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なぜ「本質」は人を混乱させるのか

たまに聞く「本質」という言葉。本質が分かっているって、何だかかっこ良いし、賢そう。
前に仕事関係の人で、長引いた議論が一時中断になった末、席から離れたところで「そもそも本質が分かっていないだよな・・」と私にぼやいた人がいた。

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(Bossと私:喉から出る、相槌っぽい音をとりあえず出した私)

正直に言って、当時の私は何が問題だかよく分かっていなかったと思うし、議論がどうなったかも全く覚えていないが、
「この人は重要なことを分かっているんだ」と感じ、彼の言い放った「本質」という言葉が10年近くたった今でも引っかかっている。

おそらく同じように「本質が〜・・」と言われて、でも本質という言葉そのものがピンと来なかった人、いると思う。で、調べたり考えたりしたけど、結局何!?と分からないまま・・・。自分を含めこんな方々に向けて、なぜ本質が分かりづらいのか、深掘りしようと思う。

◾️「本質」という言葉の分かりづらさ

「本質」はいろんな言葉の前に接続されてよく使われている。
問題の本質、成功の本質、失敗の本質、子育ての本質、イノベーションの本質などなど。何となく分かるようでもやもやする「本質」と言う言葉・・・。まるで霧がかかったような言葉。

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そして、本質を〜に続く「捉える」「突く」「見極める」「見抜く」という動詞を見れば一目瞭然。やっぱり何か見えない感じで、それを見ることが出来る人は経験値が高く特別なんだという印象。一時流行った「論破」と同類で、本質を突ける人って何だかかっこいいという印象!?

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さらに「本質」がどれだけ分かりにくいかを証拠づけるものとして、本質の見極め方(考え方、物事の見方)はもちろんのこと、そもそも、「本質とは」と、本質の言葉の意味を説明してくれている記事やブログ、動画がわんさかあること。

どれだけ分かりづらいんだよ、本質・・。
(本質の捉え方については丁寧に説明をしてくれているサイトや記事がたくさんあるので、ここでは割愛します)

◾️「本質」には種類がある

数々ある「〜の本質」という言い回しから、「〜」部分によって、他の言い方に換えられることが分かる。

「問題の本質」であれば、問題が起こった1つの根本的な要因であったり、もしくは互いに影響し合う複数の要素を考慮しながら当該の問題が起こった包括的な原因の場合であったり、「成功の本質」であれば、成功に至った最も大事な要素、とか。
抽象的であれば自己啓発的になるし、より具体的であれば、成功を定義づけてから(例:いつまでに売り上げをどのくらい上げるのか=達成したら成功)、そうするにはどうすれば良いのか。など。

また、子育ての本質や幸せの本質というのは、問題解決とは少し種類が異なり(ある意味問題解決になりうるが)、自分が何を一番大切にしているか、というところに繋がる。子供の笑顔、心を育てること、子供を信じること。とか。言ったもん勝ちな面もあり、割と自分なりに提言してオッケー。

要は、本質と一言で言うけど背景によって、「根本的要因」「欠かせない要素」「目的」「一番大事なこと」、など様々な意味合いを持つ言葉だということ。

◾️「本質」を使う前に考えたいこと

ここでおさえておきたいのは、つまり、問題解決に取り組んでいる人に向けて、「本質を考えろ」と言ってしまうと、逆に迷子になってしまう可能性があるということ。どうやったら解決できるか、と具体的に考えている人に、分かりづらいヒントを与えるので、ヒントに頭を使ってしまいます。

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「本質」は伝えようとする側にとっては、おそらく使えば使うほど概念が馴染んできて使いやすくなるのだと感じる。ただ、便利でいて抽象的なので、うまく言語化出来ない時に使ってしまいがちで、そのため相互理解を確認しづらい言葉である。つまり、相手も同じように理解していると思うと危険なワード。

大事なのは本質という言葉に惑わされないで、大抵問われているのは、問題解決能力。問題解決の方法やフレームワークは、それこそ書籍やネットにたくさんあります。また、場合によっては「本質とは!?」と考えるよりも「自分にとって何が一番大切かな」と柔らかく考えていいと思います。

具体的に本質を見つける方法は皆様に任せるとして、なぜ「本質」を使うと分かりづらいのかが分かったということ。これが本記事執筆の本質です。




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