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爆破させたい。しがらみを

前置き

だいぶ温まって来たので、ボクの野望の一つを伝えたいと思う。

人の目につく場所に出て来た本来の目的だ。

野望:「恐るべき日本人育成計画」

固定観念や不安やしがらみの爆破

犯行声明

ボク、highlyseは既知の概念を破壊したいことをここに表明する。

「打倒しがらみ!倒せ己の中の束縛観念!!」

大義名分:変われる人を変えたい

大口を叩いてみたものの、ボクは考えて発表することしか出来ない。そして大衆の面前にはまだ堂々として出られない。

さながら研究員1といった感じだ。総統や参謀なんかにはなれっこない。

しかしながら、考え方の提唱をし続けることで変わりたい人を応援できるのでは?と考えた。

明るいニュースが取り上げられ、才能ある子どもが活躍する様子が伝えられるようになってきた。Twitterで共感を得たマンガエッセイをあげる人達が書籍を出すようになってきた。

ボクが何をするまでもなく、多くの人が自分の考えを伝えて、知恵や工夫を伝えて来ている。そんな凄い人達を見て何度も意志が挫けそうになる。「ボクの出る幕なんてない」と。

しかし、ボクはまだまだ考え方を変えれない人や、どうしていいのかわからない人が居るのでは?と考えた。

悩みというものは目には見えない。匿名な上にイタズラだってある昨今、各所で散見する悩み相談が本気かどうか判断することもできない。

しかし、悩んでいる人が居ない訳ではないのだ。ボクだって昔は何もわからなかった。今も多くの青少年達が考え方の檻に閉じ込められている。

もし、何もしなくても明るく進んでいるのならば、イジメに悩む親も子も居ないはずだ。

もし、本当に誰も価値観に縛られていないなら、もっと活気とアイデアが渦巻く国になっているハズなのだ。

だからボクは弱者をという身に囚われる人々の意識を変えられるようにしたい。

たとえ愚か者と呼ばれようとも、何も知らない阿保者だと嘲笑われようとも、ボクは考え方の提唱を続けたい。

ボクは本来の意味の「愚者」でありたい。賢き者でありたい。何も知らないからこそ新な視点で物事を見れることを喜びたいのだ。

何故、人々は頭の良さで繋がりを切り離してしまうのか理解できない。組み合わせることで科学反応を起こし、新たな発見を得られるのだから。

知識ある者と知恵ある者は別々に存在しても良いのではないだろうか。知恵ある者が提唱し、知識ある者がその知識でバックアップするべきだ。

人からの又聞きで申し訳ないが、彼の有名なスティーブ・ジョブズ氏は自らは提案者であり、開発は別の者がしていた。

ゲームの話で申し訳ないが、Steins;Gateでは倫太郎や鈴羽など知識の足りない人がアイデアを出し、バカにしながらも天才科学者の紅莉栖がそれを形にしていた。まゆりだってアイデアのキッカケになってた。

二次元や天才だからどうとかいう問題ではない。アイデアを出すのは誰でもいいが、それらを正しく落とし込めるのは知識ある者の役目だということだ。

アイデアはしがらみがあっては出て来ないのだ。知識ある者は常識的であることばかり考えてしまう。しかし、知識なき者は疑問を持つことが出来る。

科学は、しがらみ無き発想の者が提唱し、後にしがらみ無く受け入れた者達が形にして来た。

これはバカにできたものではないのだ。そもそも、日本の独自文化である二次元の興行だって縛られない者達が発展させて来たモノだ。

今の日本のYoutuderだってそうだ。Vtuderだってそうだ。ニコニコの民もまた頭のおかしい発想を(良い意味で)無駄な技術で形にしてきたのだ。

昔の地動説飛行機の発想だって馬鹿にされてきた。地球が丸いことだって誰も想像つかなかった。なのに形に出来たのは、それを信じても信じなくとも証明してやろうと動いた者がいたからじゃないだろうか。

今のボーカロイドの飛躍だってそうだ。そもそもボカロなんて気味悪がられ、貶されてきたのに。面白がって触れてみた者から始まり、キャラクターを付けて愛されて来た。だからこそ今に繋がって来ているのだ。

未知というものは楽しんだ者こそ向き合えるものではないだろうか?

