ブスと美人、なりたいのはどっち?

綺麗になりたいはずなのに、なぜか踏みとどまってしまうことがある。本当になりたいのは、ブスと美人、どっちなんだろう。

小学3年からド近眼のめがねをかけ始めた。

高校生になって、誰かに何かを言われたわけでも、鏡で自分の顔を見つめたわけでもないのに、めがねをかけた自分の容姿に自信を持てなかった。

コンタクトにしたいと母親に相談したけれど、「自分で管理できないうちはダメ」と一蹴された。管理なんて簡単なのに。

そんなこともあって、周りの同級生がどんどん綺麗になっていくなか、卑屈な自分が形成された。「わたしの取り柄は頭の良さだから、この場所ではその取り柄で天下を取ってやる」なんて、思っていた。

大学生になって、ようやくコンタクトデビュー。自分の容姿に自信を持てるようになり、高校の文化祭におじゃましたときなんかは、ほとんどドヤ顔で当時の同級生と挨拶を交わしていた。

でも……小学生から通っている習い事の教室へは、めがねをかけていない姿で通うのが恥ずかしかった。変化した自分を見られることに怖さすら覚えた。

ブスと美人、本当になりたいのはどっちだったんだろう。

大学を出て、上京して、仕事以外で人と接する場所は紛れもなく、アイドルオタク現場だった。

わたしは「女オタの中ではかわいい方。特に努力をしなくたって、コンタクトさえ入れていれば、アイドルと同等にかわいい」という歪んだ自意識を持っていた。

そしてそのまま、齢25歳を迎えた。

アカリンのYouTube動画をきっかけに、ほかの美容系YouTuberの動画もチェックするようになった。

「メイクってすごい……こんなに綺麗になれるなら、もう少し頑張ってみよう」とコスメを買い揃え、研究。月一で通っている整体の先生に、顔面をめちゃくちゃ褒められるようになって、自信が持てた。

でも……やっぱり、職場の人に、ばっちりメイクした姿を見られるのは、恥ずかしい。「こいつ、気合い入ってんな」と思われるのが嫌だ。

ブスと美人、本当になりたいのはどっちなんだろう。

わたしは、人にどう見られるかを、気にしすぎなのかもしれない。変化によって、誰かに何かを言われるんじゃないかと怯えて、良い方向に変わることができないのは、人生、損してるんじゃないか。

本当は「どうだ!美しいわたしに跪け!」と言わんばかりに、バチボコに綺麗な女になりたいはずなのに。

わたしがなりたいのは、美人だ。