのはさすがに笑った。あとヨードカプセル投与後1か月はキス・セックスは控えてくださいということでした。何も控えることがありませんでした。ハハハ。
治療自体はヨード放射線カプセルを飲んで3日間隔離病室に閉じこもるだけ。何も辛くもなかったのでひたすらハピナスレイドやってました。タイミングがよかったよかった。なんなら個室だったのでA代表戦を家よりも気兼ねなく観れましたね。退院したその足でウチのバンドのボーカルのライブに行く始末。翌週セッションでお酒飲みながらいっぱい弾いてました。身体が軽い……もう何も怖くない!!!
5月には無事癌腫瘍マーカーも正常値内に落ち、ひとつ落ち着くことができました。検査始めてから正常値内に入ったの初めてだったよ……
10月にPET CTで全身の癌検査を受け、検査結果が問題なし。
一度は転移が見つかり再手術となりましたが、今度こそ安定したと言ってよさそうです。
■お金の話
・2021/6~2022/5 手術×2、入院×1
医療費計 ¥422,180 →組合補助で147,990
内入院費 :¥293,160(薬代含) →組合補助で¥25,000
PET CT :¥31,250 →組合補助で¥25,500
・2022/9~2022/12 手術×1、入院×1
医療費計 ¥299,050 →組合補助で58,750
内入院費 :¥265,300(薬代含) →組合補助で¥25,000
・2022/12~2023/5 ヨード放射線治療1、入院×1
医療費計 ¥226,570 →組合補助で106,760
内入院費 :¥136,630(薬代含) →組合補助で¥51,120
ここまで合計¥313,500(2023/11/21)
まがりなりにもステージに立たせていただいている身なので、自分の価値観としてTwitterでは極力話さないようにしてるのですが、普段は会社勤めをしています。それなりに大手と言われる企業です。
公的な医療保険として一か月の医療費が約5万円を超えないような制度があるのですが、そこがさらに労働組合の補助で25,000円が自己負担限度額になってくれました。会社の人間で本当によかった……
ちなみに、これで5年間は「がん保険」には入れなくなりました。5年間発病しなければ入れるそうですが、その場合の金額も上がるようです。
新卒で入った会社から今の会社に転職したのが29歳の時。前職で入っていた会社のグループ保険を抜けた後、無保険の状態が続いていました。「30超えたしいい加減考えなきゃな」と思いながらも、日々の忙しさにかまけて申し込みを忘れ続けこのザマだよ。後悔あとに立たず。
とはいえ知らなかった高額医療費制度。意外と、毎月払う保険料と天秤にかけると民間の保険って必要ないのでは……?って思い始めてます。そもそも癌の治療って百万単位でかかると思っていたので、想定よりはかなりマシだったかな、と。だけど癌の種類が違ったらまた全然違うんだろうな。
■もっと細かい日々の話
日記レベルの闘病記はコチラ
受けた検査の話や術後の経過、都度かかったお金など書いています。この話に興味のない人ばかりでありますように。
■健康診断はA判定だった話
会社の人間ですので、年に1回健康診断は受けていました。
2021年8月、腫れに気付いて地元の病院を受診した頃にちょうど健康診断があったのですが、見事A判定でした。会社の健康診断を受けているから大丈夫、ではないですねホント……
実は住んでいる自治体の補助で、30歳の時にピロリ菌やらの検査を無料で受けることができたんです。が、当時(今もだけど)コロナ禍真っただ中。なんとなく病院に行くことを避けてしまい、先延ばしにしていました。これも後悔先に立たず。
みんな、検査は受けような。お兄さんとの約束だ。
■これからの話
10年くらいは、数か月~半年に一度検査を受けつつ、とはいえ特に制限はなく日常を送っていくことが出来そうです。
一縷の望みをかけて半摘したけれど結局転移が確認され、二度の手術とヨード放射線治療を経て復活となりました。長い2年間だった。
転移リスクを頭の片隅に置いて生きて行くよりは、まあスッキリさせることができたんじゃないかなとは思います。これからはまた定期的に検査を受けつつ、今度こそつつがない日常に戻れたらいいなと思っています。
恥ずかしながら何も知識がない状態で癌だと告知され、正直「え、俺死ぬの?」って本気で思っていました。不安の種は尽きず、だけどそれでも色んな人の力を借りて、ライブ復帰できた時は本当に嬉しかった。感謝。
ともあれ、すっかり落ちてしまった体力を取り戻すことと、まだ少しばかり思うようにならない首肩と向き合いながら、引き続き社会人ベーシストとして日々を過ごしていきたいと思ってます。歌を思いきり歌えるようになるにはもう少しかかりそうかな。やりたいことがまだまだたくさんあるんだよ。
ちょっとだけ入院の話とか甲状腺がんの話とか出来るようになったしまったので、もし誰か私の周囲でそんな人がいたら相談くらいには乗れると思うので、いつでも連絡くださいな。
闘病中話を聞いてくれた皆さま、本当にありがとうございました。
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