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サンセット大通りのバートラム・ホテルにて

[ShortNote:2021.6.6]

 映画「サンセット大通り」(1950)を観ました。Wikipedia見て興味持って次の日の昼休みにTSUTAYAで借りてきてその日の午後に観るという迅速な行動でした。

 ざっくり言うと「時代に取り残され『あの人は今』的な存在になっていのに自分はまだ第一線級の大スターだと思い込んでいる女優がどんどん狂っていって悲劇的な結末を迎える」という話なのですが、いつまでも過去に囚われているとどんなことになってしまうのかという悲惨さの魅せ方が圧巻でした。

 そしてこの忘れられた大スター、ノーマ・デズモンドの言動が60年以上経った現在でも「いるいる……こういう人いるわ……」としみじみ感じてしまうくらいある意味普遍的です。「昔はすごかったんだろうけど、今はあなたの時代じゃないよ……」と思ってしまう人。

①今のものを批判する

 「アメリカ映画の名ゼリフ100」第24位にランクインした「I am big! It's the pictures that got small.(私は大物よ! 小さくなったのは映画の方だわ)」といい、ノーマは今のトーキー映画について批判的な考えを持っていることがうかがえます。あるあるですね。「最近の○○は~、私が若い頃はこうだったけど今はこうで~」とか言いがち。

②大物扱いされて気持ちよくなる

 撮影所のスタッフがノーマの所有するクラシックカーを撮影のために貸してほしいと連絡してきたのを、自分の台本が採用されたのだ! と勘違いしたノーマは意気揚々と撮影所へ出向きます。ここでかつてよくタッグを組んでいたセシル・B・デミル監督(本人役で出演)や俳優やスタッフたちが彼女を一応昔は大女優だったから……と気をつかってちやほやした結果、彼女の思い込みはエスカレートしてしまいます。照明係がノーマにスポットライトを向けるシーンが印象的。「スポットライト症候群」という言葉があるように、明らかにあのライトでノーマのスイッチが完全に入ってしまったように思います。

 これ、スケールがあまりにも違いますがジャルジャルの「何も用ないのに部室くるOBな奴」にも似てる気がします。周囲が「先輩だから」「すごい人だったから」と気をつかって丁寧な対応をした結果、過去の栄光を食いつぶしながら生きている人にとってはそこが最高に心地よい場になってしまう。ジャルジャルの方は現役時代も補欠の人でしたが。


③昔の仲間とばかりつるむ

 この映画のすごいところはバスター・キートンなどサイレント期を代表する役者たちが本人役で出ているところです。正直バスター・キートンしか知らないけどバスター・キートンがいる時点ですごいことはわかる。というかノーマ役からして「サイレント期の大スター女優」というまったく同じ属性を持つグロリア・スワンソンです。攻めたキャスティング。

④今の自分をちゃんと認識できていない

 ノーマがスクリーンカムバック作に選んだのは「サロメ」です。妖艶さと少女性が同居するこの王女役を50歳を過ぎたノーマが演じるのはさすがに無理があります。このチョイスの時点でグロテスクなのですが、ノーマはどうも自分がまだ10代20代の最高に輝いていた頃のままだと認識しているように見受けられます。そこが主人公のジョーに嫌悪感を覚えられるところでもあるのですが、昔の自分がやっていたことに固執するのではなく、それこそ彼女を演じたグロリア・スワンソンのように今の自分にしかできない役柄に挑戦し演じ切ればいいのにそれをしません。できないと言った方がいいのかもしれない。

 ノーマはジョーにあからさまな好意を抱き、ノーマは口論の末出て行ってしまったジョーを引き戻すために手首を切るという病んだ行動に出たため、彼はノーマから逃げられなくなってしまいました。ノーマとジョーの不健全な関係と比べたら、親友の婚約者であるベティとの関係はどう見ても浮気なのに遥かに健やかに見えます。

 一番象徴的なのはノーマの香水を「嫌いな匂い」と評したジョーがベティに「いい香水だね」と言うところ。ここだけでもうノーマとベティの違いが表現されています。女優を志しながらも挫折し、それでも「裏方の仕事が合ってるし好き」と屈託なく言う若いベティは、いつまでもスポットライトの当たる人前に執着し続ける老いたノーマの醜さとは残酷なほど対極にいます。ジョーも行き詰まっているとはいえ脚本家としての未来にそれなりに希望を抱いているわけで、まあ2人ともすがるほど栄光に満ちた過去を持っていないだけかもしれませんが、この2人からすればノーマなんて過去に囚われた怪物でしかないわけです。

 ノーマもノーマで、本当に心から「自分は今でも大スター、その気になればすぐ第一線に戻れる」と思い込んでいたのではなく、うすうす自分でも気づきながらもまともに事実を直視してしまうと耐えられないので、その恐怖から逃れるために目をそむけていたのかもしれません。意識してそうしていたかどうかはともかく。そして激昂したジョーに大量のファンレターも執事マックスの創作だったことなど逃げていた現実をつきつけられ、ノーマはついに崩壊してしまいます。


 懐古主義的なものといえば、「サンセット大通り」と同じぐらいのタイミングでアガサ・クリスティの「バートラム・ホテルにて」も読みました。ミス・マープルシリーズです。

 この作品の舞台はロンドンのバートラム・ホテル。外装、内装、調度品、サービス、さらに常連客までエドワード王朝時代(作中の時代からいうと5、60 年くらい前)で時が止まったような良く言えば古き良き、悪く言えば時代錯誤なホテルです。ミステリなので詳しくは言いませんが、このホテルの古めかしさそのものがミス・マープルに気づきを与え、事件の真相へ近づけることになります。


 懐古ブームだったのか、「バートラム・ホテルにて」の後に東京の今の地図と30年前の地図を比較して違いを楽しむという本を読みました。こういうのが大好物なのでおおむね楽しめましたが、やはり「今は同じような商業施設ばかりが建って云々」というような懐古的な文言が出てきて、複雑な気分にもなりました。それを言ったら30年前だって「タレントショップばっかり作りやがって」とか「古き良きところだったのにあんなのが建っちゃって」とか思われていたんじゃないでしょうか。というか「今の地図」といっても2013年のものなのでもうすでに懐かしいです。宮下公園がある……。

 そこで「バートラム・ホテルにて」の「同じであればあるほど、物は変わる」というセリフを思い出したわけです。街も文化も時代も移り変わっていくもので、まったく変化しないものはほとんどない。時代を追いかける必要も変化も全部受け入れる必要もないですが、せめて「変わっていくのが当たり前」という気持ちぐらいは持っておきたいです。

 などと偉そうに言ってもこの先「昔はよかった~」と言い出す人間に絶対ならないとは言い切れないので、そういう時のために「All right, Mr.DeMille, I’m ready for my close-up.」を胸に刻んでいたいです。過去に囚われて未来に向かって生きられなくなった人間の末路。

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