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第12回(7/23) 京都における新聞発行の定着:スポンサーは誰か


0、講義内容

1、前々回のリプライ(回答&コメント)
2、前回のリプライ(回答&コメント)
3、新聞社の活版印刷機導入
4、高価な活版印刷機の後ろ盾はだれか

連絡
13回で、講義は終了。
14、15回はレポートの講評

中間自主レポートにPDFに変更して提出と書いていましたが、提出する欄がなく、直接入力する形式になっていたのですが、直接入力すれば良いのでしょうか。
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1、前々回のリプライ(回答&コメント)


報道について(コロナ、リテラシー)

昨今の新型コロナウイルスのニュースがひどいです。メディアがかなり騒いでますが私はコロナを単なる風邪としか考えてませんし、感染者数が大幅に上昇したと流れてますが検査数が増え重傷者が減っていることはあまり報道されていません。先生はコロナウイルスに関する最近のこのメディアについてどのような考えをお持ちですか?先生が新型コロナウイルスから学んだことはありますか?
NHKの場合スポンサー企業はいないのですが政府とはつながっていますか。
先生が新型コロナウイルスから学んだことはありますか?

私はメディアリテラシーについての持論を述べる。
近年、世界的なネット社会化で人類にメディアが与える影響は大きくなっている。メディアの情報は信憑性に欠ける事例が多くある。だが今を生きる私たちは、そのメディアに踊らされてしまっていることが多くある。現在のコロナウイルスによる混乱はメディアによる誇張報道の可能性があるが、そのことについて疑う人はあまり存在しない。このようにメディアリテラシーが低い人々が多いのである。メディアは危険であることを知らない、または知っているが面倒がって対策をしない人が多い理由は、ネット社会化によって、メディアや情報が身近になりすぎてしまったからであると考える。情報の身近さゆえに、情報というものの貴重性を理解できていないことが、メディアリテラシーの欠乏の理由であると考える。
テレビと政治(個人的な意見)
テレビと政治に結びつきがあるのではないかと言っている人を見て、高校の頃に受けていた授業で、とある先生が言っていたことを思い出しました。それは、政治の問題があると、そこから視聴者の関心をそらすようにいつも良いタイミングで芸能人の大きなゴシップが出るということでした。例えば、その先生の話があったときは桜を見る会についての問題が大きく取り上げられており、それにかぶさるように沢尻エリカさんの覚せい剤のニュースが大きく取り上げられていました。それまで桜を見る会のことについて多くの所で意見が言われていたのに、その存在を薄めるような芸能人のゴシップが入ってきたのです。しかしその先生は、このようなことはよくあることだといって、それを年表にしてまとめていました。
「疑うことは悪いこと」か?
全員が従っている1つのルールに、誰かが疑い異議を唱えた時、その人は理解されれば「革新的な人」ですが、理解されなければ「変な人」として無視されます。

自分の意見に自信がない人は、同調圧力を恐れて疑っても口に出しません。もっと言えば、それなら最初から疑わずに思考を止めます。私もその1人でした。
最近ではとても意見が受け入れられ、言いやすくなっている思います。(MeTooなど)「自分を出すことが恐いことではない」と思える人が増えていくことを願います。
個人的な意見を言って変な捉え方などする方もいます。先生の方は好き勝手言っていると思います。もっと言葉を選んでやって頂きたい。

