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第11回(7/16) 新聞発行における印刷技術の導入

0、講義内容


1、新聞発行史の全体
2、木版印刷
3、石飯印刷
4、活版印刷


1、新聞発行史の全体

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2、木版印刷

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木版の『太政官日誌』の印刷ー版元と版木屋ー
慶応4年、速報のための印刷活動の開始(試行錯誤)

『太政官日誌』の奥付「御用書物所 東洞院三条上ル町 村上勘兵衛、堀川二二条上ル 井上治兵衛」


『太政官日誌』の印刷ー木版で速報するために①ー
井上=「版木屋の三井」と呼ばれる
井上の回顧録「慶応4年の春、井上治兵衛は二条城にある太政官に呼び出され、瓦版のように早く刷れて、瓦版より読みやすい印刷物は無いか、と相談された。井上は当初木活字を提案した。しかしひらがなではなくカタカナだから比較的早く掘ることができる。1枚の版木を4人で一晩で掘り上げ、翌日の昼までに納付する。
『太政官日誌』の印刷ー木版で速報するために②ー
聞き書き「村上勘兵衛の家では浪人になった武士を多数集めてその人たちに原稿を分けて一気に大量の板木を彫らせて、短期間で製品を仕上げた。」
幕末の浪人

3、石版印刷

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明治3年の石版印刷の導入
『京都新聞』第3号の記事
ふりがな、新しい熟語の出現
石版器械を物産会社が外国人(プロシア人)から購入した
すでに新聞紙第1号を公刊
追日、図書(かきもの *新しい熟語)も彫刻する予定
購入費用は?プロシア人との人脈は?
会津藩、山本覚馬、京都府の後援
プロシア人、カールレーマン
→しかし石版機械は使われず明治7年に活版(銅版)印刷器が導入される

3、活版印刷

活用されきれなかった活版印刷機
明治7年3月、村上勘兵衛が活版印刷機の払い下げ
金額は5975円34銭9厘、5年間の分割払いで契
同年5月24日、村上「活字機械返納之儀ニ付御願」を提出払い下げられた活版印刷機では「御布告新報其他鎖末之書類〔の印刷は、却って〕人力費用相掛リ」、さらに「皇漢文字茂第四号之活字、一ト通ニ而字数モ不多、当用之品摺立候ニモ、更ニ第一号三号五号、或者大文字等買揃不」と活字が不足、印刷機そのものも使いにくいので、機械一式を返納したい
結果それは受理され「今度更ニ松本孝輔ヘ拂下ケ」られる。
明治初年の印刷技術の変容
慶応4年 木版の速報
明治3年 石版の導入(ほとんど取り入れられず)
明治5−7年 活版の導入
明治8年 活版印刷の新聞

機能性→木版
見た目、近代化の象徴→活版(陋習に満ちた江戸時代のものではなく、近代的な欧州のような新時代的なもの)

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