それは科学者や日本の文化だけではなく、それぞれの分野であった出来事だろう。

それに、何も好きから始まらなくたっていい。マンガエッセイの人達は描くことが出来る人から始まってはいるが、今や自分を伝えるために下手なりにその方法を試す人だって居るのではないだろうか?

先駆者だけでは何も始まらない。後に続く者がいたからこそ発展したのだ。

そして、先駆者がいなければ誰も道を見つけられないとも言える。

今や誰もが先駆者になれるのだ。それぞれの得意分野を伝えられる時代が来ているのだ。ならばやるべきだろう?そうだろう!?

だからこそボクは無力ながらも伝える努力を始めた。

作戦名:将を射んとすればまず馬を射よ

作戦名:朱に混ぜて赤くせよ

作戦名:風を吹かせて桶屋を儲けさせろ

簡単な話だ。しがらみがあるのならばしがらみの無い者から変わればいいということだ。

意識改革は何事もしがらみから逃れたい者から始まっている。

歴史的に散見している革命家と同じことをすればいいとでも言おうか。

しかし、武装をするわけではない知恵での武装を行う。

日本の文化は武装せずとも、伝え届ける力で革命を起こして来ている。

例えるならば、英語を日本人が学ぶ感覚だ。先駆者は自身で学んだ。そして、伝えられるように形を変えて民衆に届けた。

それぞれの年代に刺さる提供をできるのはそれに通じる者だけだ。

しかし、知識が無ければ正しく導くことができない。

烏合の集を集めたところで、上を倒した後の世の中は誰も創ることは出来ない。

しかし、革命家は革命家でなくてはいけない。民の意識を変えられるように民衆意識に対する革命を起こさなければならない。

先導できる者が上に立ち、革命家は革命家であればいいのだ。

そしてまた、狭い発想になってはいけない

革命家なんて何人居ても良いのだ。その中の一人が指導者になればいいだけだ。

得意分野はそれぞれ違うのだから、各々の形で活躍してしまえばいい。

しかし、それには知識や理解が必要不可欠になる。

下手をすれば何度でも戦うことになるだろう。それならば何度でも闘えばいいのだ。

いつの時代でも何度でも闘えるように変えればいいのだ。

弱者の底上げや、民衆の意識改革が出来た時、真に力を発揮出来るものだと信じている。

正しく改革できれば日本だけでなく、海外だって変わることができるかもしれない。

いさかいや暴力、戦争は残り続けるだろうが、今は文明が発展している。海外の共感だって得られる。

だからこそ、戦争をしたくない者達から変わるしかないのではないだろうか?

今はまだ、自分達のささやかな暮らしをより良いものに出来るようにするだけでいい。

悩む人達のわからないを解決する手助けからでいい。

そしてそれが出来るのは日本だけだ。

これはあくまでも、規制がまだあまりなく、二次元文化を売りに出来るお国柄を持ち上げただけだ。

無宗教で、束縛も少なく、あり方にそれぞれが悩める日本人だからできる。暴力という形に出られない草食な日本人だからできる。

そう、改革が遅れた古い日本だからこそ革命を起こせる余地があるのだ。停滞したおかげで、時代に逆らったおかげで日本人に余地が出来た。

そんな悲しいお国柄を今こそ、もう一度良い方向に変えて見ようとは思わないか!?

鎖国なんてやり方をしてしまった日本でも、文明開化が出来たのだから。技術躍進はあったのだから。

日本人は不可思議な方向に物事を解釈して馴染ませる天才だ。

今後だってそうあればいいのだ。

そして、足並みを揃えられる真面目さがある。

知識やルール、法律に縛られることだって、日本人ならむしろ特技にできるはずなのだ。

はみ出すことを恐れたおかげで、ルールや規則からはみ出ずに済んだ。

そう、ルールや規則は悪でも嫌でもあってはいけないのだ。

日本人は一番規則とルールに口うるさい国だ。

ならばむしろ活かせるのではないだろうか?マイナスをプラスと捉えればいいだけなのだから。

そしてまたそのマイナスは続いていけばいいてまはないか。はみ出すことを恐れることで平和になるなら恐れればいいのだ。

日常を守りたい、ある意味ヘタレな日本人だからこそ出来る。

日本人の残念さがあるからこそ、本当の平和を愛せるのではないのだろうか?