個人的な意見を言うことは、問題ないのではないかと考えます。しかし、教師の意見だけを述べる授業はあってはならないのではないかと思います。なぜなら、それは授業ではなく洗脳になってしまうと私は考えるからです。したがって教師の意見を授業で述べる場合、一般的な意見も提示しどちらが正しいかを生徒に委ねるといった形にするべきなのではないかと私は考えます。
また、私は上記でも述べた通り、教師が自分の意見を授業内で述べることには賛成しています。教師が自らの意見を述べてくれると授業に熱意をもって取り組んでくれているんだな、ということが分かりますし、こちら側も聞いていてとても楽しいです。実際私の塾の現国の教師は、授業で解いた問題の回答が自分の回答と違っていると我々生徒に両方提示し、どちらが正しいかを授業の時間すべてをつかって考えさせました。私はこういった姿勢からこの先生の授業が好きでしたし、なにより教科書の回答と一生懸命戦っている先生の姿がとても面白かったです。
大学の講義について
私は、歴史の教科書に勝者の歴史しか書かれていないことは、問題だと思う。先生が講義で仰られた様に、真珠湾での日本を絶対悪に扱うような出来事は、アメリカ側のプロパガンダ的な要素を含んでいる。しかし、教科書に別の視点から見た歴史を書くだけでは、社会問題の根本的な解決にはならないと思う。
まず、今の若者たちが、正しい歴史を知らない事が問題なのでは無く、歴史に興味が無さすぎるのが問題だと私は考える。このような状況で、教科書に正しい歴史を掲載しても、大半はテストの為に単語だけ暗記して、すぐに忘れていくだけだろう。したがって、私はもっと根本的な教育改革が必要だと思う。今の義務教育の授業形態は、眠たくなるだけだ。新しい教育形態は、この講義のような形がよいと思う。先生と生徒が、積極的に意見交換できるような場があれば、生徒の疑問や考えに先生がすぐに答えてくれる。さらに、生徒同士での考えの交換などで相乗効果も生まれる。私は、先生の役割として、教科書に無い知識や歴史上の人物の逸話などを語ってくれる事にあると思う。しかし、私が今まで授業を受けてきた先生の中では、教科書読み上げマシーンになっている人もかなり居た。
このように、もっと教育の根本的な部分を変えないといけないと思った。少子化で、子供の数も少なくなっているわけだし、大学形式の授業は、小中高の授業でもできると思う。
大学について
私は大学に入ってから専門学校に入るべきだったか悩んだり、高校で学んでいたことが問があり答えがあるものばかりであったと感じ大学とは大きく違うと感じました。
先生のおっしゃていた高校に行かずに好きなことをすべきということは素晴らしいことだと思うが、現代の学力主義的な考えの社会では難しくはないか?
皆さんのコメントの質が高すぎて焦ってます、、、、
「一生勉強」だとおっしゃっていましたが、何か新しく勉強し始めたことはありますか。

2、前回のリプライ(回答&コメント)


