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神は妄想である(2)

■一神教は最大の悪

旧約聖書と呼ばれる野蛮な青銅器時代の教典から、3つの非人道的な宗教が進化した。この人格神はイヤになるほどの人間的特質を持つ。(※私がそう言ってるわけではないですよ。)

1)ユダヤ教

猛烈に不愉快な1つの神を持つ一部族のカルト。病的なまでの排他性、自らの優越、性的規制にとりつかれていた。例えば、

①ノアの方舟
・一家族だけを残して、他の人も動物も溺死させた。

②ソドムとゴモラの破壊(創世記19章7~8節)
・追っ手に娘を差し出したロト。
・不運にも妻は振り返った為に塩の柱になった。それほど大きな罪を犯したのか?

③ロトと娘の近親相姦(創世記19章31~36節)
※コメントは不要でしょう。

④側女を連れた名もないレビ人(士師記19章)
・側女を連れたレビ人が親切な老人の家に泊まった。その時、町の人々がその男の客を差し出すように要求した。老人は要求を断る代わりに自分の娘と側女を差し出した。側女は翌朝死体で見つかり、男はその死体を12個の切り刻んでイスラエル全土に送った

⑤イサクを犠牲にしようとしたアブラハム
・子供がそのような事から発する心理的トラウマからどう回復させるのだろうか?

⑥指揮官エフタが娘を犠牲に(士師記11章)
・指揮官エフタは神が戦いの勝利を保証してくれるなら、帰宅時に最初に私を出迎えた人を献げものにしますと約束。首尾良く勝利したエフタを最初に出迎えたものは一人娘だった。

⑦民数記のモーセ(民数記31章18節)
・神はモーセにミディアン人を攻撃させ。女子供を殺さなかった部下たちにモーセは腹を立て、男児と処女以外の女を殺せと命じた。

※そろそろ嫌になってきたが続けよう。

⑧ヨシュア記は全編が大虐殺の記録
※おすすめはしません。

⑨申命記20章
・必要な地に住むものは皆殺し
・遠くのものは男は皆殺し、女は繁殖のために連れ去る。

⑩レビ記20章
・死刑になる罪
両親を呪う、姦淫する、義母・義娘と寝るもの、同性愛者(ん?)、女とその娘を一緒に娶るもの、獣姦する、安息日に働く(←民数記15章にも具体例がある)

⇒現代の道徳は聖書に由来するものではないことは確実だろう。寓話だとして、何の基準で寓話とされたのか?何を説明するものなのか?

(2)キリスト教

・ローマ人がパレスティナを占領中にタルソスのパウロが排他性の少ない一神教を起こした。
・新約聖書は旧約聖書よりはマシにはなった。
・自分の母親に対する態度に愛想はない。
・弟子たちには家族を捨てて自分につきあうように説得する。
・聖なるシンボルの十字架は拷問と処刑の道具である。
・遙か遠い祖先(アダムとイブ)の原罪を受け継ぐように強要する。
・イエスの贖罪は未来の人々の罪を救うらしい。まだ犯してないのに。全知全能だからか。
・異教徒は皆殺しなのは変わらず(ヨハネの福音書3章36節他)

(3)イスラム教
ムハンマドと弟子たちは、ユダヤ教に戻ったが排他性は引き継がず、その代わりに信仰を広めるために軍事力を使った。
イスラム教はこれぐらいに(^^;)

■ダーウィン進化論の衝撃

「地球上に生命が起源する確率は、台風がガラクタ置き場を吹き荒らして、運良くボーイング747が組み上がる確率より小さい」(フレッド・ホイル)

・ダーウィンは神業の設計者なしにありえない進化を巧妙かつシンプルに説明してしまった。
・自然淘汰は累積的過程。全体を通してみれば「ありえない」進化を小さな進化の断片に分割し、その一つひとつですらあり得ないかもしれないが、断片にするとそれほど無茶苦茶ではない。中間型は動物界の至る所に存在している。
・あらゆる比類のない仕掛けを持つ眼が、自然淘汰によって形成されたことを想定するのは、極めて馬鹿げたことに思えるのは認める。しかし、