海外だって、きっと変えられる。だが、今は日本から変わらなければならない。そうしなければ誰も注目しないのだから。

世界を変える意識なんて必要無い。自分の平和の為でいい。

そんなエゴを利用して、いずれ大きな敵を倒してしまえばいいのではないだろうか!?

さながらこれは日本人お花畑化計画とも言える、恐ろしい計画なのだが、喜ばしいことに知的好奇心は日本人にだってある。

戦争が出来ないなら、各国のお国柄を知ればいい。

そもそも海外に飛び出して変化させたい日本人だって多い。

ならば、日本人は日本人のやり方で!!お花畑なやり方で行けば良いじゃないか!!

現実を知らない訳でもない。目を向けて挑まないだけだ。

挑み続ければいいのだ。知識と経験を積めばいいのだ。

知識と経験を変化させて民衆に馴染ませればいいのだ。

そしてお花畑を広げてやればいいのだ。お花畑汚染をさせてやろうではないか。

以上で、ボク━highlyseの野望発表を終わる。

最後に

ボク自身どうしようもないヘタレだ。人々の前には出られない。直接言葉は伝えられない。

富や名声や地位を捨ててまでも自分を大切に生きることしか出来ない哀しいヘタレなのだ。笑ってもいいよ。

なので、少しでも共感してくれた人は拡散して欲しいし、伝わらない人に伝える努力をしてみてほしい。

心配しなくていい。人類の謎と概念の考察・解明はボクの趣味だから。ボクは根っこから変えられないか考える。

そして、許可なんてとらなくていいから変化させて発展させて欲しい。

他の各記事だって、それぞれの解釈で掘り下げてくれていい。

だって、ボクじゃどんな人に声を届けられるかわからないもの。

それは届け方を知ってる人がやればいいんだ。

アニメや漫画でルールや歴史を教えようとしたみたいにさ。

ボクは分野が違うし、老若男女に伝わる言葉を持ってる訳じゃないよ。

出来ないことは誰にでもある。だから出来る人に託す。

それを出来て初めて発展するんだと思う。

固執なんてしなくていいんじゃないかな。

例え固執する人がいても、そっとしといて変われる人から変えればいいじゃない?

だって、育児に参加する男の人も増えたし。子どもが好きな人もいるし。

固執する人達にだって、その人達の気持ちがわかる人達が届く言葉を選べばいいんだよ。

男の人は、一度意地を張ると曲げられないとことかあるしね。頑固になったら難しいけどさ。ほっとくしかないかもだけど。

それなら逆に、まだ頑固にならない人を変えていけばいいしね。頑固な人は気持ちがわかる人が支え続ければいいもの。

そんな感じだよ。距離感なんて計りやすいものじゃないけどさ、通説だってあるよ。

それに、何よりも、いつでも変われる。変わった後に届けられる時代でもあるんだよ。

子どもの気持ちを大人があの頃を振り替えって分析してもいいし、成長したら喋れるんだから少しずつ喋って貰ってもいいじゃない?

話を聞く親ほど子どもの成長を助けてる気がするしね。レベルなんて何でもいいよ。会話するだけでも違う。ボクの場合いも親が話を聞いてくれたからね。真面目にではないけどを思い出にはなってるみたいだし。そんなんでいいんじゃないかな。

という訳で、みんなでああだこうだ悩もうぜ。悩まないと始まらないこともあるしね。

いつかの記事で囚われることって書いたけどさ、囚われないとわからないこともあるからね。でも、ほどほどにね。

どうなるかもわからないけど、頑張ろっと。みんなもそれぞれの形で頑張ってみてね。マイペースにね。

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