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RADWIMPS洋次郎さんのコロナ禍での不信感が確信に変わった日:声出し扇動の件とライブの感想 (2022/1/8幕張公演)[MCのみ一部ネタバレ]

注意喚起① 本記事はセットリストには一切触れませんが、洋次郎さんのMCと進行についてネタバレ?があります。(毎回MCで同じ話をするものでもないですが、ライブの楽しみを一部ばらすということで注意喚起です)
また、録音などをしているわけではないので表現が正確でないかもしれません。事実誤認がある場合、ご指摘ください。お詫びの上訂正します。
注意喚起② 記事後半部分で、ごく個人的な見解からなる、野田洋次郎さんの言動(≠人格)に対する強烈な否定的表現が記載されています。まず所謂Wimperと呼ばれるRADWIMPSのディープファンの方は、記事をご覧になるのを強くお勧めしません(特にライブ直前の方はご覧にならないでください。)なぜなら書いてあることがいいか悪いかに関係なく、読んだ時点でこういった批判がアーティストを応援しているファンの気持ちを強く傷つけることになることをよく知っているからです。(wimperの友人にも敢えて言ってません)。それでも、ご理解の上で真剣に考えてご覧になってくれる方、ライブに参戦した人や、その他洋次郎さんの言動に詳しい方から詳しい意見がもらえるのは、自分で持てなかった側面の意見を知るきっかけになるので慎重に目を通そうと思います。

追記:2022/1/9
2日目以降、公式ガイドラインが「声出し禁止」➡「大声禁止」に修正されました。公式側ですり合わせがあったようです。残りの期間、参加者がライブの場を納得して楽しくような状況で過ごせるといいなと思います。

before(1/8)
after(1/9)

ライブ自体はとても楽しみました:サポートメンバーによって大きく進化したバンドに驚く

いきなり本題に入るのもあれなので、なんとなくのファン歴と素直なライブの感想も書かせてください。
RADWIMPSとの出会いはアルバム4が出たころで(高校生?)、そこからどっぷりのめりこみファンになり、英語歌詞の歌をほぼ全部暗記し、そのおかげもありある程度、英語が喋れるようになって今仕事でも使っているという感じで、人生に切っても切り離せないバンドの一つであります。絶対延命ツアー@Zepp diversityに参加したあたりを契機に、就職と共に少し離れた時期があり、今回ひしぶりに友人と参加した、という経緯です。

今回のライブでまず驚かされたのがサポートメンバーの四人!

ギター:TAIKINGさんが桑(ロック/メロディ)とまったく別のアプローチで弾くタイプ(ソリッド/ブルージー)で過去の作品が新しく蘇ったし、バンドが今のトレンドで進化してるのがよく分かった
桑のレスポールは抜群の安定感でメロディを奏でるように弾くユニークな存在だったけど、桑の弾いているフレーズが頭に残った状態でTAIKINGさんがストラトを聞くと、すごくクラシックでかっこよくソリッドに仕上がるので、すごく曲がかっこよく締まるようになったなと思いました!
全体的に重さとしつこさが抜けてデジタルな感じ?に進化しているのがクールでめっちゃ感動しました。2000年代のロックから2020年代のエレクトリックな手法にちゃんと乗っけて進化したんだな!と感じられた。今後あの特徴的なギターがない中でどう曲作りが進化するのかも注目だと思う。

ドラム:向き合って半分メカ化した構成のツインドラムセット
電子音とかオーケストレーションっぽいフレーズをお互いがバトンタッチしながらユニゾンしてく感じで、「ドラムが二台いるとこんな広がりがあるんだ!」と感心した。昨今当たり前になったエレクトリックな音を録音でなくライブでやりきれる幅の広さを獲得してるところがバンドとしてワクワクする、圧倒的な進化だなと思った!

問題のMC:会場のファンに対して、今の状況のあてつけのように声出しをあおる洋次郎さん

今回の件は自分でもショックで動揺している部分がありますが、
結論から書きます。
洋次郎さんのLIVE中のコロナ対策に関する発言を聞いて、「共催パートナーに対して卑怯で、ファンに対して失礼で、今ライブという選択肢を選んでるプロミュージシャンとしてダサくてカッコ悪いな」と感じました。それ以上でも以下でもないです。場内での感染リスクとかいろんな論点はありますが、私が一番気になったのはここでした。

(初回MCでの発言)「咄嗟に出ちゃった声とかはOKらしいんで、もっと声とか出しちゃっていいんじゃない?」「スポーツで上がる歓声とかはオッケーなのに、音楽であげちゃいけないのは意味がわかんねー」「咄嗟に出ちゃった声、もっと出してこう」
(次の曲終わりにダメ押しで)「全然聞こえないんだけどもっと」「飛べるだろ!幕張!」→戸惑ってた観客も決壊して歌い出す。