1)白内障で水晶体を摘出された患者でも木への衝突や崖からの転落を避けうる程度には十分眼が見える
2)半分の翼でも、合る高さの木から落ちた時に墜落速度を和らげて、命を救うこともあるだろう。
3)扁形動物は眼を一つ持っているが、人間の眼の半分以下のものでしかない(光と影の区別ぐらいで像は結ばない)。オウムガイはその中間ぐらいの眼を持っている(ピンホールカメラ並)
→こんな事例を見過ごしているなら、他にも見過ごしはあるかも。

・生物は個々の進化の過程で「必要な進化(のみ)」に必要な発達を遂げた。
・自然淘汰こそ、最終的に単純さから複雑さを生み出すことのできる唯一の過程である。スタート起源も単純である。
・自然淘汰によって説明されることは複雑である。それを設計することができるという神を除いては。

■宗教のどこが悪いのか

・宗教の原理主義は絶対主義につながる
 →聖典こそが真理。つまりそっちが絶対。
 →証拠が聖典と矛盾するなら、捨て去るべきは証拠の方である。
原理主義的宗教は、科学的な営為を積極的に堕落させる。

・中絶に関する議論

胎児の生命を奪うことに最も熱心に反対している人の多くが成人の命を奪うことに熱狂的である。(→罪なき赤ん坊の殺害を未然に防ぐため中絶医師が殺害された)
胚は苦しまないが人間の生命を奪うことに寛容な文化は行き過ぎるリスクを持つ。胚の幹細胞を使った研究はどうか?人工授精では2~3個の受精卵が子宮に移植される。生まれるのは通常1人である。

・穏健な宗教も狂信を育む

2005年7月のロンドンでの集中的自爆テロはイギリス市民でクリケット好きで礼儀正しい若者だった。「私はただ殉教者になりたかった」という若者を、宗教は正気でまともな人間を凶器に駆り立ててしまう。彼らは、コーランに書かれている字句を信じているが、精神異常者ではなく、子供のころから刷り込まれてきた宗教的な理想主義者であった。

⇒宗教上の信念をフリーパスで尊重することは、とにかく止めるべきだ。もしすべての人間がその国の法に従わず私的制裁を行うことの個人的確信を持てば社会は無政府状態になる

・カトリックの洗礼

誰でもでき(司祭でなくてもいい)、本人や両親の同意は不要で、乳母・メイドが秘密裡に受けさせたものでも有効で、取消不能。その結果、聖職者が勝手に連れていく。ひどい話だが、これは事実上の誘拐だろう。この宗教は家族より上位に君臨している。つまり、神は個人との関係である。

(例)エドガルド・モルターラ事件(1858年)

両親はユダヤ人で、しかたなく土曜日に働けるキリスト教徒をメイドに雇わざるを得なかったが、そのメイド勝手に子供に洗礼させた。
ちょっと水をかけて短いまじないの言葉をかけるだけで、子どもの人生を一変させる。本人の幸福や心の健全さは関係ない。
聖職者(司祭、枢機卿、教皇)は自分たちがやっている恐ろしいことを理解しておらず、まったく 保護者気取りである

・煉獄の教義

煉獄というのは地獄へ行くほどの悪いことをしていない人の黄泉の国への待合室で、そういう人が天国へ行く前にもう少し矯正的な審査と浄化を受けるところ。(流行りのアニメとは別もんです)
カトリックはあろうことか、有償で免罪符を発行して、煉獄滞在期間を短くしていた。これは正に史上最大の詐欺だろう。
そしてそれほど昔の話ではない。1903年ですら、教皇ピウスは教会での位階ごとの減刑日数表を作っていた。
→但、直接金で買われることはなく、祈りで払えた。でも、その祈りもお金で買えたりして(^^;)

まあ、ドーキンス博士は、ことほど左様です。