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何もできなかった1週間

こんにちは、こおるかもです。
今週は何もできなかった。あれだけ本を読むと誓ったのに。

理想

18:00 - 帰宅
18:30 - 料理
19:00 - 食事
             読書
23:00 - 趣味
24:00 - 風呂
25:00 - 就寝
  8:00 - 起床
  8:30 - 出社

現実

18:00 - 帰宅
19:00 - 疲れた。とりあえずゴロゴロ。
20:00 - 料理とかだるくてできない
21:00 - YouTubeおもんない
22:00 - お腹空きすぎて動けない
23:00 - 即席ラーメン
24:00 - 風呂キャンセル
25:00 - 就寝
  8:30 - 起床
  9:00 - 出社

こんな感じの生活を月~金まで過ごしました。
家族がいないとこんなに怠けるものか。

どうしてこんなことになったのかというと、実はきっかけがあって、今週の月曜日はイギリスは祝日だったんですが、火曜日に取引先に提出予定の資料が全然終わらないまま週末を迎えてしまっていたので、マネージャーと相談して月曜日に振出して出社したんですね。

それで、なんとなーく、メンタルがやられました。

日本時代は振出(と言う名のサービス出社)なんて当たり前だったけど、イギリスに来てからそんなこと一度もなかった。

だけど、今は家族も一時帰国中でいないし、祝日に出社してやりゃあいいかと思って、金曜日も特に頑張るでもなく定時退社してしまった。

でも実際に祝日に出社して、誰もいないオフィスで作業をしていると、唐突に妙な焦燥感と孤独感に襲われ、仕事は無事に終わったものの、帰宅したら何もできなくなってしまっていました。

そして一度崩れた生活のリズムは戻らず、ずるずると1週間、かろうじて仕事だけする浮浪者みたいな生活になってしまいました。

そして今日(土曜日)、昼過ぎにようやく起き出して、テキトーに飯をかっこんで、近所のCosta Coffeeに逃げ込んで、この記事を書いています。

今週ベッドでゴロゴロしていたときに思い出していた、10数年前のことを書いてみようと思う。

以下の文章には、自然災害に関する描写が含まれます。


ぼくはもともと躁鬱症が激しいところがあって、やれるときにガーーっとやって、やれないときはとことんやらない、そんな生活が大学院時代の研究生活を卒業するまでは当たり前だった。

さらに遡ると、20歳の夏から1年くらい、ぼくはしっかりめの鬱病を患った。それが今の自分の始まりだった。

ある日の朝、体を起こす方法を思い出せなくなってしまったかのように、ベッドから一歩も動けなくなった。

それは「風呂キャンセル界隈」なんて甘っちょろいものではなかった。授業キャンセル、バイトキャンセル、食事キャンセル、そしてトイレキャンセルまでいくと、いよいよ人間として怪しくなっていく自分を感じた。

当時は実家に住んでいたけれど、部屋を封鎖して親とのコミュニケーションを絶ち、さらに数カ月後には家を出てその場で借りれる安アパートで暮らすようになった。

そこからしばらく、動けたり、動けなかったり、バイトをクビになったり、単位をほぼ全部落としたりしながら、地面を這いつくばって生きていた頃、地面が大きく揺れ、その後に大きな波が日本列島の東の方を飲み込んだ。

それで何かに突き動かされたぼくは、某NGO団体を通じて、震災10日後に現地入りした。水も食料もガソリンも持参して、朝から晩まで泥をかき出し、瓦礫の撤去をした。

炊き出しをして、地元の方と一緒に食べた。
拾った軟式ボールで、子供と無言のキャッチボールをした。

結局20日間くらい塩釜で過ごして、ぼくは帰京した。
アパートを引き払い実家に戻って、親に頭を下げた。
そして翌日から中央線に乗って、大学へ通いだした。


あのときのことを思い出しながら、ベッドでゴロゴロしていると、あれからいろんな事がありすぎてすっかり忘れていたけれど、やっぱりぼくはまだまだあの頃のぼくなんだな、とつくづく思う。

何もできない1週間があったっていい。

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