祖母のお見舞い

千葉のおばあちゃんのお見舞いに行った。
おばあちゃんはほとんどまともに会話もできず、記憶もあやふやだった。
自分で「朦朧した」と言ったことに、父は「自覚があればまだ大丈夫だ」と言った。

帰路の電車で父親と少し話した。
30年の歴史の中で最も長い時間二人きりになり、会話を交わしたのではなかろうか。

話題がなくなると父は数独の本を開き、少しずつ答えを見ながら解いていた。

私の知らない人だった。
だけど距離感は感じなかった。

今年70歳になる父の歩くスピードは早かった。
父はかなり遅くなったと言っていた。

実家で夕食を食べた。
自分が普段買っている食材の値段と皿の数が、倍以上はするであろう料理が並んでいた。

父の咀嚼音が気にならなかった。

母は相変わらず芸能スキャンダルの話をしていた。
それでも、人生で一番居心地良く感じた食卓だった。


どんな肉体の状態でもどんな人格でも、私はこの人たちから生を受けた。


特定の家族像に囚われすぎていた。
血縁者と血縁者の繋がりは無償の愛だと思っていた。
私の顔も名前も存在もわからなくなっていた祖母は、父と私の顔にそっくりだった。


長い時間家で共に暮らせば(主に幼少期)それは便宜上"家族"だ。
それでも他人。
自分ではないし、他の存在と同じく感情も思考も見えない。
他人が形成している社会で一番小さな組織。それが家族であり家。


気心知れた友人と数年ぶりに再会する際、
◯年ぶりな気がしない
昔と少しも変わっていない
そんな言葉をよく口にする。

家族は変わっていた。
知らない面、見えていなかった面がたくさんある。
知り合えなかったから。
見つめていなかったから。



40年後、母が母に成るかもしれない。
成らずに息を引き取るかもしれない。
それがなんだ。

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