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それでもやっぱり今頃室井さんは世界を変えてると思う

 「踊る大捜査線」が始まってから今年でちょうど25年になる。そして完結して今年で丸10年になる。この始まりから終わりまでの15年の間に、捜査一課管理官だった室井警視は警察庁長官官房審議官の室井警視監になった。

 出世したかどうかでいえばそれはもうめちゃくちゃに出世している。官僚のくせに2回も査問委員会にかけられるという不良みたいな経歴を持ち、もしかしたら管理官のまま警察人生を終えていたかもしれなかった彼がこのようなところまで上りつめたのは奇跡ともいえる。


 しかし、室井さんにとってはこれはゴールではない。むしろここはスタートラインにすぎない。

 FINALのラストでようやく室井さんがやりたかったことができる環境が「整った」だけであって、本当に大変なのはここからである。男は敷居を跨げば七人の敵ありと言うが室井さんには700人ぐらいおり、そのうち100人分くらいに相当する強大な敵だった池神長官と安住次長がいなくなったとはいえそれだけで室井さんは末永く幸せに暮らしましためでたしめでたし、とはならないところが組織のめんどくさいところであり、室井さんを狙う魔の手は未だにあの官僚機構の中に潜んでいるであろう。


 「上に行って、警察を変える」という明快な目標に向かって己のすべてを捧げている室井さんの成功も失敗も、この目標が叶うかどうかただひとつにかかっている。室井さんの中の人(っていちいち言わないとキャラが本当に違いすぎてわからなくなる)柳葉敏郎もそう言っている。


 「FINAL」の後に室井さんは一体どうなるのか。敵がうごめくあの場所で室井さんは果たして本当に理想を実現することができるのだろうか。あれから10年、室井さんは今どこで何をしているのだろうか。

 悲観的な人ならば、そうはいっても組織を生まれ変わらせるなんて不可能だ、室井さんもきっとどこかで潰されてるよ、そう言うかもしれない。室井さんと青島くんの「約束」の結末が描かれておらず、1人1人の頭の中にそれぞれの想像する「踊る」シリーズの結末がある以上、それは違うと否定することはできない。でも私は、それでもやっぱり室井さんは今頃警察庁長官あたりになっているし、警察は室井さんの理想とした形に近づいている、と揺るぎなく信じている。


 それは別に室井さんが最推しで私が好きになる人たちの特徴のベースになっているほど影響を受けたキャラクターで[*]好きすぎてどうしたらいいかわかんねえからとかではない。いやそれも少しはあるけどそれだけではない。「踊る」はそのような「世の中そんなにうまくいかないよ」と言われそうな夢物語のような理想を愚直に信じ続けた人たちの物語だと思っているからだ。


 まさに夢物語であるフィクションの刑事に憧れて警察官になり、ヒーローではない刑事の現実を見せつけられながらも、それでも理想を捨てなかった青島くんに影響され、冷徹な官僚でしかなかった室井さんも同じ景色を夢見るようになる。その2人に影響されて、周りも徐々に変わっていく。敵だった人が味方になり、敵しかいないと思っていた場所に居場所を見つけていく。それはどちらかが「いつまで夢みたいなことを言ってるんだ」と理想を捨ててしまえば実現しなかった未来でもある。


 室井さんが官僚社会の中で「現場の声を聞く」という目標を掲げ続けるのは、現場にいる青島くんがそうするよりずっと難しいことだろう。陰では笑われていたかもしれない。それでも室井さんは理想を捨てなかった。FINALの結末はスタートラインにすぎないとしても、あそこまで行くことができたのは間違いなく彼の勝利である。最後に勝つのはキリギリスやシンデレラの継母たちや円卓の幹部たちではなく、アリやシンデレラや室井さんであってほしい。

 何事もうまく進んでハッピーエンド、とはいかないかもしれない。それでも室井さんは勝てるであろうと信じている。それは虚構の世界だからではなく、それを観ている我々がいる現実の世界でも、室井さんのような人が最後に勝つ展開がどこかにあると信じたいからなのかもしれない。


 室井慎次の生みの親、脚本家の君塚さんはこう言っている。

「…いろいろな状況で、そんなことできない、できないけれどファンタジーであってもできたらいいねってことをずっと書いてきたわけ。僕の中にもラインがあって、そんなことはできないってことは知ってる。だけど虚構の中であっても観客が見たときにもしグッとくるんであれば、見てる人たちの中にはまだそういうものは残ってるってことなんですよね。それがなくなってしまったら、僕は書かないであろうし、もっと残虐なものや絶望的なものを書くんであろうと思うのね。室井慎次というのはその最後のファンタジーであるっていう気はするんですよ」(室井管理官コンプリートブック〈完全読本〉p.89)


 室井さんを信じることは、室井さんの中にあるものが現実世界にも存在すると信じることでもあるのだ。



[*]書きながら「大野雄大だけなんか違うな……」とちょっと思ったが、まあ寡黙な人も好きだけどうるさいのも好きということで……。

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