皆さんのコメントの質が高すぎて焦ってます、、、、

「一生勉強」だとおっしゃっていましたが、何か新しく勉強し始めたことはありますか。

質問
プロシア人はどこの方なのでしょうか?
現存する世界最古の紙への印刷物は、日本で奈良時代(8世紀)に作られた『百万塔陀羅尼』。
この時代の速報とは、例えばどんな内容だったのでしょうか?
三井が大会社と言っておられましたが、他にはどんな大会社がありましたか?
新聞が印刷技術と共に発展したことを今回の授業を通して理解できたのですが、その他の書籍に関しては、どの印刷技術が主に用いられることになったのですか?
また殺人がよく起こる時代だったと聞いて、作っている途中新たな殺人が起きてしまった場合、現在の新聞のように木版印刷では簡単に文章を直すことができないのでどのように直していたのかなと気になった。
小学校で版画が義務教育とされているのは木版印刷の名残なのでしょうか?
木版印刷、石版印刷、活版印刷でコストや時間のかかりぐわいなどを総合的に見て、一番印刷で有能なものはどれですか?
考察
●石版印刷は使い勝手が悪くてあまり利用されなかったのではないかと私は思いましたが、販売したプロシア人はそれを理解して販売したのではないかと思いました。プロシア人と日本人の取引は対等なものだったのでしょうか。
●明治時代の京都では、武士によって殺される人が時々発生する治安の悪い街であったと聞いて、とても驚いたと同時に、今の感覚で、明治時代の京都を捉えてはいけないとも感じた。自分の出身地でありながらも、明治時代の京都は平和で上品な街であると勝手に想像していた。
そんな中、幕末の浪人たちを雇い、木版印刷の速報に対応し、都の治安を落ち着かせた村上勘兵衛という人物は、ただ者ではないなとも感じた
●印刷技術の発達により、印刷する主体が官から民へ移行するのではないかと考えていたが、今回の授業ではそのような動きは見て取れなかった。それは、メディアを通じた影響力を政府が強く懸念していたからではないかと考えられる。
●村上勘兵衛が浪人になった武士に木版を彫らせたという話を聞き、まさか武士が新聞作りに関係していたとは思っていなかったので驚いた。そして、このことから、士農工商という身分制度は存在していなくて、武士は商人たちに助けてもらいながら、生きていたということを改めて理解した。
●江戸時代の技術は優れていたと明治政府は認めるべきだとも思いました。確かに、石版印刷や活版印刷は外国から輸入したものですが、木版印刷は日本独自で生み出した技術なのだから、そのすばらしさを明治時代にもたたえるべきではないかと考えました。
●村上勘兵衛という人が、明治初期に創刊された新聞すべてに関わっていたと知って、出版には膨大なお金とコネが必要になるから、特定の人物、出版社がずっと出版し続けるのは当たり前なのかなと思った。
最初の方で、京都新聞についての資料があまりなく確かではないというようなことが言われていましたが、歴史は全部残っているようなイメージがあるが、歴史は調べないと分からないものであって資料というのはすごく大切なものであるのだと思った。新聞は今でこそきちんとした形があって内容も統一されているが、昔は正直なにを言いたいのかも分からないものもあって、様々な試行錯誤を繰り返して今の形になったのか
なぜ石版印刷機の資料は少ないのか
この授業が終わった後も、「歴史を疑う」ことを続けていきたいのですが、先生は講演などはなさっていますか。もしされているなら、ぜひお聴きしたいです。

木版印刷のほうが使い勝手がよく効率的であったのに、活版印刷を無理してまで導入したのは、日本の近代化や文明開化を海外にアピールしたかったからということでしょうか?

3、新聞社の活版印刷機導入


明治初年、新聞を発行する場所=印刷所
その印刷所はどうやって??

私塾「叡麓社」の印刷事業
烏丸一条西入の私塾 叡麓社。
筆頭は村上作夫(朱子学)、しかし経営は芳しくない。
明治10年、西南戦争で世の中は不穏
槇村と村上の関係
槇村は京都府勧業課に活版印刷機の購入費5000円を支出することを指示。その資金をもとに、活版印刷所の叡麓社、後の商報会社が創設。

『(京都)商事迅報』の発行
明治12年5日6日、 『京都商事迅報』の創刊願書提出
明治12年6日9日、『京都商事迅報』創刊
明治12年10月、村上作夫、内務省勧農局勤務となる
浜岡光哲が経営を引き継ぐ
明治12年10月の『京都商事迅報』第100号発行の祝宴に、京都府顧問の山本覚馬が出席
明治13年1月17日 暫時休業

私塾「叡麓社」の内情
叡麓社(私塾・印刷所)・商報会社(活版印刷所)・『商事迅報』発行元、すべて同じ所在地(社屋は民家2軒)、関係者
『京都商事迅報』編輯および印刷人…
若松雅太郎、穂谷高克、二階堂行文、安田正方など。
いずれも叡麓学舎の社中(学生)
『(京都)商事迅報』の発行実態
槇村…「府庁関係の官民を全部義務購読者」とさせて、強制的に1号あたり7000部を販売
「京都商事迅報広告」の印刷元は叡麓社
紙面の内容は報告(ニュース)・広告・物価表。「警察関係の盗難品 拾得品の品触れ」
奥付…「京都府警保課 議事掲載御用 商報会社」
→事実上京都府が買い上げ(京都府の後援ありき)

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