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金色夜叉・オブ・ザ・デッド

[ShortNote:2021.1.17]

  (※タイトルに深い意味はありません)1月17日まで待てずに既に2つも金色夜叉について書いてしまいましたが、今度こそ正真正銘の1月17日です。

・そもそもなんであんなにキレたのか問題

 前に述べた通り私の卒論のテーマは金色夜叉であり、けっこう真面目にやったのでこのジャンルではわりかし強めに自説を主張できます。よろしくお願いします。

金色夜叉の1月17日といえばあの有名なアレです。

(あの有名なアレ)

 そもそもなぜ貫一はそんなに怒ったのかというと、これはフラれたからキレたという単純な話ではありません。宮の振る舞いが引き金になったことは間違いないですが、その裏にはもっと根深い問題があり、問題の根幹を成しているのは彼の生い立ちです。

     彼は15歳で孤児になり鴫沢の家に引き取られたのですが、そこでは「決して厄介者として陰に疎まるる如き憂目に遭ふにはあらざりき。憖ひ継子などに生れたらんよりは。かくて在りなんこそ幾許か幸は多からんよ、と知る人は噂し合へり」と実の息子のように育ててもらいました。が、貫一自身の胸にはずっと「自分はよその子である」という疎外感のようなものがあったようです。

    ずっとこのまま平穏無事に暮らせていればその種が発芽することはなかったのでしょうが、パパ宮(宮のお父さんに私が勝手につけた呼称)が「宮を富山唯継へ嫁がせたい」と切り出した瞬間彼の運命は狂いました。熱海じゃなくてここで狂いました。しかもパパ宮が切り出す前に「お前が学士になりそうなところまでいけたのは俺たちが世話してやったからっていうのは当然わかってるよな、な?」的な余計なことを言ったので「これを聞ける貫一は鉄縄をもて縛められたるやうに、身の重きに堪へず、心の転た苦きを感じたり」となってしまいます。士族の血を引いてるからなのか彼は非常に義理堅く決して恩を忘れない男ですので、このセリフはいけません。いけないというかパパ宮は貫一くんにはこのセリフが一番効くであろうことを見越して言ったようにも思えるのでさらに悪質です。

    ただしこの時点ではまだ宮さんという名の最後の希望が残っています。「さしもこの穢れたる世に唯一つ穢れざるものあり。喜ぶべきものあるにあらずや。貫一は可憐き宮が事を思へるなり」。たった今恩人だと思っていた人に留学させてやるからうちの娘と別れてくれない? と血も涙もない裏切りをされたばかりですが、まだ宮のことは「某の帝の冠を飾れると聞く世界無双の大金剛石をもて購はんとすとも、争でか動し得べき」と信じています。確かに彼女は態度がいささか冷たいような時もあるがそれはそういう性格だからであって決して自分に愛情がないわけではないのだ、と自分に言い聞かせる貫一は一つだけ残った望みのために一路熱海へ向かうわけです。

    しかしここで貫一的には富山のところになんか行かないわ! 私が愛してるのはあなただけよ! と言って欲しかったのに、彼女はあっちには嫁ぐけどあなたのことも忘れないし云々としか言いません。このどっちつかずの言動が既にボロボロになっていた貫一の心をこっぱみじんに打ち砕きます。並大抵の砕かれ方ではありません。これがもしまどマギなら魔女化していただろうし鬼滅の刃だったら鬼になっていたでしょう。夜叉だから鬼の方が近いですね。キュゥべえも無惨様もいなくてまだよかったかもしれない。そしてあの日本文学史に残る名ゼリフが誕生したわけです。

    これまで愛情でつながっていると思っていたのに、鴫沢夫妻も最愛の宮さえも自分のことなど金で売り飛ばせる程度の何かとしか見ていなかった。本人たちの真意はともかく貫一はそう受け取ってしまいました。両親が健在で間の家にいられていたならば、富山ぐらいの資産があれば、せめて学士の称号を既に手にしていたならば、ここまで軽んじられることはなかったのではないか。その無念が彼の感じやすい心に修復不可能なほどの深い傷をつけてしまいました。だいぶ後になって鰐淵直道へ言った「親が附いてをらんと見縊られます。余り見縊られたのが自棄の本で、遂に私も真人間に成損つて了つたやうな訳で」という言葉からも彼の捉え方が窺えます。

