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帰国してからのボヤキ

帰国っていうより、復職のぼやきでしょうか。

駐妻のときは、

「あぁー私今日もアドミン行ってめちゃくちゃ時間取られて、ご飯作るのも時間かかるわりにたいしておいしくもできなくて、掃除も洗濯もしてない。

てか、なーんにもできてない。

家事もしてないけど、育事してるわけでもないし?学生みたいに勉強してるわけでもないし??

私って、社会になーんも役に立ってないわー!」

・・というように、
たびたび罪悪感や自己嫌悪になるときがありました🥺

さらには家で、
ゴリゴリ働く夫を目の当たりにすると、

「夫はこんなに働いていて、会社や世の中から必要とされているのだよなぁ。毎日自己成長してスキルアップしてるんだよな。お給料だって私の生活分まで稼いでくるしな。羨ましいな。あー私なんかまじで無価値かもしれない。家事だってロクにできないしなぁ‥😇」

なーんて思っていたわけです。


そんな卑屈な気持ちや、自己肯定感を下げまくるこのような気持ちたちも、帰国して仕事再開したら吹っ飛ぶのかなって思っていました。


・・ところがです。


復職したとて、ですよ?


今の私の仕事が社会の役に立っているのか、、、と言われると、ほとほと疑問。悲しいかな、そんな風にはとても思えていない。毎日必死でやっているのにね。。。

はみ出し者としての肩身の狭さだけはひしひしと感じながら、日本を離れたことで私の捉え方が移ろっているのだろうということも気づきながら、なんとも置きどころのない気持ちを抱えながら過ごしています。

こんなふうだったら、フィリピンにいたときのほうが誰に何を届けたいかが常に明確で、いつも前だけを見て、今できる精一杯に自分に向き合って、誰かと比べるわけではなく、自分の可能性に向けてコツコツ頑張っていたような気もするのよね🥺

新しい環境になかなか適応できないことに、
まだまだ焦る気持ちもあるけど、
無理せず、ゆっくり頑張ろうかな。

また、帯同生活では「社会のお役に立とうなんて大袈裟に捉えなくてもいいじゃない。フィリピン人の今を全力で生きる姿は魅力的だし、私も今を全力で楽しまないと損だよ。」と思う瞬間も多々ありました。今の幸せを噛みしめたいという気持ちと、世の中のことや将来のことに向き合って焦る気持ちとのせめぎ合いを感じていたように思います。

そういう気持ちは、復職した今も変わらない。もちろん、「今やっっと仕事をできるようになったのだから、思いっきりやればいいじゃない!」と思う気持ちもあるのですが、仕事に向き合うなかで「あれ?こういうことがしたかったのだっけ」と悶々とする気持ちがあったりもします。

やっぱりちょっと焦ってるのかしら。ぼやきすらもまとまらない(笑)


ただ、振り返って思うのは、

もし過去の仕事していないことに謎に凹む自分に声をかけることができるならば、
もしくは、似たような悩みを持っている駐妻がいるのであれば、

「仕事してたって役に立ってない奴は大勢いるぞ!わたししかりだけど、まわりにもけっこういるぞ!」

と、言ってやりたいなんて思ったりする。

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