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第9回(7/2) 新聞読者の作られ方〜教育の場の利用〜


0、導入


講義内容
1、コメントカード
2、質問への回答
3、復習:明治初年の京都の教育
4、教育に組み込まれた新聞

1、コメントカード


事務連絡
試験について
知らされないこと
コメントカードで「隠蔽した情報を知らないほうがより良い国づくりや私たちの安全につながることがあるかもしれない」という意見がありました。私は、国民が情報を知らなければ、自由でないことが当たり前になり、それが自由なのだと思い込み、政府という組織の操り人形になってしまうと思います。確かに、政治家の不祥事を次々に公開されれば、国民は不安をおぼえ、混乱に陥ってしまうかもしれません。しかし、むしろ国民全員が危機感をおぼえてこそ、国を、誰もが信用できるものに改革できるのではないかと思います。

教科書への見方
まずこの講義を受け始めて、私にとって最も大きかったのは、「教科書を疑ったことはあるか」という問いかけをされたことで、今まで考えたこともなかったことを不意に突き付けられたような感覚でした。そこで今までの自分を見つめなおすことができ、良い疑いの目を持つことができた。真実は何かを追求し、その過程で得られるものが学びというものだと思い、教科書などの内容を鵜呑みにするのではなく、自分の頭でじっくり考察して答えを出そうという考えを持つことができるようになりました。
 
「批判的に見て考える」という姿勢は、中学、高校で歴史を教えている先生方にはあるのだろうか。
歴史の見方
教科書に出てくる歴史は、本当に偏っていると思いました。僕が中学校の時からずっと思っていたのは、アメリカが第二次世界大戦の時に日本に原子爆弾を打ったのは、確かに残酷なことですが、教科書の書き方では原子爆弾を打ったアメリカがすべて悪いと書かれているように思いました。本当は日本がその前に奇襲攻撃などを行い、負けがほぼ確定しているのに負けを認めない日本も残酷だと思いました。

講義の受け方
この授業では、いつも3時間くらいコメントを考えます。この授業は自分にとって深くて、斬新で、固定観念をぶっ壊される時間です。最初はなんとなくで履修登録してしまいましたが、私はとても幸運でした。先生、革新的な授業をありがとうございます。

学校に行かないと、起きる時間がだんだん遅くなってしまって、考える力も損なってきている気がします。

書籍紹介
「逝きし世の面影」の第1章をネットの試し読みで読んだところ、まさにその本だった。ハリスが「疑いもなく新しい時代が始まる。あえて問う。日本の真の幸福になるだろうか。」と日記に記したことや、多くの人が当時の日本の文明を称賛し、ひとつの個性をもった文明の滅亡を危惧していたことを知り、衝撃を覚えた。期末レポートに間に合わないかもしれないが、間に合わなくても、いつでも読める準備をしようと思った。
農業について
フランスにおける芸術と農業との関係の理解の話を見て、改めて日本は何故農業を他の国任せにできるのか不思議に感じました。

種まきや収穫時期になると欠席、一年程経つと多くの子が退学するなど小学校が誕生したから、
「賢母良妻」の素養や「家庭婦人」としての技能教養の習得の場とされる高等女学校に進学し

2、質問への回答


最近は、コロナの影響もあり自宅にいることが多いなか、先生がお勧めされる本はありますか?
なぜ新聞社は政治家とつながっているのですか?
政治家が新聞社に圧をかけるためですか?
小学校、中学校、高校、大学は順番にできていったのですか?
本は苦手なのでお勧めの映画があれば教えてください。
●コロナとメディア
先生はこのコロナウイルスが蔓延している現代において、社会情勢はメディアによって操作されていると考えていますか?