▶開催パートナーに向けて:普通の人間なら「コロナは飛沫感染する」ってことを知ってるはずなんだから、”(咄嗟とか関係なく)声を出す”、”息を荒くさせる”ことは感染リスクを上げることは小学生でもわかると思う。でも感動を提供するエンターテイメントの現場では「いいものであればあるほど声が出てしまう」というジレンマがある。
”心から楽しんで出た声はいいよ”という事前の場内アナウンスはこの状況下で一生懸命イベントを成立させようとしてきたイベンター/パートナーさん達の、アーティストとファンへの最大限の心遣いであり譲歩だと思う

それをパートナーと納得するまで打ち合わせるならまだしも、本番で突然裏切る行為って、協力して仕事をする人として最低だと思わないんかな?(咄嗟の声、なのに意図的に出させようとしてるし)
「気に食わない大人が決めたルールを当てつけにして、やりたいことをしたいだけ」にしか見えないんだがなんか考えがあるんでしょうか?これをやると引替えに、どんなメリットがあるのか?何も伝わってこなかった。
そもそも”声出し禁止”という国のガイドラインよりも厳しいルールを関係者と合意して開催するメリットを享受しておいて、現場で裏切るのは本当に誠意がないし卑怯だと思った。

▶観客に向けて:さらに、これを聞いた観客がどう盛り上がればいいのかも想像出来てないと思う。普通に考えて、普段からコロナ禍で対策してイベントに参加したり、企画してる職業のファンがいたら、彼らは違和感を感じるだろう。だって対策も代案もなしにリスクだけ上げてるんだから。
こうなったら雰囲気に没頭できないし罪悪感もある。歌ってしまった観客の人たちだってそんなに責めようとも思えない。本当にそのバンドが好きな人達は、大好きな人があのファンしかいない閉鎖的な空間で声を上げろって言ったら、「彼の言っていることを守ろう」と思ってしまうものだと思う。(が、自分たちでも違和感は感じているはずだと思う。)
居心地も何となく悪いし、1番大事なファンの帰属感、「ここにいていいんだ」「この場所にきてよかった」「これか生きがいだ」ってことを感じられなくなる。それってフロアをアゲられないという意味でステージパフォーマーとして失格なのでは?と思う。

*直後の、とある曲中で「(おそらくコロナ前の)会場が歌っている映像と音声」が流れるシーンで、洋次郎さんが、観客が間違えて歌わないように「心の中で歌ってください」とフォローしていたのもここで触れておきます。彼の中の一線はあくまで”咄嗟に(?)”歌うことを煽るのはOK、のようです。

(初回&2回目MCでの発言)「行政のルールで、椅子入れれば間隔とらないでキャパ増やせるらしいんですよね。意味わかんないけど笑」「初めてアリーナにも椅子入れたんですけど、どうすか?(観客から肯定的な拍手のリアクション)→早くスタンディングでやりたいよね?」

今日という日のライブに来るために金と時間と体力と情熱を使ってきたファンをバカにしてるのかと思う。今日来ている人たちは"椅子のない"スタンディングでモッシュしながら見ることもない。これを聞いて「なんで間隔の狭い席に自分たちは押し込まれたんだろう?そっちとったの?」と思った。「お前らのリスクは上がるけど、たくさん客を入れる/オレがやりたいようにやっただけ」「行政には言わなかったけど、あいつら馬鹿だよな」とでも言いたいんでしょうか?どんな納得できないやりとりがあったかは知らないし、ライブ現場が火の車なのもわかる。けど、この場でファンに言うことなのか?と思う。それをぶつけて何にになる?割を食ってるのは観客だ、ということを知るだけなのに。

アーティストとしてライブに対して信念を持っている、ということ

私は「反社会的なことは全部するな」とは思ってないです。アーティストなんだし、過激でも表現することは「カッコイイでいい」と思う。声出しルールを破ることだって、自分なりの目的ややり方があればいい。それについていくかどうかはファンの責任で選べばいいと思う。けど今回に関しては信念のないわがままに見えた。

ELLEGARDENが2006のSpacesonicツアー、新木場公演で、ダイブを危険視した運営(ライブパワー社)がセキュリティ担当を会場に入れて(*バンド側と「セキュリティは客席に入れない」と事前に取り決めていたにも関わらず)、Vo細美さんが「約束が違う」「ライブパワーが居なくなるまで俺らは演奏しねえ」「そこはお前らの遊び場だ、お前ら以外の人間は入れさせねえ」って突っぱねてライブを中断し、楽屋まで下がって担当に「どうなってんの?」と詰問する事件があった。ただ細美さんはステージに帰ってきてMCで続けて意図を語った。「日常に帰ったら嫌なこと辛いことたくさんあるよな、でもここがお前らの居場所なんだろ?柵の向こうはお前らのもんだ」「ライブパワーさんよ、あんたらがいなければ、俺はライブできねえってことは知ってる、感謝してるんだよ、でも俺らのやりたいように、なんとか出来ねえかなぁ」(ライブパワー退場後拍手)「その代わり、お前ら誰も怪我させんじゃねーぞ。具合悪そうな奴がいたら助けてやれよ」

