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おひるねの時間

お昼寝ができない子どもだった。
10数人いた同じ組の子どもたちの中で、お昼寝ができないのは私だけだった。

ご存知の方も多いと思うが、保育園は昼食を食べた後に、すべての園児を数時間寝かしつける「お昼寝の時間」がある。
遊び疲れた子どもたちに休息を与えるのが本来の目的なのだろうが、保育士の先生たちはその間に大急ぎで連絡帳を書いたりとめちゃくちゃ忙しいらしい。
先生たちの束の間の事務作業大集中時間。
その秩序を大いに乱して迷惑をかけまくっていたのがそう、私だ。

みんなで寝る前の「おはなしでてこい」の読み聞かせテープを聞く。
今でも節回しを覚えている。
おはなしでてこい、おはなしでてこい、どんどこどんどこでてこいこい。

それが終わると先生が「それではみなさん、おひるねですよ」と布団を敷かせてその上に寝転ぶ。
「それではみなさん、おやすみなさい」と声をかけられても私は全然眠くならなかった。
目を瞑ってしばらくじっとしていてもまったく眠れない。
まわりのおともだちはみんなすやすやと眠っているのに私だけ起きている。
その状況が不思議でしょうがなかった。

1人で布団を抜け出してみんなで遊ぶホールに出ると奥の職員室から先生が慌てて出てくる。
「マオロンちゃん、ねんねの時間だよ」
そんなこと言われても私は眠くない。
背中を押されて布団に戻るがやはり眠れない。
遊びたいわけではないが起きていたい。

誰も相手にしてくれないのでそのうち私はすっかり眠り込んでいるおともだちの瞼を開いてそれでも起きないのを確認してみたり、先生に元気に話しかけたりするようになってしまった。
私は秘密の時間みたいで楽しかったが、先生はさぞ迷惑だったろう。
最初はやさしく諭していた先生のやさしさポイントは失効してしまった。
お昼寝の時間に立って歩いて回ったり、布団の中からぱっちり目を開けて先生に声をかけたりする私は見かねられてしまった。
場を荒らして他の誰かが起きてしまう前に私を隔離した方がいいと思われたのだろう。
私は布団ごと組のお部屋に面した廊下に布団ごと引きずりだされるようになってしまった。

私が入っている布団ごとずるずると引っ張られて廊下に出されるのを無邪気な私は面白がっていたがそうする時、先生はだいたい怒っていた。
こんな子は初めてだとも言われたような気がする。
本当にたまに眠ってしまった日があると「マオロンが昼寝をした」と大ニュースになり、お迎えのときに母に大事件として伝えられるぐらいにはお昼寝で先生たちの手を焼かせてしまっていた。

やがて保育園を卒園して私は小学生になった。
地域の別の保育園から入学した友だちに昼寝ができなかったことをそれとなく話したことがある。
するとその友だちも保育園では昼寝をしなかったということだったので私はいたく驚いた。
ベテランの保育士の先生が「こんなの初めてだ」というぐらいだからお昼寝の時間に眠らないで起きているのは私だけだと思っていた。
しかもあちらの保育園ではお昼寝をしない子どもが2〜3名おり、先生に気づかれないようにカーテンにくるまって遊んだり目をつむったままこそこそ話をしたりしていたらしい。
うらやましかった。
孤独に起きていた私はお昼寝時間の秘密のたしなみ方を知らなかっただけなのだ。
私はひとりで欲望のままにわがままに暴れ回るだけの幼児だった。
そのことが大変に悔やまれた。

だがあれからはや数十年が経ち、私はこれでもかというほどお昼寝をする人間に様変わりした。
休みの日、予定のない日はソファの上でがあがあといびきを立てながら昼寝をして家族にうるさいとどやされている。
この時間をあの頃のお昼寝時に回すことができたらどんなによかっただろう。


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