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まちの外

中学生の頃、長期休暇中に親に通わされていた予備校は車で1時間かかるA市にあった。
もちろん私の他にご近所さんはいない。
生徒のほとんどがA市に住む中学生ばかりで、その中でも特に県内に唯一ある国立の中学校の生徒が目立っていた。
つまりみんなめちゃくちゃ賢そうだった。

なんでわざわざそのような遠くの予備校に行っていたのかというと、親がA市の高校に進学したいと希望を出した私に過剰な期待をかけたからである。
私はトイレが綺麗で(第一希望)私服で通える(第二希望)学校に通いたいと言っていて、その条件に当てはまる学校がA市内にしかないというだけだったのだが、気がついたら県内で1番の進学校に行きたいことにされていて大変困った。

そういうわけで私はおそらくあの時あの予備校の教室の中で一番消極的な生徒であったと思う。
予備校は歴史のあるところで父親も大学浪人時代に通っていたらしい。
建物もトイレも講義のプリントもなんだか古めかしくて私はあまり好きになれなかった。
トイレの芳香剤がラベンダーでもレモンでも金木犀でもない、いちごの甘い香りだったことだけ、なんだか特別だった。

おそらく私以外は全員A市民の中学生しかいなかった予備校の教室で私は間違いなく浮いていた。
ただ、一度だけ知らない生徒から声をかけられたことがある。
休み時間にやりたいことがなくて机にふせっていたら肩を叩かれる。
目線をあげるとそこには例の国立の中学校の制服を着た女の子たちが立っていた。
講義の時間にめちゃくちゃ難しい問題を当てられてすらすら解いていたから印象的な生徒だった。

「ねえ、どこ中?」

ヤンキーしか使わない言葉だと思っていた。
それはそうだ、見たことのない制服のやつがやる気なさそうにダラダラしていたら少しは目立つのだろう。

「Y中」

正直に答える。

「へえ、知らない。」

聞くだけ聞いて彼女たちは自分たちの縄張りへと帰っていった。
私は興味ないくせに聞くだけ聞いて適当にあしらわれたことへの苛立ちを通り越して「自分が住んでいる街の外についてこの人たちはそんなに興味がないのか」という事実に気がついて大変驚いた。

その当時、私の住む町にはありとあらゆるチェーン店がなにもなかった。
TSUTAYAもマクドナルドもジャスコもミスタードーナツもモスバーガーもイトーヨーカ堂もなかった。
そのせいなのか私はこのような店があるところについて興味が強く、自分が住む自治体以外の市町村のどこに何がある、みたいなことを生活に必要な範囲で把握していた。
なので県内にどんな町があってそこには何があるのか、に限ってはやたらと詳しかったような気がする。

なので雑に「知らない」と答えが返ってきたことがなかなか衝撃だった。
もしかしたら本当に挨拶程度のことだったから実際は別にどうでもいいんだよの「知らない」だったのかもしれない。

しかし当時思春期だった私は素直に「マジで私が住んでいる町のこと何にも知らないんだ、自分が住んでる自治体以外のこと興味ないのかな」と大変驚いていた。

そのことについて、私はA市にある「トイレは綺麗だが制服を着て通わなくてはいけない学校」に進学してからもずっと考えていた。
もちろん生徒の大半はA市内から通っていて、(友達を作るのに時間はかかったが)クラスメイトに私が住んでいる町の話をするとだいたい「初めて聞いた。知らない」と言われる。

どうやらその方が普通なのかもしれない。
私はようやく気がつき始めた。

生活圏にA市内の一部が参入してわかったのだが、まわりになんでもあると生活がそれで完結してしまうので、基本的には満ち足りた生活を送れてしまう。
徒歩・自転車圏内に本屋があってハンバーガー屋があってパン屋もあってコンビニだってあるから別に遠くに行かなくたっていいのだ。
そのうらやましさを一時的に手に入れてようやく納得した。
必要なもの、欲しいものが自分の住んでいる町にあれば他の町に行かなくたっていい。
だから別に自分の住んでいる街の外に興味がわかなくても生きていけるのだ。

このことに気がついた時私は「どちらの方が恵まれているのかな」とも思ってしまった。
負け惜しみかもしれないけれど、「経済的なインフラに恵まれてはいないけどA県の他の町についてちょっとだけ詳しい」のと、「経済的なインフラにめちゃくちゃ恵まれているけどA県のことはあまり興味がなくて別に知らない」の、どっちがいいんだろうか。

私はA県で生まれ育ったし、実家もずっとA県にあるので多少の郷土愛はあるしA県についてすこしは知っておいた方がいいのかなという気持ちはある。
けれど別に強制されるものではないしA市にはおそらくA県に特別愛着のある人の割合が低い街であるようにも感じる(だっていろんな企業の支店があるからね)。

どちらがいいのかを決めたいわけではないけど、人とまちとの関わり方の違いについて考える時はいつもこのことを思い出す。
私は必要に迫られて情報を得ていただけだし、彼女たちは情報があるから必要のない行動だっただけなのだ。

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