細美さんは「ルールには従わないけど、自分たちでどういう場を作りたいか、それをどうやって実現させて行くか」をちゃんとメッセージとして伝えてた。その後もライブは演目「Middle of nowhere」の途中で観客がダイブから落ちて演奏中断、最後までグダグダだった。
「さいごまでグダグダだったけど俺ららしいよな笑」

エルレ最高って言いたいんじゃないし、うまくいったかどうかは関係ない。
ライブという1回の機会にお金と時間と情熱をかけて来てくれている人達と、どうこの場を最高にしていきたいかを示して挑戦していくのがライブをするプロなんじゃないか?と思う。

もしかしたら、細美さんは「ロックを通して場を作ることが信念」で、洋次郎さんは「自分の音楽をナカマと発表する場、として捉えてる」のかもしれないし、「騒いで盛り上がることが至上でそれはどんなに状況が変わっても譲れない」と思っていて前提が違うのかもしれない。でも、ライブで目の前に来た人と向き合えないのは単純に尊敬できない。さまざまな音楽活動があるなかでライブという形態を選んだのは、他でもないあなたなのだから。

今回のライブ、イメージとしてはコンビニの前でたむろしてる中学生に「タバコ吸うのがカッコイイよな?大人は俺らのこと何も分かってねえわ。お前らも吸えるよな?」みたいな巻き込まれ方をした感じだった。吸うのがイヤ(コロナ感染リスクが上がるのがイヤ )と言いたいのではない。

それよりもプロとして、自分が開催して金を集めてやると決めたライブで、現状に不満だけ言ってやりたいことも示せず*1、自分のパートナーである共催者と行政をバカにして見下して(しかも両者に直接は言わずにヘーコラして、ステージに上がってから自分の味方(ファン)たちの前で裏切って晒しあげる)、観客に同調圧力かけてる姿を見て、人として、ロックをやる人間として、信念がなくてクソダサいなと思った。

ロックには反社会的な側面があるのは否定しない、でもやりたいことと信念があるから支持された。そして現代ではアーティスト自身も多くの日本人も平和な社会情勢で生きてきて、もっと内面的なところにフォーカスしてロックも変わってきてる。「ヤダヤダいってるだけ」ではロックにならない。快速東京もサカナクションもBUMP OF CHICKEN etc...も「今ライブをどう最高にしてブチ上げたいのか」がそれぞれのやり方で挑戦してるのが伝わってくる。やりようはあると思う。

過去のRADWIMPSの音楽は自分の青春だったし、英語を勉強して仕事に使えるまでの礎になってくれた。それはいつまでも変わらないし、その時の音楽は聞き続けるけど、これからの音楽と彼は聞く気にならないし、コロナ禍を超えるまでライブは絶対に行かないと思う。野田洋次郎さんは良くも悪くも子供のままで、ライブという媒体を通して彼とコミュニケーションした自分は大人になった彼を期待してしまっていた。今後彼を信頼したいと思わなくなった。
その変化は自分にとってショックだったし、悲しく思った。報道で言われていた自分勝手さを裏付けるような人間としての薄っぺらさを感じてしまって、自分の中で野田洋次郎さんと共にRADWIMPSは終わってしまったな、と思った。

*1 4/23/2021の炎上ツイート。
「「僕自身何が正解かなんてわかりません。『正しさ』が日々変化し続ける状況の中、共に考え前に進んでいきたいと強く思います。疑問を放置せず、この困難を共に生き抜きたいと願っています」
▶考え、進んでいく?なにを?どう?
結局答えが見つからなかったのを「前に進んでいく」と言っているなら、問題解決能力がなかったか、人に頼ったり模索したりすることもしなかっただけじゃないのか?自分のサービスを世の中に適応できないのであればそれはプロではないし、少なくとも行政/医療/自治体などほかの領域のプロの活動を蔑んだり意見する資格は1ミリもないと思った。

もしかしたら彼個人や彼の知人がとても苦しんでいて、感情的にそれに向き合えない心境だったり、ストレスがすごくかかっていて僕らでは想像できないような負担がパフォーマーと言う人種にはかかってる、という事情もあるのかもしれない。でもそれは「個人、野田洋次郎」として同情したいし応援したいけど、アーティストとしてその態度を開き直っているのはもう尊敬できないかもしれない。


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