    肝心なのは貫一の心のうちを誰もまともに理解せず過小評価していたきらいがあるところです。パパ宮は貫一は宮と結婚するより自分の勉学の方を優先するはずだと(願望も込みで)決めてかかっていたし、ママ宮も「男と云ふものは思切が好いから、お前が心配してゐるやうなものではないよ」と娘を慰めます。宮ですら彼の激昂に遭うまでは1月17日の月に呪いをかけるほどの激情を秘めていることを知らなかったのではないでしょうか。

    宮は彼の思いの強さを直にぶつけられて思い知りましたが、両親の方は貫一が失踪した後でも何でそんなに怒ってるのか理解できていません。パパ宮は「我々も悪いところはあったかもしれないがお前のやり方もよくないぞ」とこういう場合に最も逆効果な説教をするし、ママ宮は貫一さんをどうにかしてあげてほしいという娘の頼みにも「貫一の為方は増長してゐるのだよ」と諭してきます。当の2人は生きながら地獄に堕ちたかのような心持ちなのに、両親は鈍感です。鴫沢夫妻の方にも言い分はあるでしょうが、ちょっと貫一推しとしては一番悪いのは宮さんじゃなくてこの人たちなのでは? と考えてしまいます。黒幕も富山じゃなくてこっちのような。

 やはりこの家の子ではないという引け目が感情を抑圧してきたような面もあったのではないでしょうか。もう15歳ですから分別もあったでしょうし。普段押さえつけていた分ひとたび爆発すると手がつけられなくなる。いつもおとなしい人ほどキレると怖い、これは明治でも令和でも変わらない真理であります。

・金色夜叉少女マンガ説

 1月17日なので当たり前ですが別れの話ばかりしていてかわいそうになってきたので違うことを言います。この別れの年、貫一は25歳で宮は19歳です。つまり2人は6歳差です。年齢差ソムリエ的にもなかなかいい感じです。これを踏まえて貫一が鴫沢の家にやってきた時の点を考えると、貫一は15歳なので宮は9歳です。ときめきで血圧が上がってしまった。現代で置き換えるならば高1男子小4女子です。

   無論この時にすぐ恋愛感情を抱くようなことはないとしても、その後同じ屋根の下で生活をともにして成長するにつれ次第に恋が芽生えていく素地としては最高です。宮視点から見るとある日突然大人でイケメンなお兄ちゃんがができたわけで、完全に少女マンガ第1話の回想プロローグです。絶対こういう設定のマンガかアニメあると思うんだけど詳しくないので何も思いつかない。お客様の中に疑似兄妹的幼なじみものに詳しい方はいらっしゃいませんか。いつまでもお待ちしております。

 他にもこの前のnoteで書いたショールのシーンもあるし、赤樫満枝は見た目は派手だけど中身は純情で一途なギャルキャラみたいだし、おとなしい主人公の恋路をそっと応援してくれる悪友ポジションな荒尾もいます。これはどっちかというとギャルゲーっぽい。

   以上のような現代にも通じるキュン要素が散りばめられているからこそ124年後まで読み継がれ私をしてこういうものを書かせしめる作品になりえたのだと思います。文学的な高尚さ(あるけど)がどうのとか関係なく、読者の心を揺さぶり感情を動かすエンターテインメントこそが強いのだと紅葉先生が言っているような気がします。

・今月今夜の月のコーナー

 あの日から約1世紀後の2021年1月17日、今夜の月はどうなのかチェックする毎年恒例の行事です。

 ご覧の通り見事な三日月。この日の空が曇ることを「貫一曇り」と言うらしく曇っててもキュンキュンするし、さらに宮さん理論では晴れててもどこでどうしているのか分からなくて不安ということで曇っていようが晴れていようが心休まることがないのですが、それでもやっぱり今夜晴れるとちょっとホッとしてしまいます。


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