2、復習



質問
「床」は寝床のことではないかと思いました。今でいう保健室のようなところ、もしくは町役人の仮眠室や教師が学校に泊まる際に使われていたのではないかと思いました。
 
役所と小学校が同じ場所なら、まだ育ち盛りの小学生たちの声や足音がうるさくなって困るという問題はなかったのだろうかと思った。
3、明治初年の京都教育
明治初年の近代教育
<日本>明治5年…明治政府、学制公布(学区制度)
<京都>
近世期…教諭所・私塾(学者による)・寺子屋・読書会(近世出版)
明治元年… 京都府小学校の誕生「市中組会所兼小学校」 の発案・小学校の雛型提示
明治2年…京都市内で小学校が全63校できる
 →日本で最も早い
 →町内の集会所と教育が同一場所で行われる。
町組会所兼小学校図面
下京第11区の小学校
町内の風景
京都の学区
福沢諭吉『京都学校の記』
「学校の内を二に分ち、男女ところを異にして手習せり。すなわち学生の私席なり」「別に一区の講堂ありて、読書・数学の場所となし、手習の暇に順番を定め、十人乃至十五人ずつ、この講堂に出でて教を受く」
日中は「小学生徒の数、毎校少なきものは七十人より百人、多きものは二百人より三百人余」の子どもたちが上階へ下階へと学問に励む様子が窺える。また「学校の内、きわめて清楚、壁に疵つくる者なく、座を汚す者なく、妄語せず、乱足せず、取締の法、ゆきとどかざるところなし」
「学校の傍にその区内町会所の席を設け、町役人出張の場所となして、町用を弁ずるの傍に生徒の世話をも兼ぬるゆえ、いっそうの便利あるなり」

小学校御取建御趣意書写
并ニ組長又ハ町数ニ御取調書共(明治元年9月28日)
      

4、教育に組み込まれた新聞


新聞の伝達
下京第3区日誌(明治6年6月2日 )「一、東京新聞九部横浜(自三百七十三号至三百八十一号)同断八部総区長(自七百三拾八号至七百四拾号)■来ル當区ヘ右同断紙数同断下京廿九区ヘ届ル」
下京第14区の真町日誌「一、〔明治六年〕五月卅一日第二百九十八号第二百九十九号御布令至来之事」

大人が読めない「京都府布令書」
ある戸長「一月一度或ハ隔月ニ町中集合」させて「御布令読聴」しようとした。
「管轄トアルヲヱ……何トヤラ云フ字ヤ」とふりがながない箇所が読めない。
「町中ノ者ニ対シテ」、「只今読上ゲタル御布令忘ル事ナカレ」と言い調印。
大人が読めない「京都府布令書」
新聞社の反応→正確に伝えられていないのにも拘わらず調印させたのは「実ニ可笑ニ非ズヤ」と批判。同一の出来事が多発。「小学校句読師雇ヒテ町内ノ者細詳御趣意拝承スベキ」(『京都新聞』明治5年11月51号。)
御府令音読の風景
「一、印紙御布令読聞セ町中一統へ読聞セ宇喜多氏相頼読渡候事」→真町では宇喜多(小十郎)氏に依頼し、「印紙御布令」を読み聞かせた。
「一、金弐朱之宇喜多小十郎読聞セ御礼持遣し候事」 。(真町「日記」より)

小学校での新聞の音読
「上京第二十八区小学校」にて「夜、論語日本外史ノ講訳」があった。「区内ノ人ノ集リ揃フマデ」の間「八九才ヨリ十二三才迄ノ学童ニ御布令新聞紙等ヲ順次ニ読マセ」、「群衆ノ婦女ニキカ」した。学童らは「涼ヤカナル事、水ノ流ル如シ」にそれを読んだという。まだ別の教諭の日も同様に「実ニ速」に音読した。「一町内ノ家主タル者ハ、御布令ヲ読得ル者僅ヲ両三人ノミ」であったようで、「願ハ御布令新聞」を「読メル様ニアリタキ事ナリト頭ヲ掻テ去」っていったという。

小学校のカリキュラム
上意下達のニュースの伝達
「御布告調印帳」 
新聞読者の作られ方ー小学校の施設よりー
小学校は集会所兼教育の場
昼は子供達の音読
夜は子供達に新聞(府令)を大人に向けて読ませる。
→教育の場を利用し、新聞を教材として教育システムに組み込み、半強制的に読者を作った。


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